No.1068
一条真也の映画館「ノスフェラトゥ」で紹介した映画に続き、ユナイテッドシネマなかま16で「ガール・ウィズ・ニードル」を観ました。デンマーク・スウェーデン・ポーランド合作の歴史サスペンス映画です。モノクロ作品ですが、非常に陰鬱で、ある意味、吸血鬼映画よりずっと怖かったですね。そして、ゴシック・ミステリー映画の大傑作でした!
ヤフーの「解説」には、「第1次世界大戦後のデンマークで実際に起きた殺人事件をモチーフに描くミステリー。身分違いの相手の子供を身ごもった女性が、違法に養子縁組をあっせんする女性と知り合う。監督などを手掛けるのはマグヌス・フォン・ホーン。『MISS OSAKA/ミス・オオサカ』などのヴィク・カルメン・ソンネ、『罪と女王』などのトリーヌ・ディルホムのほか、ベシーア・セシーリらがキャストに名を連ねている」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「第1次世界大戦後のコペンハーゲン。お針子として働いていたカロリーネ(ヴィク・カルメン・ソンネ)は、工場のオーナーと恋に落ちる。しかし身分違いの恋愛は成就することなく、カロリーネはオーナーに捨てられたうえに仕事まで失ってしまう。そのときすでに妊娠していた彼女は、無許可の養子縁組あっせん所を経営するダウマと出会う」となっています。
映画「ガール・ウィズ・ニードル」には、ヴィク・カルメン・ソンネが演じる主人公カロリーネが勤務する裁縫工場から出てくるシーンが登場します。これは、1895年に公開された短編モノクロ無声ドキュメンタリー映画「工場の出口」をそのまま再現した映像です。「工場の出口」の製作・監督はルイ・リュミエールで、世界初の実写商業映画であるとされています。「工場の出口」は、その日の仕事を終えた労働者たちがフランスのリヨン周辺にあるリュミエールの工場から出てくるシーンのみで構成されています。労働者たちは大抵女性ですが、ここに「ガール・ウィズ・ニードル」がこの映画を再現した大きな理由があります。雇用主が扉を開くまで外に出ることができない彼女たちの不自由さは、まさに社会の縮図でした。
主人公カロリーネは、第一次世界大戦後の混乱の中、コペンハーゲンの繊維工場で働く若い女性です。夫は第一次世界大戦に従軍したまま音信不通です。家賃を払えず住まいを追い出されるなど、彼女の生活は困窮していました。頼れる家族もなく、行き詰まった彼女は、寡婦手当の申請を依頼した職場の上司ヨルゲンと恋仲になります。妊娠した彼女はヨルゲンと結婚することが彼女の希望でしたが、その妊娠を知ったヨルゲンと彼の母親から拒絶されます。「あなたは息子の悪い虫」という残酷な母の一撃が彼女の希望を打ち砕くのでした。仕事も住まいも失ってしまったカロリーネは、社会から完全に孤立します。もはや家路に向かう工場の出口も彼女には存在せず、転落する彼女の姿は、女性に対する社会の冷酷さを描いています。
カロリーネがヨルゲンの子を身ごもって結婚を夢見ていたとき、死んだと思っていた彼女の夫が現れます。彼は戦争で顔を失い、不気味な仮面を被っていました。ヨルゲンとの結婚を望むカロリーヌは哀れな夫を見捨てますが、結局は彼女もヨルゲンから見捨てられます。ある日、夫が見世物小屋に出演していることを知ったカロリーヌは、化け物として仮面を取らされる夫の姿を見て、その口にキスをします。非常に残酷な場面でしたが、わたしは静かな感動をおぼえました。顔を失うことは最大のグリーフの1つでしょうが、その悲嘆に自身もグリーフの中にあったカロリーヌの心が共鳴したのでしょう。わたしは、昭和の頃に、繁華街などに立って浄財を求めていた傷痍軍人のことを思い出していました。
他にも、「ガール・ウィズ・ニードル」には目をそむけたくなるようなシーンがありました。特に、生まれたばかりの嬰児が犠牲になるところは、多くの観客にショックを与えたことと思います。元ネタとなったのは1913年から1920年にデンマークのコペンハーゲンでおきた「ダグマー・オーバーバイ事件」です。ダグマー・オーバーバイという中年女性が16人の嬰児を殺害したことを認めた事件でした。実際には少なくとも25人(我が子を含む)は殺害したと見られており、有罪となって死刑を宣告されています。しかし、後に終身刑に減刑されて、1929年5月6日に獄中で死亡しました。46歳でした。
ダグマー・オーバーバイ事件は、いわゆる「貰い子殺人」です。貰い子殺人は、古今東西に存在する忌まわしい犯罪です。不倫もしくは父親不明などといった何らかの事情により育てられない新生児を育てるといって貰い子にし、親から養育費を受け取った後で殺害する殺人です。海外では貰い子殺人を行う犯罪者を「ベビーファーマー」と呼びますが、日本でも昭和初期に大量にベビーファーマーが生まれました。第2次世界大戦後までの日本では、刑法で堕胎は違法とされ、人工中絶も合法化されていなかったため、不倫の子や父親不明の私生児が少なくありませんでした。特に、不倫の子の誕生は母親にとってはそれだけで離婚理由になるばかりでなく姦通罪で収監される危険があった。また、社会自体が貧しかったため、既に多くの子供のいる家庭では養うことはできない場合も多かったのです。
