No.943
10月3日、父の二七日法要を行いました。いまだに放心状態に近いです。ふと、「そうだ、映画館に行こう」と思いました。もう1ヵ月以上も映画館には行っていませんでしたが、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」という言葉を思い出したのです。それで、シネプレックス小倉で話題の日本映画「侍タイムスリッパー」を観ました。非常に感動し、最後は泣けて仕方がありませんでした。
ヤフーの「解説」には、「現代にタイムスリップした武士の姿を描くSF時代劇。落雷に打たれて現代の時代劇撮影所にタイムスリップした会津藩士が、剣の腕を生かして斬られ役で生計を立てる。メガホンを取るのは『ごはん』などの安田淳一。『一粒の麦 荻野吟子の生涯』などの山口馬木也、『AI崩壊』などの冨家ノリマサ、安田監督作『拳銃と目玉焼』などの沙倉ゆうののほか、峰蘭太郎、紅萬子、福田善晴らが出演する」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「幕末の京都。剣豪として鳴らす会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)は、ある長州藩士を襲撃するように命じられて刃を交えるが、その瞬間に落雷に打たれて気を失う。目を覚ますと、新左衛門は現代の時代劇撮影所にいた。混乱しながら行く先々で騒動を起こし、江戸幕府が140年前に滅んだことを知ってがくぜんとした新左衛門は死を覚悟するが、この時代で生きることを決意する。自分には剣の腕しかないと、新左衛門は時代劇撮影所の門をたたき、斬られ役として身を立てていく」
「侍タイムスリッパー」というタイトルを聴いて、映画評論家の町山智浩氏は、そういう映画は100万個ぐらい作られていない?と思ったそうです。確かに、侍がタイムスリップして現代にやってくる物語というのはありきたりな設定ですね。江戸時代の武士が昔の振る舞いをして周囲が困惑するというのなら、あまりにもVSOP(この言葉が古いか?)というか、つまらない映画になることは必至。でも、そうはならないのが、侍がタイムスリップした場所が時代劇撮影所だったからです。周囲の人々は侍の言動に少し違和感を抱くものの、基本的には受け入れていきます。それは一見ご都合主義のような気もしますが、わたしは、それよりも「優しさ」を感じました。
この映画、安田淳一監督が私財を投じて完成。劇場公開に向けて奔走し、池袋シネマ・ロサ1館のみにて公開。それがSNSで話題となり、連日満席に。川崎チネチッタでも公開が始まり、海外の映画祭で観客賞を受賞。そこから大手ギャガが配給に参加し、全国139館規模に上映が拡大。さらなる勢いを感じさせています。 ブログ「カメラを止めるな!」で紹介した日本映画で紹介した2018年の大ヒット映画を連想しますが、約打監督もどうやら「カメラを止めるな!」の大躍進を意識している模様です。
「カメラを止めるな!」は、異色のゾンビムービーです。上田慎一郎が監督と脚本と編集を務めました。ゾンビ映画を撮っていたクルーが本物のゾンビに襲われる様子を、およそ37分に及ぶワンカットのサバイバルシーンを盛り込んで活写します。出演者は、いずれもオーディションで選ばれた無名の俳優たちです。人里離れた山の中で、自主映画の撮影クルーがゾンビ映画の撮影を行っていました。リアリティーを求める監督の要求はエスカレートし、なかなかOKの声はかからず、テイク数は42を数えていました。そのとき、彼らは本物のゾンビの襲撃を受け、大興奮した監督がカメラを回し続ける一方、撮影クルーは次々とゾンビ化していくのでした。
ヤフーニュースより
ヤフーニュースで見つけた『侍タイムスリッパー』は人情あふれる快作だ 『カメラを止めるな!』と共通する"やさしさ"」という「Real Sound」配信の記事で、ライターの加藤よしき氏は、「シンプルな設定を、ツイストの効いた脚本で見せる作品であり、「映画作り映画」という要素もあるので、次なる『カメラを止めるな!』とも呼ばれている。たしかに、本作と『カメラを止めるな!』の共通点は多い。その中でも個人的に一番いいなと思ったのは、本作の基調方針が『カメラを止めるな!』と同じく、『やさしい映画』であることだ」と書いています。
しかし後半から、「やさしさ」から一転して、物語は現実の「厳しさ」を主人公に突きつけると指摘する加藤氏は、「観客もまた前半のやさしい世界を存分に楽しんでいたからこそ、『なんでそんな厳しいことを突きつけるとですか!?』と思いつつ、しかし実際の歴史がそうであるように、この問題は避けては通れないとも納得するしかない。この転調のタイミングは見事だ。そして物語は、すでに多くの人が指摘しているように、『侍』と『時代劇(と時代劇制作者)』を同じ『滅びゆく者たち』と捉え、その未来と対峙する人間たちのドラマとして結実する。ラスト30分の緊張感はただ事ではない」と述べるのでした。ラストの30分は、現在・過去・未来に向き合うドラマとして、それぞれ異なる立場の人間たちの生き様に感動します。
思えば、幕末の会津藩士は佐幕派で、長州藩士は倒幕派でした。徳川幕府を倒して新しい世界を呼び込もうとした者たちと、あくまで徳川家に忠誠を誓い、最後まで幕府を守ろうとした者たち。その両方が与えられた時代を必死に生きました。幕末に限りません。どの国の、どんな時代であっても、必死に生きた人々がいたのです。昭和10年に生まれ、令和6年に亡くなったわたしの父も、自分の時代を生き抜きました。名もなき者たちの物語(ヒズ・ストーリー)が歴史(ヒストリー)を作るのです。そんなことを考えたら、泣けてきました。やはり、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」でした。
父も、自分の時代を生き抜きました