No.1020
2月21日、東京の西新橋で、理事長を務める一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の経営会議を終えた後、ノルウェー・パレスチナ合作のドキュメンタリー映画「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」をTOHOシネマズシャンテで観ました。パレスチナで今も繰り広げられている悲惨な現実を知り、言葉を失いました。
ヤフーの「解説」には、「第74回ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞とパノラマ部門観客賞を受賞したドキュメンタリー。イスラエル軍の占領が進む、ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区の様子を記録するパレスチナ人青年バーセル・アドラーと、イスラエル人ジャーナリストのユヴァル・アブラハームが育む友情を見つめる。アドラーとアブラハームのほか、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショールが監督を務める」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、「ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人居住地区、マサーフェル・ヤッタ。そこで生まれ育ったパレスチナ人の青年バーセル・アドラーは、イスラエル軍による占領と破壊が進む故郷の様子を幼いころからカメラに記録し、世界に発信することでイスラエル軍を止めようとしていた。そんな彼のもとにイスラエル人ジャーナリストのユヴァル・アブラハームが訪れ、協力する。彼らがお互いの境遇や思いを語り合って友情を育む一方で、イスラエル軍の破壊行為はエスカレートしていく」です。
この映画、緊迫のドキュメンタリーですが、危険地区での撮影ゆえに映像のブレなどが多く、観ていて気持ち悪くなるところもありました。マサーフェル・ヤッタにやってきたユヴァル・アブラハームに対して周囲が「君はアラブ人か?」と質問したところ「ユダヤ人だ」と答えたところに大いに驚き、また感動をおぼえました。命の保証もないのに、なんという勇気のある人物なのでしょう。また、アラブ人かユダヤ人か本人が申告しなければわからないぐらい外見にそれほどの違いがないことを知りました。アジア人でいえば、日本人・韓国人・中国人のような感じでしょうか。そんな人々が殺し合うのは本当に悲しいことです。
パレスチナ問題は、イスラエル人とパレスチナ人の間で続く暴力的な闘争についての問題です。イスラエルとパレスチナ自治政府の和平プロセスの一環として、この紛争を解決するためにさまざまな試みが行われてきましたが、依然解決がされていません。「世界で最も解決が難しい紛争」とも呼ばれています。その発祥を見てみると、1897年の第1回シオニスト会議や1917年のバルフォア宣言など、パレスチナにユダヤ人の祖国を作るという主張が公に宣言されたことで、この地域は初期の緊張状態にありました。当時、パレスチナには少数派のユダヤ人が住んでいましたが、アリーヤーによって人口は増加しました。
1917年のバルフォア宣言では、「パレスチナにユダヤ人のための国民の家を建設する」というイギリス政府の拘束力を含むパレスチナ委任統治が実施された後、緊張はユダヤ人とアラブ人の宗派間の対立に発展しました。イギリスの責任はきわめて重いです。この初期の紛争を解決しようとする試みは、1947年の国連パレスチナ分割決議と1948-1949年の第一次中東戦争をもたらす結果となり、より広範な中東戦争の始まりとなりました。現在のイスラエルとパレスチナの関係は、1967年の第三次中東戦争でイスラエル軍がパレスチナ自治区を占領したことで始まりました。現在にまで続く悪夢です。
今年は第二次世界大戦が終結してから80年目の節目の年ですが、80年ちょっと前までユダヤ人たちはドイツ人たちによって悲惨な目に遭っていました。また、ブログ「セプテンバー5」で紹介した映画に描かれたように今から53年前にはパレスチナのテロ組織によってイスラエルの人々が五輪開催中に殺されました。しかし、そのユダヤ人たちが現在は逆に加害者になっていることが悲しくて仕方がありません。2023年10月7日に開戦した、パレスチナのガザ地区を支配するイスラム主義組織のハマース(ハマス)とイスラエルとの間の戦争のことです。パレスチナ自治区ガザでは、避難所となっている学校がイスラエル軍の攻撃を受け、多くの子どもたちが死亡しました。朝の礼拝のため学校には多くの市民が集まっており、世界中の人々がイスラエルを非難しました。
この映画には、マサーフェル・ヤッタに住む子どもたちも多く出演しています。彼らが「わたしの家を壊さないで!」「ぼくの家を壊すな!」と泣き叫ぶ声が何度も聞こえ、胸が締めつけられる思いでした。家を失い、故郷を失うほど悲しいことはありません。まさに「故郷は他になし」です。しかし、家や故郷を失うのは戦争だけではありません。自然災害もそうです。パレスチナに比べて平和そのものの日本ですが、東日本大震災や能登半島地震などでは、多くの家屋が倒壊し、多くの人々が今も仮設住宅に住んでいます。映画の後半、マサーフェル・ヤッタに雪が降るシーンがありましたが、それを見ながら、大雪に見舞われている最中の能登半島の方々を心配している自分がいました。世界中のすべての人が平穏に暮らせますように。