No.769


 東京に来ています。9月11日の朝、TOHOシネマズ日比谷で映画「ドラキュラ/デメテル号最期の航海」を観ました。ユニバーサルのダーク・ユニバースの流れを汲むと思われるモンスター映画の最新作で、なかなか面白かったです。ドラキュラの造形にはちょっと驚きました。
 
 ヤフー検索の「解説」には、こう書かれています。
「ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』のエピソードを実写化したホラー。ルーマニアからロンドンへ向かう船の乗組員たちが、船内に出現した吸血鬼によって恐怖にさらされる。監督は『MORTAL モータル』などのアンドレ・ウーヴレダル。『サバイブ 極限死闘』などのコーリー・ホーキンズ、『ウェイ・ダウン』などのリーアム・カニンガム、『ブギーマン』などのデヴィッド・ダストマルチャンのほか、アシュリン・フランチオージ、ハビエル・ボテット、ウディ・ノーマンらが出演する」
 
 ヤフー検索の「あらすじ」は、以下の通りです。
「医師のクレメンス(コーリー・ホーキンズ)は、ルーマニアのカルパチア地方からイギリスのロンドンまで謎の木箱50箱を運ぶためにチャーターされたデメテル号に乗り込む。荘厳な雰囲気を放つデメテル号での航海に胸を弾ませるクレメンスだが、積み荷の家畜が惨殺される事件が起き、クレメンスはその死体に何者かによるかみ跡を発見する。船内に不穏な空気が流れる中、赤い目と大きな牙、翼と尖った耳、青白い体という不気味な風貌をしたドラキュラが現れ、乗組員を襲い始める」
 
 原作は、アイルランド人作家ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)。この作品において、デメテル号という船の到着は、物語の重要な要素になっています。これが英国に死をもたらすからです。トランシルヴァニアの山中、星明かりを封じた暗雲をいただいて黒々と聳える荒れ果てた城。その城の主ドラキュラ伯爵こそは、昼は眠り夜は目覚め、狼やコウモリに姿を変じ、人々の生き血を求めて闇を徘徊する吸血鬼でした。ヨーロッパの辺境から帝都ロンドンへ、不死者と人間の果てしのない闘いが始まります。『吸血鬼ドラキュラ』は時代を越えて読み継がれる吸血鬼小説です。
 
「ドラキュラ/デメテル号最期の航海」は船という閉鎖空間の中で吸血鬼が暴れ回る恐怖を描いた映画ですが、登場するドラキュラの姿がこれまでのドラキュラ伯爵のイメージとは程遠い化け物でした。よく考えてみれば、これまでのドラキュラ映画に出てくる吸血鬼は美し過ぎたのかもしれません。この映画のドラキュラは吸血鬼というより悪魔、詳しく言えば、コウモリ人間のような姿をしています。いわば「リアル・バットマン」とでも呼ぶべき存在です。この醜い姿を見て、わたしは「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年)に出てくる吸血鬼を連想しました。
 
「吸血鬼ノスフェラトゥ」は、F・W・ムルナウによるドイツ表現主義・サイレント映画です。『吸血鬼ドラキュラ』を非公式に映画化したもので、最初期の吸血鬼映画の1つです。吸血鬼オルロック伯爵をマックス・シュレック(英語版)が演じました。ドラキュラ伯爵がオルロック伯爵に改名されるなど、原作からの変更点があります。いくつかのディテールが変更されたにもかかわらず、ブラム・ストーカーの相続人はこの映画化について訴訟を起こし、裁判所は、映画のすべてのネガとプリントを破棄するよう命じました。しかし、本作のプリントはわずかに残り、後世に影響を与えたと傑作とみなされています。
 
 ドラキュラの造形が最初期の吸血鬼映画に登場するノスフェラトゥに似ているということは、吸血鬼映画が「先祖返り」をしたと言えるのではないでしょうか。一条真也の読書館『ホラーの哲学』で紹介したアメリカの哲学者・美学者であるノエル・キャロルの著書は『吸血鬼ラキュラ』の「ジョナサン・ハーカーの日記」を取り上げて、著者は「ホラー作品では、鑑賞者の感情は主人公側の人間のキャラクターの感情を特定の点で(あらゆる点ではないが)反映することが期待される。ここまであげた例では、キャラクターの反応が教えてくれるのは、問題のモンスターに対する適切な反応は、震え、吐き気、身を縮めること、麻痺、悲鳴、拒絶から成るということだ。理想的には、わたしたちの反応は、キャラクターの反応に類似したものになることが意図されている」と述べています。
 
