No.1067


 5月17日の土曜日の朝、実家で父の月命日に参加。その後、福岡県内の紫雲閣を回りました。途中の時間を利用して、アメリカ映画「ノスフェラトゥ」をユナイテッド・シネマなかま16で鑑賞。芸術的で、美しい吸血鬼映画でした。"THEゴシック・ロマンスホラー"といった印象で、いい感じです。ちなみに今年観た80本目の映画です。

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「1922年製作のF・W・ムルナウ監督による『吸血鬼ノスフェラトゥ』を、同作に多大な影響を受けたという『ライトハウス』などのロバート・エガース監督がリメイク。えたいの知れない存在がもたらす恐怖を描く。キャストには『IT/イット』シリーズなどのビル・スカルスガルド、『プラネタリウム』などのリリー=ローズ・デップのほか、エガース監督とは3度目のタッグとなるウィレム・デフォー、ニコラス・ホルト、アーロン・テイラー=ジョンソンらが集結。第97回アカデミー賞で撮影賞、美術賞など4部門にノミネートされた」

 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「不動産業者のトーマス・ハッター(ニコラス・ホルト)は、所有している城を売ろうとしているオルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)のもとへ向かう。トーマスの留守中、新妻のエレン(リリー=ローズ・デップ)は知人宅で過ごしていたが、あるときから夢の中に現れるえたいの知れない男の幻覚と、その恐怖感に悩まされるようになる。そんな折、トーマスとエレンが滞在する街で不可解な出来事が起こり始める」
 
「ノスフェラトゥ」とは、ずばりブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』のエピソードを登場人物の名前をすべて変えて描いた映画です。ここではドラキュラ伯爵はオルロック伯爵となっており、ビル・スカルスガルドが演じています。彼は廃城で暮らす謎めいた貴族ですが、正体は吸血鬼(ノスフェラトゥ)でした。生前は黒魔術に傾倒していましたが、悪魔の呪いで魂を死体に封じ込められたことでノスフェラトゥとなりました。太陽の光を浴びると消滅するため、死体が埋葬された「呪いの土地」の外に出ることができません。オルロック伯爵はドイツに移住するために同国内の不動産を探しているのですが、彼のもとを訪れたのが、ドイツの街ヴィスボルクに暮らし、不動産屋で働いているトーマス・ハッターという青年です。ニコラス・ホルトが演じましたが、『吸血鬼ドラキュラ』におけるジョナサン・ハーカーですね。

 トーマスの妻が、リリー=ローズ・デップが演じたエレン・ハッターです。孤独な幼少期を過ごし、そのころに守護天使に救いを求める願いをしたことでノスフェラトゥと精神的に結ばれてしまい、オルロック伯爵に狙われるようになります。『吸血鬼ドラキュラ』におけるミナ・ハーカーですが、彼女とオルロック伯爵の精神的な結びつきを理解する唯一の人物がいました。ウィレム・デフォーが演じたアルビン・エーバーハルト・フォン・フランツ教授です。『吸血鬼ドラキュラ』におけるヴァン・ヘルシングですね。スイスの哲学者で、錬金術・神秘主義・オカルトに精通しているフランツ教授は、エクソシストとなってエレンをノスフェラトゥから解放しようとします。最後は、エレンが自己犠牲の精神でノスフェラトゥの恐怖から人々を救うのですが、まるで宗教映画のようでした。
 
 このように『吸血鬼ドラキュラ』におけるドラキュラ伯爵はオルロック伯爵、ジョナサン・ハーカーはトーマス・ハッター、ミナ・ハーカーはエレン・ハッター、ヴァン・ヘルシング教授はアルビン・エーバーハルト・フォン・フランツ教授といった具合に、原作の登場人物の名前がすべて改変されている背景には、1922年の映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」が『吸血鬼ドラキュラ』の著者であるブラム・ストーカーの遺族と著作権をめぐってトラブルを起こした事実がありました。その後、ユニヴァーサル社によって無数のドラキュラ映画が作られたことは有名であり、本作「ノスフェラトゥ」も同社の製作です。ヨーロッパの辺境から帝都ロンドンへ...1897年に発表された『吸血鬼ドラキュラ』は不死者と人間の果てしのない闘いを描き、時代を越えて読み継がれる吸血鬼小説の古典です。

