No.1019


 2月21日は理事長を務める一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の経営会議に参加しましたが、この日は映画の新作公開ラッシュでもありました。朝一番で日本映画「ゆきてかへらぬ」をTOHOシネマズ日比谷のスペシャルシートで観ました。11番シアターは高齢の観客で満席でしたが、映画そのものは面白かったです。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「詩人・中原中也と文芸評論家・小林秀雄ら実在の男女3人の物語を描くドラマ。『雪に願うこと』などの根岸吉太郎がメガホンを取り、同監督と『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』で組んだ田中陽造が脚本を担当。才能あふれる二人の男の間で揺れ動く女優・長谷川泰子を『流浪の月』などの広瀬すず、後に詩人として名をはせる中原中也を『先生!口裂け女です!』などの木戸大聖、彼の友人で後に日本を代表する文芸評論家となる小林秀雄を『ゴールド・ボーイ』などの岡田将生が演じる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「大正時代の京都。20歳の新進女優・長谷川泰子(広瀬すず)は17歳の学生・中原中也(木戸大聖)と出会い、互いに惹かれ合った二人は共に暮らし始める。その後東京に引っ越した二人のもとを、中也の友人・小林秀雄(岡田将生)が訪ねてくる。彼は中也の詩人としての才能を誰よりも評価し、中也も批評の達人である秀雄に認められることを誇りに思っていたが、そんな二人の様子を目にした泰子は一人取り残されたような感覚を抱く。しかし秀雄もまた彼女に惹かれていたのだった」
 
 上映開始前、TOHOシネマズ日比谷の11番シアターの前に10人ほどの高齢者の男女が集まっていました。いずれも教養のありそうな老紳士、老婦人でしたが、どうも文芸サークルか何かのメンバーが一緒に映画鑑賞にやってきたという雰囲気でした。「東京の高齢者は洒落てるな」と思いましたが、その後、「この中にも恋仲のカップルがいるのかもしれない」と思いました。この映画の主人公は、広瀬すずが演じた女優の長谷川泰子です。1904年(明治37年)に生まれ、1993年(平成5年)に亡くなりました。松竹時代の芸名は、陸礼子。複数の著名な文化人・文学者との恋愛や交遊関係があり、文学史に名を残しています。中原中也、小林秀雄との"奇妙な三角関係"で知られます。泰子との恋と三角関係の苦悩が、中原中也を詩人にしたともいわれます。
 
「ゆきてかへらぬ」で長谷川泰子を演じた広瀬すず、中原中也を演じた木戸大聖、小林秀雄を演じた岡田将生の3人は良かったです。3人とも現代的な顔立ちなのですが、本当に大正時代の人間のように見えました。中原中也は詩人・歌人・翻訳家で、1907年(明治40年)に生まれ、1937年(昭和12年)に亡くなりました。代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待されていました。小学生時代は「神童」と呼ばれましたが、8歳のときに弟が脳膜炎により病死したことで文学に目覚めました。中也は30歳の若さで死去しましたが、生涯で350篇以上の詩を残した。長谷川泰子よりも3歳年下でしたが、映画では2人が手を繋いでローラースケートに興じるシーンが微笑ましかったです。

 一方の小林秀雄は文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家で、1902年(明治35年)に生まれ、1983年(昭和58年)に亡くなりました。日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者でした。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に影響を受ける。本居宣長の著作など近代以前の日本文学などにも造詣と鑑識眼を持っていました。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者と、夭折した中原中也と比べて輝かしい人生を歩んでいます。彼は中也の恋人であった泰子に横恋慕して奪ったわけですが、嫉妬深い男として映画では描かれており、「親友の彼女を奪っておきながら、2人に嫉妬するとは...盗人猛々しいとはこのことだな」と思いました。わたしは小林秀雄のファンなのですが、ちょっと見方が変わりましたね。
 
「ゆきてかへらぬ」を観て率直に思うのは「文学者というのはワガママな生き物だな」ということですが、小林秀雄や中原中也とほぼ同時代を生きた文学者に作家の太宰治がいます。「ゆきてかへらぬ」を観て、一条真也の映画館「人間失格 太宰治と3人の女たち」で紹介した2019年の日本映画を思い出しました。ベストセラーを連発する人気作家の太宰治(小栗旬)は、妻子がいながら作家志望の弟子・太田静子(沢尻エリカ)、夫を亡くした山崎富栄(二階堂ふみ)とも関係を持ち、さらに自殺未遂を繰り返すという型破りな生活を送っていました。そして太宰は、2人の愛人から子供がほしいと迫られる中、夫の才能を信じる妻・美知子(宮沢りえ)に支えられ、「人間に失格した男」をめぐる新作の執筆に取り掛かるのでした。

 中原中也とも小林秀雄とも別れた長谷川泰子は女優として一人立ちしていくのですが、撮影所で本番を待っている最中に秀雄から電話で中也の死が知らされます。泰子は意地を張って中也の死に顔も見ず、葬式にも行きません。もう遠い昔に忘れ去った恋の相手のはずなのに、1人になったとき泰子は泣き崩れます。そのシーンを見て、「悲しみとは遅れてやってくるものなのだ」と思いました。そして、イギリス・フランス映画「愛人 ラマン」(1992年)のラストシーンを思い出しました。フランスの小説家マルグリット・デュラスの自伝小説『ラマン』の映画化で、仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語っています。人種差別的偏見からフランス人の少女は中国人青年を見下していました。単なる金銭目的の"セフレ"の関係でしたが、本国に帰ることになって彼と別れたとき、どうしようもない彼への愛情が噴き出してきて彼女は船上で泣き崩れるのでした。

「ゆきてかへらぬ」は広瀬すずのための映画と言えますが、彼女は大正浪漫のファッションが本当によく似合いました。宇野千代とか岡本かの子といった女流作家もいつか演じてほしいですね。また、『たけくらべ』『野菊の墓』『伊豆の踊子』『潮騒』といった日本文学の名作を原作とした文芸映画のヒロインも合うと思いました。彼女は現在26歳なので、それらのヒロインを演じるには年齢的に難しいですが、谷崎潤一郎の『細雪』をはじめとした一連の名作に出演してほしいです。そうそう谷崎潤一郎といえば、佐藤春夫との間に有名な "妻譲渡事件"がありました。 谷崎は妻の妹であるせい子に惹かれて友人で谷崎の妻を同情していた佐藤春夫に妻を譲ると約束したのです。しかし、せい子に振られたため、谷崎は約束を反故にしましたが、最終的には妻と離婚して佐藤春夫に譲っています。この前代未聞の事件もぜひ映画化してほしいものです!