No.1066
5月16日の夜、この日公開のアメリカ映画「サブスタンス」をシネプレックス小倉で観ました。再生医療によって若返りを図るというテーマが嫌いで、最初は観る気がしなかったのですが、ジャンルがホラー映画であると知って鑑賞を決めました。わたしはホラー映画には目がなく、いずれ『世界で最も怖い映画』(仮題)という本を書こうと思っているからです。結論を言うと、「サブスタンス」は笑ってしまうほど怖い映画でした。脚本が素晴らしい!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「容姿の衰えに悩む元人気スターが、美と若さに執着するあまり狂気にとらわれていくホラー。監督・脚本を務めたのは『REVENGE リベンジ』などのコラリー・ファルジャ。再生医療によって若返りを試みる主人公を『ゴースト/ニューヨークの幻』などのデミ・ムーアが演じ、共演には『ドライブアウェイ・ドールズ』などのマーガレット・クアリー、『パンドラム』などのデニス・クエイドらが名を連ねる。第77回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞するなど各地の映画祭で高い評価を得た」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「50歳を超えたかつての人気スター、エリザベス(デミ・ムーア)は容姿の衰えによる仕事の減少に悩まされていた。そんな状況に危機感を募らせる中、ある新しい再生医療を試すことにする。彼女の美と若さに対する執着はやがて暴走を始め、狂気と化していく」
「サブスタンス」では、冒頭に1個の割った卵に注射器で何かの液体を注入すると、卵が2個に分裂する映像が流れます。このシーンから、この映画の内容がクローン技術に関係していることがわかります。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「神化するサイエンス」に詳しく書きましたが、クローン人間をつくるといった究極の遺伝子テクノロジーを前にしたとき、わたしたちの倫理感は大きく揺れます。すでに1996年、イギリスにおいて世界初の体細胞クローン羊「ドリー」が誕生しています。また、2000年には日本の茨城県で体細胞クローン豚「ゼナ」が生まれ、世界中に強い衝撃を与えました。
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)
もともと体外受精なども一種のクローン技術なのですが、羊やブタで成功したクローン技術を人間に応用するメリットは、人の発生や寿命、形態などの研究に役立ちます。子どもができない夫婦がどちらかの遺伝子を持つ子を持つことができるなどです。しかし、同時にクローン技術はわたしたちに倫理的な問題を鋭く突きつけます。男女が関わって、偶然性のなかで子どもをつくるという倫理観の崩壊が予想されるほか、生まれてくる人の遺伝情報があらかじめわかることで、優れた資質を選ぶ優生思想を助長するでしょう。また特定の目的で人をつくり出すことで、人を道具とみなす危険も生じます。安全面でも、クローン動物の寿命は短いと言われており、成長や老化に異常はないかなど、まだ不明の点が多いですね。
「サブスタンス」の主人公・エリザベス・スパークル(デミ・ムーア)は、ハリウッドの人気スターでしたが、50歳を超えてからはエアロビクス番組に出演しています。そこでは、「人生をスパークル」として、「老い」を感じさせない全力エアロビが披露。現代人は、健康、スポーツ、美容、化粧などに異常なまでの関心を寄せています。その背後には、どうも、空間や身体への執着がひそんでいるように思います。あるいは、「老病死」に対する恐怖や苦しみから逃れようとしているのではないでしょうか。また、現代人はインターネットの動画サイトなどを中心とした映像文化装置に夢中になっています。そこにも、尽きることのない空間への執着があるのかもしれません。
老いたるエリザベスの後釜として、マーガレット・クアリーが演じる"スー"という女性が登場し、朝のエアロビ番組に出演。若くて美しいスーは、一気に人気者となります。空間への執着といえばハリウッドのエンタメ界に極まるでしょうが、そこでいかに若さと美貌がビジネスの基準となり消費されていくかを「サブスタンス」は描いています。この映画には、デニス・クエイドが演じるハーヴェイという名のTVプロデューサーが登場しますが、彼の名は明らかに‟キング・オブ・セクハラ"であるハーヴェイ・ワインスタインを意識しています。そこには、コラリー・ファルジャという女性監督の強いメッセージを感じました。
