No.968


 2000年のアメリカ映画「グラディエーター」をDVDで鑑賞。歴史アクション・アドベンチャー超大作ですが、15日から公開の「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」を観る前に、じつに24年ぶりに本作を再鑑賞したのです。ヒロインを演じたコニー・ニールセンが最高に美しくて、魅了されました。物語そのものも面白く、何度観ても夢中になりますが、今回は新しい発見もありました。
 
 ヤフーの「解説」には、「リドリー・スコット監督が放つスペクタクル活劇。古代ローマ帝国を舞台に、陰謀に陥れられた英雄騎士の死闘をダイナミックに描く。無敵の剣闘士役を演じた、ラッセル・クロウが秀逸。また、CGで描かれた巨大コロシアムや剣闘シーンの迫力映像も見どころ」と書かれています。2000年5月5日に発表された同作は優れた映像美やストーリーから大きな商業的成功を収めました。批評家からも高い評価を得て、第73回アカデミー賞作品賞並びに第58回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞する名誉を受けています。
 
 Filmaksの「あらすじ」は、以下の通りです。 「西暦180年、大ローマ帝国。皇帝マルクス・アウレリウス(リチャード・ハリス)は、将軍マキシマス(ラッセル・クロウ)に全幅の信頼をおき、次期皇帝の地位を約束する。だがそれを知ったアウレリウスの息子コモドゥス(ホアキン・フェニックス)は皇帝を殺害。マキシマスに反逆罪をなすりつけ処刑を企てる。間一髪で逃げ延びたマキシマスが故郷に帰ると、そこには変わり果てた妻と息子の姿があった。その後、彼は奴隷商人プロキシモ(オリヴァー・リード)の手に落ち、死ぬまで戦うことを義務づけられた剣闘士(グラディエーター)として、ローマが誇る巨大コロシアムに出場することになるが...」
 
「グラディエーター」という作品、何よりもアクションシーンが圧巻です。それは24年ぶりに観直しても、その迫力はいささかも衰えていません。しかし、このたびの再鑑賞では、リチャード・ハリスが演じる皇帝マルクス・アウレリウスの存在感に目を奪われました。は実の息子であるコモドゥスに帝位を譲らず、平民出身の将軍マキシマスに譲ると告げます。その理由や共和政移行の大義を説く父に対し、コモドゥスは以前にアウレリウスから送られた手紙について話し始めます。手紙には皇帝に必要な「徳」(正義・知恵・不屈・自制)が書かれていましたが、コモドゥスに備わる「徳」(野心・策謀・勇気・献身)は何処にも書かれていませんでした。父の決断にコモドゥスは絶望し、そこから悲劇が始まるのですが、わたしもこの年齢になってみると、父アウレリウスの気持ちも、息子コモドゥスの気持ちも痛いほど理解できました。
孔子とドラッカー 新装版』(三五館)
 
 わたしは、企業の事業継承について考えました。拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)にも書きましたが、企業とは血液ではなく思想で承継すべきものであると思います。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりえます。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継となったとき、その会社も関係者も最も良い状況を迎えられるのでしょう。逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのではないでしょうか。よく「世襲」は悪だとか言われますが、承継すべきはその会社の理念を一番良く理解している人です。先代に育てられた子どもが、最も先代の考え方を理解し、承継する確率が非常に高いわけです。親族だから承継したのではなく、企業の理念を一番理解しているのが親族だったから承継する。それが承継の大前提であるべきです。
 
