No.992


 観たい劇場映画がなかったこともあり、正月休みはネットフリックスにハマりました。ネットフリックス・オリジナルのイギリス映画「ドント・ムーブ」も観ました。いわゆるサバイバル・サスペンスなのですが、主人公が筋弛緩剤を打たれて動けなくなるというアイデアが斬新でしたね。ラストで、グリーフケアが実現したのも良かった!
 
「ドント・ムーブ」は2024年10月15日からネットフリックスで配信がスタートしたサスペンス映画ですが、製作はホラー映画の巨匠であるサム・ライミ。監督はブライアン・ネット、アダム・シンドラー。脚本は、T・J・シンフェル、デヴィッド・ホワイト。出演は、フィン・ウィントロック、ケルシー・チャウ、モレイ・トレッドウェル、ダニエル・フランシスとなっています。
 
 Filmarksの「あらすじ」には、「悲しみに暮れる女性が、苦痛から逃れようと人里離れた森の奥地に来ていた。そこで出会った見知らぬ男に、筋弛緩剤を打たれてしまう。徐々に体の自由が奪われていく中で、彼女が生き延びるためには、全身の神経組織が完全に停止してしまう前に、逃げて、身を隠し、戦わなければならない」とあります。
わが子を亡くした悲しみに暮れるアイリス



 ネタバレにならないように気をつけて、グリーフ関連の箇所だけ感想を述べます。映画の冒頭、憂うつな表情をした主人公アイリス(ケルシー・チャウ)が夫を残したままベッドから起きて、車に乗り込みます。彼女はマッセイ・ビッグサー州立公園に向かい、その壮大な山岳地帯の崖に立ちました。彼女の息子・マテオはこの場所で転落死しており、アイリスも後を追って飛び降りようとします。
アイリスの自殺を思い止まらせるリチャード



 しかしそこへ、リチャード(フィン・ウィットロック)という男性が現れ、話しかけます。彼もまた、自分が運転していた車で事故を起こしてしまい、最愛の恋人・クロエを失ったのだと告白。自殺を思いとどまるように話したわけではありませんが、アイリスは崖から離れ、彼と共に山を降りるのでした。飛び降り自殺をしようとしている人に思い止まるように説得するのは難しいものです。しかし、アイリスはリチャードの悲嘆に共感し、「今日は死ぬのを止めよう」と思うのでした。これは悲嘆者同士の縁である「悲縁」が発動した場面であると思いました。
愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)



 拙著『愛する人を亡くした人へ』(PHP文庫)で、ユダヤ教のラビ(指導者)でアメリカのグリーフ・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をアレンジして、わたしは「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」と書きました。わが子を亡くしたアイリスは自身の未来を、リチャードは自分の一部を失ったわけです。幼い子どもを亡くした人は、絶望から立ち直るのに10年かかるとされていますが、特にアイリスの悲しみは深かったのです。
亡くした恋人の話題に動揺するリチャード



 そのアイリスが「これでお別れね」とリチャードに言って車に乗り込もうとすると、リチャードの車がピッタリと横付けされており運転席が開けなくなっていました。不審に思うと、突然リチャードが折りたたみ傘型のスタンガンで襲い掛かり、アイリスは気絶してしまいます。目を覚ましたアイリスは、拘束され車で運ばれていました。リチャードは殺人鬼だったのです。その後、機転を利かせて逃げ出したアイリスですが、結局はリチャードに捕まります。何を訴えても聞く耳を持たないリチャードでしたが、恋人のクロエを失ったときの話題を持ち出すと、彼の心は揺らぎ、目には涙が浮かびます。ここでも「悲縁」というものが人間の心に強い影響を与えることが描かれていました。
 
 スタンガンで眠らされたアイリスが車中で目を覚ましたとき、リチャードは「筋弛緩剤を打ってある。20分後、お前は声も出せなくなるんだぞ」と脅しました。そのような状況で殺人鬼からいかに逃げるかが映画「ドント・ムーブ」のテーマですが、これは非常にスリリングでサスペンス映画としては優れていました。また、動けないシチュエーションで生存のために行動するヒントに溢れていました。別に筋弛緩剤を打たれなくても、脳梗塞になったり、縄やガムテープで拘束されたり、身体が動かせない状況というのはいくらでも考えられます。そんな時でも「どうやって生き残るか」というサバイバルの知恵を学べます。
 
 途中、逃亡中のアイリスを助けようとした老人や警官の末路が気の毒でしたが、他人にコンパッションを示したことが仇となる悲劇というのは、やりきれませんね。そもそも、リチャードも自殺しようとするアイリスを思い止まらせようとしました。アイリスはそれを彼のコンパッションだと受け取ったことでしょう。コンパッションを悪用した犯罪は、絶対に許すことができません。特に、他人のグリーフに乗じた犯罪が起きないように、グリーフケアに関わる者は重々注意しなければならないと思いました。
 
「ドント・ムーブ」という映画で最も興味深かったことは、最初はわが子を亡くした悲しみのあまり自ら命を断とうとしたアイリスが、必死になって殺人鬼から逃げまわって「生きよう」としたことです。自殺しようと川べりに立っていた人間が誤って足を滑らせて川に落ちたら、助かろうと必死になって泳ぎ出すという話はよく聞きますが、いくら「こころ」が死のうと思っても「からだ」は本能で生きようとするのでしょうね。そこのところを「ドント・ムーブ」はうまく描いており、それは最後のセリフに見事に表現されていました。1月17日から全国公開される映画「君の忘れ方」も、グリーフケアを描いた作品でありながら、ミステリーの要素もあります。どうぞ、お楽しみに!