No.1033


 金沢に来ています。東日本大震災から14年目の3月11日の夜、サンレー北陸の本部会議メンバー全員で日本映画「35年目のラブレター」を観ました。劇場は、わが社のシネアドが流れるユナイテッドシネマ金沢でした。最高の感動作で、社長のわたしをはじめ、もう全員がボロ泣き。わたしたち以外の観客はおらず、貸し切り状態でしたが。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「一通のラブレターを巡る夫婦の実話をベースにした人間ドラマ。読み書きができないまま年齢を重ねた夫が、長年自分を支えてくれた妻に感謝を伝えるラブレターを書こうとする。監督・脚本は『今日も嫌がらせ弁当』などの塚本連平。主人公を『ディア・ドクター』などの笑福亭鶴瓶、彼の妻を『しあわせのパン』などの原田知世、若き日の二人を『溺れるナイフ』などの重岡大毅と上白石萌音が演じるほか、江口のりこ、笹野高史、安田顕らが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「貧しい生まれ故に十分な教育を受けられず、読み書きができないまま大人になった西畑保(重岡大毅)。やがて皎子(上白石萌音)と出会い結婚するも、読み書きができないことを彼女に打ち明けられずにいた。あるときその事実を皎子に知られてしまうが、彼女は保の手を取り『今日から私があなたの手になる』と告げる。月日が流れ65歳になった保(笑福亭鶴瓶)は、寄り添い支えてくれた皎子(原田知世)に感謝のラブレターを書きたいと考え、定年退職を機に夜間中学に通い始める」
 
 この映画は実話に基づくそうですが、戦後の日本に満足に小学校に通えず、読み書きができない人が多くいたことを知って軽い衝撃を受けました。わたしは読書や映画鑑賞が趣味であり、生きがいでもありますが、読み書きができなければ、本も読めないし、字幕付きの外国映画も楽しめません。自分がもし読み書きができなかったらと思うとゾッとします。しかし、80年前に終わった戦争の影響で義務教育も受けられなかった人がいたのです。この映画の主人公である西畑保は昭和10年生まれとのことで、昨年亡くなったわたしの父と同い年です。そのことを考えると、保に親近感が湧いてきました。
 
 夜間中学への入学をためらう保に、教師の谷山恵(安田顕)が「大丈夫。心配しないで」と言って入学を促し、以後もずっと保を励まし続けてくれました。彼は本当に尊敬すべき素晴らしい教師だと思います。夜間中学の生徒たちは何かの事情で義務教育を受けることができなかった老人や、貧しい国から出稼ぎに来て家族に仕送りをしている外国人、引きこもりの少女、コミュニケーション障害のある少年などでした。彼らはみな心の中に傷を持っていますが、その傷によって強い絆を育みます。そう、「きずな」の中には「きず」が入っています。教師の谷山でさえ、学級崩壊によって登校できなくなったという心の傷を抱えていました。彼らの出会いは「悲縁」によるものでした。
 
 この映画の主人公・西畑保を演じたのは笑福亭鶴瓶です。彼は「中居正広問題」の飛び火で良からぬ疑惑をかけられましたが、誤解は解けたようです。しかしながら、主演映画の公開直前に炎上したことは不運でした。スシローのCMキャラクターを務めていたことが騒動の元になった鶴瓶ですが、この映画では寿司職人を演じていました。彼の妻・皎子を演じた原田知世は最高の演技でした。笑うシーンも泣くシーンも良かった。この日、一緒に鑑賞したサンレー北陸の事業部長の郡取締役は原田知世と生年月日が同じで、昔から大ファンだそうです。紫雲閣事業部の大谷部長も「生まれて初めて買った写真集は『原田知世写真集』でした」というぐらいの大ファンだそうです。
 
「35年目のラブレター」は夫婦愛の物語です。この映画に登場する保と皎子の夫婦は、苦しい状況を一緒に乗り越え、お互いに相手を思いやり、助け合う理想の夫婦でした。映画を観ながら、わたしの心の中には「夫婦は世界で一番小さな互助会」という考えが浮かんでいました。結婚しておいて良かったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための相互扶助システムだと思います。保と皎子はともに戦争で親を亡くしており、戦災孤児同士という「きず」が「きずな」を生んで、育んでいきました。2人の縁はまさに「悲縁」から始まって「良縁」へと至ったのです。2人の娘たちも、ずっと両親を大切にし続けて立派でした。わたしにも2人の娘がいるので、胸が熱くなりました。世界最小の互助会は「夫婦互助会」ですが、次は「家族互助会」だと痛感しました。
 
