No.820
東京に来ています。
12月19日、銀座で出版関係の打ち合わせをした後、角川シネマ有楽町でフィンランド映画「枯れ葉」を鑑賞。第76回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、2023年国際批評家連盟賞年間グランプリにも選ばれ、アカデミー賞国際長篇映画賞部門のフィンランド代表にも選出されています。上映時間が81分と短いですが、とても内容が濃く、心が温かくなる素晴らしい作品でした。クリスマス・シーズンに観るなら、こういう映画に限ります!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ル・アーヴルの靴みがき』などのアキ・カウリスマキ監督によるラブストーリー。フィンランドのヘルシンキを舞台に、孤独な男女がかけがえのない愛を見つけようとする姿を描く。『TOVE/トーベ』などのアルマ・ポウスティ、『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』などのユッシ・ヴァタネン、カウリスマキ監督作『希望のかなた』などのヤンネ・フーティアイネンとヌップ・コイヴらが出演。社会の片隅で懸命に生きる労働者たちを巡るストーリーは、第76回カンヌ国際映画祭で審査員賞を獲得した」
ヤフーの「あらすじ」は、「北欧フィンランドの首都・ヘルシンキ。アンサは理不尽な理由で職を失い、酒浸りのホラッパは建設現場で働いていた。ある晩、カラオケバーで出会った二人は、互いの名前も知らないまま恋に落ちる。しかし不運な偶然と厳しい現実によって、そんなささやかな幸福さえ彼らの前から遠のいてしまう」です。
映画評論家の町山智浩氏は、この映画について、「何よりも素晴らしいのは上映時間が81分と短いこと。最近の映画はすぐ3時間ぐらいになりますから」と言っていましたが、まったく同感です。町山氏は「大学の講義だって1コマ90分でしょう」とも言っていましたが、そういえば、人間が集中して観たり聴いたりできる限界は90分だとされています。だから講義だけでなく講演だって90分以内に設定されているのです。わたしも81分という上映時間なら、途中でトイレにも行きたくならず、眠くもならず、夢中になって映画を観ることができました。これって、すごく大事なことかもしれませんね。
「枯れ葉」に登場する人々はけっして社会的に恵まれておらず、むしろ最低賃金の不定期労働に就いていたり、アルコール依存症であったりと不幸な人生ともいえるのですが、全編を通じて何とも幸福感のようなものが漂っている不思議な映画です。これは、この映画の舞台であるフィンランドが6年連続で「世界幸福度ランキング」の1位にランクインしていることと関係があるかもしれません。毎年このランキングを発表している世界幸福度報告(World Happiness Report)によると、ほとんどのフィンランド人は、財布を落としてもそれが返ってくると考えているそうです。
「枯れ葉」がフィンランド映画だと知って、わたしは「生まれて初めて観た」と思っていましたが、一条真也の映画館「SISU/シス 不死身の男」で紹介した映画もフィンランド映画であることに気づきました。11月20日の鑑賞なので、ちょうど1カ月前ですね。第2次世界大戦末期の1944年、ナチスドイツに国土を焼き払われたフィンランドで、金塊を掘り当てた老兵アアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)はいてつく荒野を旅する途中、ブルーノ・ヘルドルフ中尉(アクセル・ヘニー)率いるナチスドイツの戦車隊に遭遇し、金塊も命も奪われそうになります。かつて祖国に侵攻したソ連兵を撃退した伝説の兵士であるアアタミは、持っていた1本のツルハシと不屈の精神"SISU"を武器に、次々と敵を血祭りに上げていくのでした。
フィンランドといえば、サンタクロースの故郷として知られ、ディズニー・アニメ「アナと雪の女王」の舞台でもありますが、ファンタジー文学の金字塔である『ムーミン』の国です。『ムーミン』の作者トーベ・ヤンソンの人生を描いた映画が「TOVE/トーベ」(2020年)です。著名な彫刻家でもある厳格な父と対立し、さまざまな経験を経て、自由を渇望するトーベの強い思いはムーミンの物語とともに大きく膨らんでゆきます。そんな中、彼女は舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーと出会い激しい恋に落ちます。それはムーミンの物語、そしてトーベ自身の運命の歯車が大きく動き始めた瞬間でした。主人公のトーベを演じたアルマ・ポウスティこそは、映画「枯れ葉」でヒロインのアンサを演じたフィンランドの国民的女優です。
「枯れ葉」でアルコール依存症の労働者ホラッパを演じたのは、ユッシ・ヴァタネン。1978年生まれの彼は、フィンランドで史上最高の興収を記録したアク・ロウヒミエス監督の「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」(2017年)に主演して高い評価を得ました。同作は、1941年から1944年にかけて繰り広げられたフィンランドとソ連の継続戦争を題材にしたドラマです。1941年、前年にソ連との"冬戦争"に敗れ、領土の一部を失ったフィンランドはソ連から領土を取り戻すためにソ連に進攻、"継続戦争"が勃発。この戦争でフィンランドは400万の人口に対して50万の軍隊を組織、さらには近隣諸国で唯一ソ連と敵対しているナチス・ドイツと手を組み、強大なソ連相手に戦いを挑むのでした。