 1922年に製作された「吸血鬼ノスフェラトゥ」は、F・W・ムルナウによるドイツ表現主義・サイレント映画です。最初期の吸血鬼映画の1つであり、吸血鬼オルロック伯爵をマックス・シュレックが演じました。1897年に出版されたブラム・ストーカーの怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』を非公式に映画化したものです。ドラキュラ伯爵がオルロック伯爵に改名されるなど、原作からの変更点があります。いくつかのディテール変更にもかかわらず、ストーカーの相続人はこの映画化について著作権で訴訟を起こしました。結果、裁判所は映画のすべてのネガとプリントを破棄するよう命じました。しかし、本作のプリントはわずかに残り、後世に影響を与えた傑作とされています。

 1978年には、ヴェルナー・ヘルツォークの脚本・監督によるドイツ映画「ノスフェラトゥ」が制作されました。1922年の「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクで、19世紀のドイツのヴィスマールとルーマニアのトランシルバニアが主な舞台となっています。脚本・監督はヴェルナー・ヘルツォークが担当し、主人公のドラキュラ伯爵はクラウス・キンスキーが演じました。批評家や映画好きに温かく受け入れられて商業的にも成功した本作は、ヘルツォークとキンスキーがコンビを組んだ5作品のうち2作目に当たり、同年には同じく2人による「ヴォイツェク」も公開されました。なお、アウグスト・カミニートが1988年に監督した作品に「ノスフェラトゥ・イン・ベニス」という作品がありますが、キンスキーが出演したこと以外に本作との関連はありません。
 
 また、「吸血鬼ノスフェラトゥ」をベースに「主演のマックス・シュレックは本当に吸血鬼だった」とするアメリカ映画「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」が2000年に制作されました。監督はE・エリアス・マーヒッジで、ニコラス・ケイジがプロデューサーの1人に名前を連ねています。1922年のドイツ。映画監督のF・W・ムルナウは新作の「吸血鬼ノスフェラトゥ」撮影のため、キャストやクルー達と共に人里離れたチェコの古城にやってきました。ムルナウはクルーたちに、主演の吸血鬼を演じるマックス・シュレックという俳優は舞台出身で、役にのめり込むためメイクアップをして吸血鬼になりきってからでないと皆の前に姿を現さないと説明したのでした。

 本作「ノスフェラトゥ」を製作したユニヴァーサル・ピクチャーズは、一条真也の映画館「ドラキュラ デメテル号最期の航海」で紹介した吸血鬼映画を2023年に作っています。『吸血鬼ドラキュラ』の第7章「デメテル号船長の航海日誌」の映画化ですが、原作において、デメテル号の到着は、物語の重要な要素になっています。これが英国に死をもたらすからです。医師のクレメンス(コーリー・ホーキンズ)は、ルーマニアのカルパチア地方からイギリスのロンドンまで謎の木箱50箱を運ぶためにチャーターされたデメテル号に乗り込みます。荘厳な雰囲気を放つデメテル号の航海中、積み荷の家畜が惨殺される事件が起き、クレメンスはその死体に何者かによる噛み跡を発見します。船内に不穏な空気が流れる中、赤い目と大きな牙、翼と尖った耳、青白い体という不気味な風貌をしたドラキュラ伯爵が現れ、乗組員を襲い始めるのでした。この恐怖の航海エピソードは、本作「ノスフェラトゥ」にも登場します。
 
 この船がヨーロッパの辺境から大都会へ吸血鬼を運ぶ「デメテル号船長の航海日誌」のエピソードは、映画「ノスフェラトゥ」でも描かれていました。そもそも、ノスフェラトゥとは何か。吸血鬼や不死者の意として使用されている"Nosferatu"という言葉の語源は"nosfur-atu"という古代スロヴァキアの言葉であり、それ自体もギリシャ語で「病気を含んだ」を意味する "νοσοφορος" が由来であるという説もあります。西ヨーロッパの人々に、吸血鬼は病気を運んでくるものと見なされていました。デメテル号は吸血鬼とともに大量のネズミも運び、その結果、ペストが蔓延しました。疫病という人類にとって最も忌むべきものの原因が吸血鬼、すなわちノスフェラトゥに求められたのです。
死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)



 最後に、拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、吸血鬼が不死の存在であることはグリーフケアにも関係していると思います。ヴァンパイアはいわば「死」を超越しているわけで、吸血鬼映画あるいはゾンビ映画とは究極の「死を乗り越える映画」なのかもしれませんね。同書には「 ホラー映画について」という一文も掲載されていますので、ぜひお読み下さい!