 また『ホラーの哲学』には、「わたしたちの反応はキャラクターの反応に近づく(ただし正確な複製というわけではない)ことが期待される。キャラクターと同じように、わたしたちはモンスターをホラーを与える種類のものとして評価する(ただし、キャラクターとちがって、わたしたちはその存在を信じていない)。また、この鏡像効果はホラージャンルの重要な特徴だ。なぜなら、鑑賞者の反応がキャラクターの感情状態の特定の要素を反復することが期待されるというのはあらゆるジャンルで成り立つことではないからだ」とも書かれています。
 
 ホラー物語の文脈で、モンスターは不浄で不潔なものと見られます。モンスターは腐敗していたり、崩れていたり、じめじめした場所からやってきたり、死肉や腐肉や化学廃棄物から作られていたり、害虫や病気、這い回るものと関連していたりすると指摘し、ノエル・キャロルは「モンスターは、非常に危険であるばかりではなく、鳥肌が立ちぞっとさせる。キャラクターは恐怖fearにくわえて嫌悪感loathing をもって、恐れterrorと嫌悪disgustの両方をもってモンスターを見るのだ」と述べます。まさに、「ドラキュラ/デメテル号最期の航海」に登場するドラキュラはそんなモンスターでした。
 
「ドラキュラ/デメテル号最期の航海」は、ユニバーサル・スタジオの礎を築くモンスターの世界の新たなる幕開けとなる「ダーク・ユニバース」シリーズの流れを組むホラー最新作です。一条真也の映画館「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」で紹介した2017年公開の第1弾は、トム・クルーズを主演としながらも、期待したほどのヒットになりませんでした。同作は、1932年製作の「ミイラ再生」を新たによみがえらせたアクションアドベンチャーで、エジプトの地下深くに埋められていた王女の覚醒と、それを機に始まる恐怖を活写しているのですが、あまり怖くなかったです。ホラー映画という感じではなかったですね。
 
 ダーク・ユニバースの第2弾は、一条真也の映画館「透明人間」で紹介した2020年の映画でした。一条真也の映画館「ゲット・アウト」で紹介した映画などのジェイソン・ブラムが製作を担当したサスペンスで、自殺した恋人が透明人間になって自分に近づいていると感じる女性の恐怖を描きました。天才科学者で富豪のエイドリアン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の恋人セシリア(エリザベス・モス)は、彼に支配される毎日を送っていました。ある日、一緒に暮らす豪邸から逃げ出し、幼なじみのジェームズ(オルディス・ホッジ)の家に身を隠します。やがてエイドリアンの兄で財産を管理するトム(マイケル・ドーマン)から、彼がセシリアの逃亡にショックを受けて自殺したと告げられるが、彼女はそれを信じられませんでした。
 
 ユニバーサルといえば、モンスター映画の老舗として知られますが、同社が「アヴェンジャーズ」や「ジャスティス・リーグ」ばりのフランチャイズ企画として立ち上げたのが「ダーク・ユニバース」でした。自社の財産である怪物キャラを再生させていくのが目的だと言えるでしょう。「ダーク・ユニバース」では、1920〜1950年代にユニバーサルが精力的に作っていた「ユニバーサル・モンスターズ」シリーズより、「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」「ミイラ再生」「透明人間」「フランケンシュタインの花嫁」「狼男」「オペラの怪人」「大アマゾンの半魚人」などの中からリブート作品を製作していく企画でした。SNS上では、ラッセル・クロウ、ハビエル・バルデム、トム・クルーズ、ジョニー・デップ、ソフィア・ブテラが一同に介した写真が公開されていますが、とんでもない豪華メンバーたちが新時代のモンスター映画で競演してくれると期待しました。
 
 その後、自社のモンスター映画を連続でリメイクする企画「ダーク・ユニバース」について、ユニバーサル・ピクチャーズ社のドナ・ラングリー会長が「失敗だった」と認めています。やはり、第1弾「ザ・マミー 呪われた砂漠の王」が興行的・批評的不振に終わったことで、構想そのものが一時凍結されてしまったのです。当初、一条真也の映画館「美女と野獣」で紹介した映画を手掛けたビル・コンドン監督が、1935年の名作「フランケンシュタインの花嫁」で新たにメガホンを取り、ハビエル・バルデムがフランケンシュタインを演じるという話がありましたが、まだ実現していません。また、ギレルモ・デル・トロ監督が「フランケンシュタイン」(1931年)のリメイク企画に着手したとか、ライアン・ゴズリングを主演に迎えて「狼男」(1941年)のリメイク企画が始動したとかの噂もありましたが、結局は実現しませんでした。残念です!