No.997
1月15日は朝から水天宮のホテルでいろいろ打ち合わせ。午後は銀座で出版関係の打ち合わせをしてから、シネスイッチ銀座でスイス・ドイツ・フランス・日本の合作映画である「不思議の国のシドニ」を観ました。ネットでの評価は低いですが、面白かったです。わたし好みの映画でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「日本を訪れたフランス人女性が人生の新たな一歩を踏み出すドラマ。日本の出版社から招聘されたフランス人作家が、京都、奈良、直島を旅しながら、さまざまな人々と交流していく。メガホンを取るのは『静かなふたり』などのエリーズ・ジラール。『エル ELLE』などのイザベル・ユペール、『汚れた心』などの伊原剛志、『復讐者たち』などのアウグスト・ディールらが出演する」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「フランス人の作家シドニ(イザベル・ユペール)は、日本の出版社に招かれ、未知の国である日本に降り立つ。不安を覚えながらも寡黙な編集者・溝口(伊原剛志)に案内され京都、奈良、直島を旅しながら、さまざまな読者と対話する彼女の前に、亡くなった夫アントワーヌ(アウグスト・ディール)の幽霊が現れる。
この「不思議の国のシドニ」という映画、フランス人作家が訪れた日本が舞台なのですが、ちょっと日本の描き方が?でしたね。とくに、冒頭の関西国際空港で誘導の係員が一様に腕を振り回しているシュールなシーンとか、鬼瓦権蔵みたいな手荷物検査の職員の描き方が極端で悪意を感じました。エリーズ・ジラール監督が来日した際の体験も多く投影されているそうですが、疑問が残ります。主演のイザベル・ユペールは「奇跡のような撮影期間でした。奈良では観光客が一人もいない中、すぐ近くで鹿と戯れることができて、すごく印象に残っています」と語ります。
また、ユペールは「直島も噂には聞いていて、フェリーで海を渡っていくという体験も素晴らしかったですし、着いたら美術館があって、撮影を通してその場所を見学できたことがとてもいい体験になりました」と日本で過ごした日々を懐かしんでいます。彼女は「私たちがイメージする日本は、この映画で描かれているような優美な日本なんです。だからそれを感じてほしい」「日本という国は私たちにとって、とても遠い国でありつつ、同時に近しい存在でもあります。シドニという人物は、遠い国で自分をもう一度再発見する旅に出ました。そういう物語ですので、繊細な風景の中でのシドニの心の旅路をぜひ、観てください」とも語っています。
日本でシドニを迎え、各地を案内する編集者の名前は"溝口健三"というのですが、これは明らかに溝口健二監督へのオマージュと言えます。映画評論家の和田隆氏は、大阪の街を一望するカメラがゆっくりとパンしていく冒頭から、直島の海を捉えたショットなど要所に溝口作品を想起させると指摘しています。溝口の代表作といえば、「雨月物語」(1953年)です。同作は怪奇映画の短編アンソロジーですが、その中の1編「浅茅が宿」は夫が亡霊となった妻に再会する話ですが、「不思議の国のシドニ」では妻が夫の亡霊と再会する物語となっています。全編フランス語で会話した伊原剛演じる溝口が「われわれは幽霊によって助けられている」と言うセリフがありますが、それは、拙著『唯葬論』(三五館・サンガ文庫)で訴えたメッセージに通じる世界観でした。シドニと溝口が黒い服を着て寺院を回るのも、喪服姿で葬儀に参列しているように見えます。
『唯葬論』(サンガ文庫)
今年2025年は戦後80年、昭和100年のメモリアル・イヤーです。わたしは、「沖縄論」「広島論」「長崎論」「靖国論」を含んだ『死者とともに生きる』(仮題、産経新聞出版)という本を上梓する予定ですが、映画「不思議の国のシドニ」から多くをインスパイアされました。和田氏は、「シドニの最愛の夫アントワーヌを幽霊(幻影)として登場させてしまうに至っては、本作が亡き者へ思いを巡らせる哀悼の作品であり、溝口監督『雨月物語』の終盤の有名なシーンと重なることに気づく」「日本文化と伝統に触れることで、信仰と死者との関係をシドニは次第に受け入れていき、愛するものを失った深い喪失感と、自分だけ生き残ってしまったという罪悪感や後悔が健三と共鳴。夫の死から長らく執筆できずにいたシドニは、異国の地で彼を"あちら側"へ改めて見送ることで、止まっていた時間が動きだし、新たな一歩を踏み出そうとする」と書いています。そう、「不思議の国のシドニ」はまさにグリーフケア映画なのでした。