「枯れ葉」に登場する男女は、40代後半から50代前半ぐらいでしょうか。けっして若くはありません。「人生の秋」という表現が映画の中でも使われますが、まさにそんな感じです。じつは、一条真也の映画館「ポトフ 美食家と料理人」で紹介したフランス映画にも同様の表現が出てきました。「枯れ葉」を観る前日に観た「ポトフ」ですが、人生の秋に結婚する男女の物語なのです。舞台は、19世紀末のフランス。美食家のドダン(ブノワ・マジメル)が彼のアイデアを完璧に再現する料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)と共に、シンプルな料理であるポトフでユーラシア皇太子をもてなそうとするのでした。
「枯れ葉」を観ながら、わたしは「ポトフ 美食家と料理人」と同じフランスの恋愛映画も連想しました。一条真也の映画館「男と女 人生最良の日々」で紹介した2019年のクロード・ルルーシュ監督作品です。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した名作ロマンス「男と女」(1966年)の53年後を描いたラブストーリーで、かつて熱い恋に落ちた男女のその後の人生を描きます。これは「人生の秋」も過ぎた「人生の冬」の恋愛ドラマです。ハリウッド映画では絶対にありえない、老人同士の会話と回想のみで名作が完成したこと自体が奇跡的であり、大いに感動しました。また、わたし自身の人生の修め方についても想いを馳せることができました。それにしても、「男と女 人生最良の日々」や「枯れ葉」のような大人の恋愛映画を愛する人と一緒に観る以上の幸せはないと思いますね。
「人生の秋」にしろ、「人生の冬」にしろ、人は何歳になっても誰かを愛することによって人生が豊かになります。ちょうど、モノクロの画面がカラーに変わるように。「人生の冬」の先には「死」がありますが、「愛」と「死」こそは人生の2大テーマです。「枯れ葉」では、ラジオからロシアのウクライナ侵攻のニュースが流れ続けます。子どもを含む、罪もない市民たちが殺され続ける状況に、アンサは「ひどい戦争!」と思わず激昂してしまいます。映画「枯れ葉」は、このように人が死に続けるニュースの中で、ささやかな愛を育んでいく物語ですが、まさに「愛」と「死」の2大テーマを描いているわけです。
映画「枯れ葉」の中では、ピョートル・チャイコフスキーの「悲愴」が流れます。正式な題名は「交響曲第6番ロ短調 作品74」で、チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲であり、彼が完成させた最後の交響曲です。「悲愴」という副題です。チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価されています。この曲のテーマは「人生」だそうですが、人生には悲しみが付きものであるということでしょう。ブログ「グリーフケア・トークショー」で紹介したように、今月16日、わたしは東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生と対話しましたが、そこで「人生とは悲しみの連続である」と語ったことを思い出しました。
ささやかな幸せを見つける(映画.comより)
「枯れ葉」の登場するアンサとホラッパにも悲しみが付きまとっています。結婚もせず、非正規労働者として不安定な生活を続けるアルサ。酒への依存に悩みながら工事現場で働くホラッパ。2人とも、幸福大国フィンランドの国民であるとはおもえないほど、華々しい冨や名声とは無縁です。彼らは、大きな権力や資本のシステムに抑圧される側なのです。しかし人間としての尊厳を失わず、生きる歓びを慎ましい日々の中で追い求めています。この映画は、基本的に悲しみの連続である人生の中にささやかな「幸せ」を見つけることの大切さを説いているように思えます。そう、ささやかな幸せは、スーパーで買ったスパーリングワインのミニボトルからでも得られるのです!
愛犬の名はチャップリン!(映画.comより)
映画「枯れ葉」を観ていて、すごく懐かしい感じがしました。「この懐かしさはどこから来ているのだろう?」と考えたら、映画のリズムとか間が小津安二郎の映画に似ていることに気づきました。小津の映画と同じく、「枯れ葉」の登場人物たちも感情を表に出さず、セリフを棒読みしているような印象を受けます。アキ・カウリスマキ監督は、公式コメントで「この映画では、我が家の神様、ブレッソン、小津、チャップリンへ、私のいささか小さな帽子を脱いでささやかな敬意を捧げてみました。しかしそれが無残にも失敗したのは全てが私の責任です」と述べています。やはり、カウリスマキ監督は小津のファンだったのですね! ちなみに、チャップリンとはアルサの愛犬の名前です。それを知ったときは、思わず笑ってしまいました。
この映画のエンドロールでは、タイトル通りに「枯れ葉」が流れます。もともとはマルセル・カルネ監督のフランス映画「夜の門」(1946年)でイヴ・モンタンが歌う挿入歌として用いられたシャンソンです。現在ではジャズのスタンダードナンバーとして知られる名曲ですが、まさに「人生の秋」から「人生の冬」へと向かっていく歌です。人は老い、死ぬ運命にある。それでも、人は幸せを求めて恋をする......わたしは、この名曲のメッセージをこのようにとらえています。この世界的名曲をタイトルに持つ映画「枯れ葉」は、人口は約550万人のフィンランド本国で動員20万人を突破し、カウリスマキ作品の中で最大の興行成績を記録しました。さらにフランスやドイツなど各国で会心のヒットを飛ばしているとか。この映画は、81分というコンパクトな時間の中で、人間にとって永遠のテーマを語っているのです!
愛する人と映画を一緒に観る幸せ!(映画.comより)