No.996
東京に来ています。1月14日の夕方、有楽町で映画関係者と打ち合わせの後、ジョージア・スイス映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」をヒューマントラストシネマ有楽町で鑑賞。ネットでの評価は低いのですが、なんとも奇妙な映画でした。あまり一般受けはしませんね。
ヤフーの「解説」には、「タムタ・メラシュヴィリの小説を実写化し、第76回カンヌ国際映画祭などで上映されたドラマ。人生で初めて男性と肉体関係を持った中年の女性が、その体験をきっかけに人生を変えていく。メガホンを取るのはエレネ・ナヴェリアニ。エカ・チャヴレイシュヴィリ、テミコ・チチナゼらが出演する」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ジョージアの小さな村に暮らす48歳の女性エテロ(エカ・チャヴレイシュヴィリ)は、両親と兄を亡くし、日用品店を営みながら一人で暮らしている。独身生活が長いことから、村の女性たちのうわさの的になっているが、エテロはブラックベリーを摘んでジャムを作ることを楽しみに日々を過ごしていた。ある日、崖から足を踏み外したことで死を強く意識したエテロは、ふとしたことから人生で初めて男性と体を重ねる。それをきっかけに、彼女の人生は大きく変化し始める」となっています。
うーん、この映画は、正直言って、感想が述べにくい作品です。48歳で処女を喪失する女性の話ですが、「ベッドシーンは美しくなければならない」と思い込んでいるわたしにとって、この映画のそれはけっして美しいとはお世辞にも言えないものでした。でも、圧倒的なリアリティがありました。「人生のほんとうは、こんなものだ!」という有無を言わせぬ迫力がありました。それはもう、気持ちのいいくらいのド迫力でした。
中高年のラブストーリーということでは、一条真也の映画館「枯れ葉」で紹介したアキ・カウリスマキ監督のフィンランド映画を思い出しました。第76回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、2023年国際批評家連盟賞年間グランプリにも選ばれ、アカデミー賞国際長篇映画賞部門のフィンランド代表にも選出された作品です。フィンランドのヘルシンキを舞台に、孤独な男女がかけがえのない愛を見つけようとする姿を描いています。ある晩、カラオケバーで出会った男女は、互いの名前も知らないまま恋に落ちます。しかし不運な偶然と厳しい現実によって、そんなささやかな幸福さえ彼らの前から遠のいてしまうのでした。「枯れ葉」に登場する人々はけっして社会的に恵まれておらず、むしろ最低賃金の不定期労働に就いていたり、アルコール依存症であったりと不幸な人生ともいえるのですが、全編を通じて何とも幸福感のようなものが漂っています。
「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」や「枯れ葉」に登場する男女は、40代後半から50代前半ぐらいです。けっして若くはありません。「人生の秋」という表現が映画の中でも使われますが、まさにそんな感じです。わたしは、一条真也の映画館「男と女 人生最良の日々」で紹介した2019年のクロード・ルルーシュ監督のフランス映画も連想しました。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した名作ロマンス「男と女」(1966年)の53年後を描いたラブストーリーで、かつて熱い恋に落ちた男女のその後の人生を描きます。これは「人生の秋」も過ぎた「人生の冬」の恋愛ドラマです。ハリウッド映画では絶対にありえない、老人同士の会話と回想のみで名作が完成したこと自体が奇跡的であり、大いに感動しました。
「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」に話を戻しましょう。主人公エテロと身体を重ねた男性が、「君は恋をしたことがあるのか?」と問うシーンがあります。エテロは「あるわ」と答えるのですが、その相手は女性でした。48歳になるまで処女だった彼女の初恋の相手は女性だったのです。昨今、LGBTQの問題が社会的に受け止められていることは、わたしだってよく知っています。でも、日本でその認知が進まないのは、「人類史上最悪の性犯罪者」と呼ばれる故ジャニー喜多川氏の同性に対する性加害問題がることもよく知っています。
現在、日本において渦中の人物である中居正弘氏が、恩師である故ジャニー喜多川氏の遺骨を持ち歩いているという噂があります。もちろん、あくまでも噂であって真実がどうかはわかりません。でも、故人と中居氏との強い絆を印象づけるものです。ネタバレ承知で言うと、この映画の最後には女性にとって最大のリアルである「妊娠」というインパクトが描かれています。それを見て、わたしは大きな衝撃を受けましたが、同時に女性に中絶を強要するような男性がいたとしたら許せないなと思いました。