「不思議の国のシドニ」では、シドニの行く先々に亡き夫アントワーヌの幽霊が現れます。旅と配偶者の幽霊という設定から、わたしは 一条真也の映画館「岸辺の旅」で紹介した日本映画を思い出しました。黒沢清監督がメガホンを取った2015年の名作です。「岸辺の旅」では、冒頭からいきなり死者が日常生活の中に登場します。深津絵里扮するピアノ教師・瑞希(深津絵里)のもとに、3年前に自殺している夫の優介(浅野忠信)がふらりと現れるのです。それは亡き夫の生前の好物であった白玉を妻が作っていたときでした。死者である優介の出現に瑞希はさほど驚かず、「おかえりなさい」と言います。そして、2人は死後の優介の足跡をたどる旅に出て、かつて優介が交流した人々と再会するのでした。ジェントルゴースト・ストーリーの名作で、「SHOGUN 将軍」の名演技でゴールデングローブ賞の最優秀男優賞に輝いた浅野忠信の存在感が光ります。
シドニを演じたイザベル・ユペールはなかなか美しく、伊原剛志とのラブシーンもサマになっていましたが、1953年生まれで現在71歳と知って、ビックリ! 思わず「あんたは魔女か?!」と言いたくなりました。彼女の代表作は、ポール・ヴァーホーヴェンの異色のサスペンス映画「エル ELLE」(2017年)です。刺激的でアブノーマルな才能が互いを高め合い、世界初の気品あふれる変態ムービーとされる作品です。この作品で初のアカデミー賞主演女優賞ノミネートを果たしました。新鋭ゲーム会社の社長を務めるミシェル(イザベル・ユペール)は、一人暮らしの瀟洒な自宅で覆面の男に襲われます。その後も、送り主不明の嫌がらせのメールが届き、誰かが留守中に侵入した形跡が残されます。自分の生活リズムを把握しているかのような犯行に、周囲を怪しむミシェル。父親にまつわる過去の衝撃的な事件から、警察に関わりたくない彼女は、自ら犯人を探し始めます。次第に明かされていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性でした。
最後に、エリーズ・ジラール監督は「日本で撮影したきっかけを教えてください」というインタビュアーの質問に対して、「日本の文化の中には、幽霊や亡霊がたくさん存在する。私が知ってる日本の古典映画の中にも幽霊がたくさん出てきますが、それはやっぱりこのサイレントな空気感があるからこそ"幽霊"というものが出現できるんじゃないかなと思ってるんです」と語っています。この映画は日本を紹介する観光映画の要素もありますが、やはり「幽霊」というのがキーワードだと思います。監督は「日本の文化の中には、幽霊や亡霊がたくさん存在する」と言っていますが、日本に限らず、海外旅行というもの自体に幽霊との親和性が高いのではないでしょうか。というのも、遠くの海外に行くという空間的問題、時差があるという時間的問題を考慮すると、海外旅行というのは「時空を歪める」行為だと言えます。その歪んだ時空の中から死者の姿が顔を出すのではないかと思いました。
この日の「シネスイッチ銀座」の入口で
そして、この日、忘れ得ぬ出来事がありました。久々に訪れたシネスイッチ銀座に17日から公開される日本映画「君の忘れ方」のポスターがたくさん飾られており、「不思議の国のシドニ」の上映前に「君の忘れ方」の予告編が流れたことです。予告編の冒頭にはフューネラルディレクター役の小生の姿が映り、最後には原案者として小生の名前もスクリーンに映っていました。「君の忘れ方」の原案書である『愛する人を亡くした人へ』 (現代書林・PHP文庫)を書いたのは2007年で、今から18年前ですが、当時は「グリーフケア」という言葉を知る人はほとんどいませんでした。それが今では時代のキーワードとなり、映画化までされて日本で最も中心地にある映画館で上映されるまでになったのです。わたしは、しみじみと感動しました。日本にグリーフケアが芽生えたとされる阪神淡路大震災の発生から30年目となる2025年1月17日、「君の忘れ方」がいよいよ全国公開されます!
『愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)