そのため昭和初期の日本では、育てられない新生児などを、ある程度の養育費をつけて貰い子、すなわち、里子に出す場合が少なくありませんでした。しかし、中には養育費目当てで貰い子を引受け、金銭受領後に邪魔になった新生児を殺害する者が存在したのです。被害者が新生児であるうえに、実親も多くは子供の運命に関心のないことが多かったことから事件が露見しにくく、大量殺人に至った場合も多かったのです。1933年(昭和8年)3月、東京都目黒区の西郷山で25人もの嬰児の死体が発見される「西郷山の大量貰い子殺人事件」が発生しました。この事件は、川俣初太郎という男性が1928年~1933年にかけて、赤子を産んだものの育てられなくなった母親から養育費と引き換えに赤子を預かり殺害。その死体を西郷山に埋めていたという事件です。エリートの道から外れ、私利私欲のために25人の罪なき嬰児を殺害した川俣は、事件発覚から1年半後の1934年(昭和9年)9月23日に死刑執行となっています。
また、戦後混乱期の只中にあった1948年(昭和23年)1月には「寿産院事件」が発覚しました。東京都新宿区の助産院「寿産院」(旧字体:壽產院)において、嬰児の大量殺人が発覚したのです。その主犯が出産に携わる助産婦であり、加えて養育料の横領や配給品の横流しによって大金を稼いでいた事実が判明し、社会に衝撃を与えました。その後も同様の事件が次々に発覚したため、産児制限を重視する声が高まり、優生保護法が制定される契機となりました。一方で、複数の職能団体の解散または分裂を引き起こしています。犯人の石川ミユキは寿産院(閉鎖)の家屋に住み続け、中の三畳三間の3部屋を貸し出そうとしていたといいます。また、「週刊新潮」の取材を受けた彼女は「首を絞めるなど手を下してはいない」「出来るだけ食事も与え、医師にも診せた」「ミルクが少なかった訳ではないが、夫がミルクを近所の大豆入りミルクと勝手に交換した」と涙ながらに冤罪を訴えたといいます。
世界史上最大級の貰い子殺人が、「アメリア・ダイアー事件」です。イギリスにおいて19世紀末に400人以上の子どもを殺した事件です。未婚の女性の生活苦につけ込み、経済的に育てられない子どもを手数料をとってひきとり、連続的に殺害しました。その遺体は、テムズ川に遺棄し、証拠隠滅を図っていました。単独犯による殺人としては、イギリス最大の事件といわれます。今日では未婚のまま子を産むのは珍しくありませんが、かつては職を失い、家を追い出されることもざらでした。貧しい者にとっては死活問題であり、私生児を殺さざるを得なかったのです。裕福な者は金を払って里子に出しました。これをビジネスにしていたのがアメリア・ダイアーという中年女性であり、里親になった彼女は子供を育てず、みんな殺してしまったのでした。アメリアは獄中で自殺を謀ったり、精神異常を申し立てたりしましたが、結局、死刑を宣告され、1896年6月10日に絞首刑に処されました。
最後に、「ガール・ウィズ・ニードル」という救いようのない不気味な映画を観て、わたしは2007年のイギリス・アメリカ映画「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」を連想しました。スティーヴン・ソンドハイムとヒュー・ホイーラーが手掛け、トニー賞を獲得した1979年の同名ミュージカルを原案にしたティム・バートン監督のミュージカル・ファンタジー・ホラー映画です。腕のいい理髪師ながら、愛用の西洋かみそりで客を次々殺めていくスウィーニー・トッド(ジョニー・デップ)と、それを助け犠牲者の肉をミートパイにしていたラヴェット夫人(ヘレナ・ボナム=カーター)を描く、ヴィクトリア朝のロンドン・フリート街を舞台とした物語です。スウィーニー・トッドは、19世紀中頃のさまざまなイギリスの怪奇小説に登場する架空の連続殺人者で、ロンドンのフリート街に理髪店を構えていました。
トッドの理髪店の椅子には仕掛けがしてあり、裕福な人物を地下に落として殺害し、身に着けていた金品を奪い取ります。また、得物として用いる剃刀で被害者の喉を掻っ切ってとどめを刺すのでした。もちろん、トッドとラヴェット夫人の犯罪は貰い子殺しではありませんが、全体を覆う暗さと陰鬱な犯罪の背景にある社会構造がよく似ています。そういえば、アメリア・ダイアー事件が同時代で、舞台もロンドンでした。ロンドンといえば「切り裂きジャック」も暗躍しました。1888年にロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯ですが、これもまさにアメリア・ダイアー事件と同時代でした。産業革命を実現させたイギリスですが、多くの貧困者も輩出し、さまざまな犯罪を産んできたのですね。