 この映画で主演のラッセル・クロウは、平民出身の将軍マキシマス・デシムス・メリディアスを見事にえんじました。彼は、ゲルマニア遠征で、蛮族との決戦勝利を得ます。腹心の将軍クィントゥスから皇帝の死を知らされたマキシマスは、コモドゥスから皇帝が「病死」したと告げられますが、アウレリウスから廃嫡の意思を伝え聞いていたマキシマスは事実に気づき、忠誠を求めるコモドゥスを拒絶して事実を明らかにしようとします。しかし大方の者たちは事実を知った上でコモドゥスに従い、マキシマスとその家族を処刑せよとの皇帝の命を実行するのでした。その後、闘技場でコモドゥスと再会したマキシマスは兜を外し、素顔を晒して、「真の皇帝マルクス・アウレリウスの臣下、マキシマス・デシムス・メレディウス」と名乗ります。そのときのラッセル・クロウの表情は、一世一代の名演技でした。この作品は、まさに彼の代表作ですね。
 
「死はみんなに微笑む。できることは微笑み返すことだけ」などの名言で知られる賢人皇帝マルクス・アウレリウスは闘技を禁じていました。しかし、彼の死後、ローマ帝国では闘技見物が大流行します。150日間連続で殺し合いが行われることに、元老院のある議員は「恐怖と驚きを感じた」と述べますが、新皇帝であるコモドゥスに対して反対派の政治家グラックスは、「陛下は見抜いている。ローマとは民に魔法を使えば、コロリといくことを。たとえ自由を奪われても、歓声を上げるだろう。ローマの鼓動する心臓。それは元老院の大理石ではない。闘技場の砂なのだ。そこに死体を転がせば、民は皇帝を熱愛する」と述べるのでした。古代ローマの有名な「パンとサーカス」の本質を鋭く衝いた発言であると思いました。
 
 古代ローマの闘技の舞台となったのはウム」です。ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場です。工事はウェスパシアヌス治世の70年に始まり、ティトゥス治世の80年に、隣接するティトゥス浴場と同時に完成・落成しました。使用開始に当たっては、100日間に渡り奉献式のイベントが行われ、模擬海戦が行われると共に、剣闘士試合で様々な猛獣5000頭が殺され、数百人の剣闘士が命を落としています。なお、続くドミティアヌス帝の治世中にも施設の拡張工事が続けられ、一般市民や女性が座る観客席の最上層部と天幕が完成しました。地上から50mもの高さに天幕を張るために、ミセヌム海軍基地から派遣された海軍兵士が工事に従事したと言われます。コロセウムは建設後、剣闘士競技や野獣狩りといった見世物を市民に提供するために長く使用され続けました。
遊びの神話』(東急エージェンシー)
 
 わたしは、1989年5月20日に刊行された拙著『遊びの神話』(東急エージェンシー)で、コロセウムについて詳しく書きました。当時完成したばかりの東京ドームと比較した内容でした。当時は東京ドームのことを「ビッグエッグ」というニックネームで呼ぶのが一般的であり、わたしも同書では「ビッグエッグ」という名前で表現しています。わたしは、コロセウムについて「ここで古代ローマ人は捕虜、奴隷、囚人などを剣闘士として養成し、互いに戦わせ、流血の死闘を見物して喜んだ。また猛獣と剣士の戦い、ライオン対トラなどの猛獣同士の戦いとともに、伝説の格闘技パンクラチオンの試合も行われたという。パンクラチオンとはレスリングとボクシングをミックスした最強の総合格闘技である」と書いています。
 
 一方、1988年にオープンした東京ドームでは、89年4月24日にアントニオ猪木の新日本プロレスがソ連のアマレスラー、柔道のオリンピック・メダリストなどを集めて「闘強導夢」なるイベントを開催。同年11月29日には新生UWFが、柔道、サンボ、アマレス、マーシャルアーツ、ムエタイなどの強豪選手を集めて「U-COSMOS」を開催しました。古代ローマには「ロマネスク」という英雄崇拝の風が吹きましたが、古館伊知郎は「プロレスは現代のロマネスク」と表現しました。かつての闘技場コロセウムを彷彿とさせる東京ドームには「格闘技がよく似合う」とわたしは書いたのですが、その東京ドームも築30年を経て老朽化し、現在の水道橋から築地に移転する計画が明らかになっています。時代の流れを感じますね。