悲縁」はグリーフケアを実現しますが、上級グリーフケア士でもある大谷部長は、この映画を観て、「あらためて手紙を書くという行為は『祈り』である、と思いました。キーワードを入力するだけでAIが文章をつくるデジタル化が加速する現代社会。そんな時代だからこそ人が書く言葉にこんなにも力があるのか、と心が揺さぶられました。大切な人に宛てた手紙とは、魂が言語化されたものであるのだとも気づかされました。東日本大震災から14年経った今日。震災によって家族や友人を亡くした人が、故人への想いを手紙に託して届ける『漂流ポスト』は今でもあるのだろうかと考えました。残された方の想いが亡き人に届きますように。そして残された方が孤立せずに、誰かが傍で寄り添ってくれていますように。この映画を観ながら、そう祈りました」とLINEしてくれました。
「日本一の名脇役」笹野高史さんと



 この映画に登場する人々は基本的に善人が多かったですが、若き日の保が読み書きをできないことを知っていじめたり、騙して借金をさせようとした悪人もいました。また、保が「何でもします。働かせて下さい!」と土下座して頼んでも「読み書きのできない者など雇えない」と断られ続けました。その中で、笹野高史が演じた寿司屋の大将・逸美だけはすべてを承知で保を雇い、ゼロから仕事を教え、簡単な文字を教えてくれました。さらには皎子との縁談まで紹介し、読み書きのできない引け目で結婚をためらう保の背中を押してくれました。保にとって、いくら感謝しても感謝しきれない恩人です。わたしは「日本一の名脇役」と呼ばれる笹野高史さんにお会いしたことがありますが、映画の中の逸美のように人情味溢れる方でした。
 
 映画の中で、保は自分が読み書きできないことを必死に隠そうとします。結婚後もしばらく隠していたことはちょっと驚きですが、それぐらい保にとっての心の傷になっていたのでしょう。わたしは、2008年のアメリカ・ドイツ合作映画「愛を読むひと」を連想しました。1958年のドイツ、15歳のマイケルは21歳も年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋に落ち、やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになり、愛を深めていきました。ある日、彼女は突然マイケルの前から姿を消し、数年後、法学専攻の大学生になったマイケル(デヴィッド・クロス)は、無期懲役の判決を受けるハンナと法廷で再会するのでした。ベルンハルト・シュリンクのベストセラー『朗読者』が原案ですが、かつて「文盲」と呼ばれた読み書きのできない人の苦悩を深く描いた名作です。
 
 わたしは、この映画をサンレー北陸の幹部メンバーと一緒に観れて、本当に良かったと思いました。というのも、わが社は「CSHW」のハートフル・サイクルというものを提唱しています。Compassion(思いやり)⇒Smile(笑顔)⇒Happy(幸せ)⇒Well-being(持続的幸福)を意味しています。コンパッションから始まったものは本来はウェルビーイングに至るのですが、この映画はまさにコンパッション映画であり、ウェルビーイング映画でした。ウェルビーイングという持続的幸福は「結婚」というものと深く関わっていることを再認識しました。このようなハートフル・ムービーを幹部が一緒に鑑賞したサンレー北陸の結束力は最高に強いです!
 
 出会いから35年目のクリスマスに保が皎子に渡そうとしたラブレターにも書かれていましたが、保は「おはようさん」「ありがとさん」「お疲れさん」といった皎子の口癖が大好きだったそうです。「さんというのは英語で太陽という意味だと知りました」「君はいつも太陽のように僕の心を明るくしてくれましたね」とも書かれていましたが、わが社のサンレー(SUNRAY)という社名も太陽光という意味であります。ぜひ、「CSHW」のハートフル・サイクルによって地域社会を明るくしたいものです。
父のことを思い出しました



 また、保は夜間中学の卒業式で「僕は、読み書きという普通のことができませんでした。でも、そのおかげで良いこともありました。この年齢で学校にも通えたし、新しい仲間もできた」と言うシーンがありますが、これは父の口癖であった「何事も陽にとらえる」ということそのものでした。その父と保がともに昭和10年生まれということが思い出されてました。父は千葉県の山奥に生まれましたが、苦労して勉強し、働きながら大学に進学し、国学や日本民俗学を学んで冠婚葬祭互助会を設立しました。そんな亡き父の笑顔が甦ってきて、映画鑑賞前にセブンイレブンで買っておいたタオルハンカチがビチョビチョに。やはり、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」でした。