現代では、リフティングやボトックスは珍しいことではなくなりました。そんな中で、看板番組を降板させられ思いつめたエリザベスは、「サブスタンス」と呼ばれる怪しげな再生医療薬に手を出します。すると、昆虫が脱皮するかのように内側から若く美しい肉体を持ったスーが現れるのでした。スーの美貌は輝くばかりですが、サブスタンスの効能は1週間。1週ごとにふたりは交代しなければならないというルールがありました。そして、そのルールは大きな障害をもたらし、やがて破滅へと向かっていくのでした。その破滅へ向かう描写が過剰なのですが、「よくぞ、ここまで」と観客に思わせる「これでもか、これでもか」的な演出が本当に凄まじかったです。
「サブスタンス」を観る前、「若さ」と「美しさ」を得るために再生医療に手を出す女性の物語と知って、わたしは一条真也の映画館「へルタースケルター」で紹介した2012年の日本映画を連想しました。原作は岡崎京子のコミックで、蜷川実花監督がメガホンを取りました。芸能界の頂点に君臨するトップスターりりこ(沢尻エリカ)には、大がかりな全身の整形手術とメンテナンスを受けているという秘密がありました。りりこは、女優や歌手としても活躍し、人気の絶頂を迎えます。しかし、その体は次々に崩れ始め、不吉な運命が迫ります。それにつれて、りりこの心と人生は、手がつけられないほどに壊れていくのでした。「ヘルタースケルター」とは、「混乱しています」という意味ですが、まさに「サブスタンス」の先駆的作品でした。
コラリー・ファルジャ監督はかなりのホラー・マニアのようで、「サブスタンス」には、過去のホラー映画の名作へのオマージュ的要素が多々見られます。その中で、わたしは1983年のカナダ映画である「ヴィデオドローム」を真っ先に連想しました。鬼才デビッド・クローネンバーグが、殺人ビデオによって狂気の世界へと引きずりこまれていく男の姿を衝撃的な映像で描いたSFホラーです。地方テレビ局の社長マックス(ジェームズ・ウッズ)は、拷問や殺人が繰り返される禁断のテレビ番組「ヴィデオドローム」の存在を知る。恋人と共にヴィデオドロームにのめりこんでいったマックスは、残虐な映像を見続けるうちに幻覚を見るようになるのでした。この作品は、カルトムービーとして、今なお熱狂的な支持を集めています。
また、「サブスタンス」の終盤では、スーが司会を担当する年末の特別番組のために会場に集まった満員の観衆がとんでもない恐怖体験を味わうシーンが登場します。これを見て、わたしは1976年のアメリカ映画「キャリー」のクライマックスシーンを連想しました。スティーブン・キングの小説を原作に、ブライアン・デ・パルマ監督がメガホンを取りました。超能力をもった少女キャリーが引き起こす惨劇を描いた青春オカルトホラーです。狂信的な母親のもとで育てられ、学校でも日常的にいじめを受けている少女キャリー(シシー・スペイセク)は初潮を迎えて動揺しますが、生理現象は汚れの象徴だと母親(パイパー・ローリー)に罵られます。しかし、その日を境にキャリーは念じることで物を動かせる超能力に目覚めていきます。一方、いじめっ子たちは陰惨な嫌がらせを思いつき、高校最後のプロムパーティの場でキャリーを陥れますが、怒りを爆発させたキャリーの超能力が惨劇を招くのでした。
映画レビューを書く際に「ネタバレ」はもちろん厳禁ですが、この「サブスタンス」はテーマや予告編などから、多くの人はそのストーリーの予想が簡単につくと思います。実際、その予想は当たっています。結局はエリザベスは禁断の再生医療によって破滅への道をたどるのですが、その描き方が凄まじいのです。本当に、スプラッター・ムービー全盛期にまったく劣らない残酷描写は、「やりすぎ」で笑ってしまうほどなのです。また、肉体的変容の描写も観客の吐き気を誘うほどで、まさに‟THEグロテスク映画"と言えます。このような映画を女性監督が作ったという事実も驚きです。「サブスタンス」では、第97回アカデミー賞で主演女優賞にノミネートされたデミ・ムーアも、助演女優のマーガレット・クアリーもフルヌードで文字通りに身体を張った演技を見せてくれましたね。
特に、今年で63歳になるデミ・ムーアの女優魂には度肝を抜かれました。彼女といえば、どうしても1990年のアメリカ映画の名作「ゴースト/ニューヨークの幻」を思い出します。強盗に襲われ命を落とした男(パトリック・スウェイジ)は、幽霊となって恋人(デミ・ムーア)の側に現れますが、彼女には彼の存在がまるで伝わりません。やがて自分を殺した強盗が彼女にも迫っている事を知った男は、彼の声を聞く事の出来る霊媒師(ウーピー・ゴールドバーグ)の力を借りて危険を知らせようとするのでした。デミ・ムーアは本作でブレイクしましたが、まずは「サブスタンス」での完全復活を喜びたいと思います。