No.1065


 62歳の誕生日の翌日となる5月11日に、イギリス映画の「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」を小倉コロナシネマワールドで観ました。映画評論家の町山智浩氏の解説動画で興味を抱き、鑑賞したのですが、リー・ミラーという人についてまったく無知だったので、衝撃を受けました。

 ヤフーの「解説」には、「ファッションモデルから転身し、20世紀を代表する報道写真家となったリー・ミラーの人生を描く伝記ドラマ。監督は撮影監督として『エターナル・サンシャイン』などに携わってきたエレン・クラス。オスカー俳優のケイト・ウィンスレットが主演と製作を務め、共演には『パーム・スプリングス』などのアンディ・サムバーグ、『ゴジラvsコング』などのアレキサンダー・スカルスガルドのほか、マリオン・コティヤール、ジョシュ・オコナー、アンドレア・ライズボロー、ノエミ・メルランらが名を連ねる」と書かれています。

 ヤフーの「あらすじ」は、「1938年のフランス。モデルのリー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)はアーティスト仲間と華やかな生活を楽しんでいた。彼女はその後写真家に転身すると、かつてカバーモデルをしていた『VOGUE』誌に自らの写真を売り込み、徐々に頭角を現していく。しかし1940年、第2次世界大戦の脅威がイギリス・ロンドンにも及び、リーは戦争の真実を伝えようと決意する。男性社会の壁に立ち向かい従軍記者の権利をつかみ取った彼女は、『LIFE』誌のフォトジャーナリストで編集者のデイヴィッド・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と共に戦地へ向かう」となっています。
 
 この映画の主人公であるリー・ミラーは実在の女性ですが、わたしはその存在をまったく知りませんでした。彼女の生涯については、『リー・ミラー: 自分を愛したヴィーナス』アントニー・ペンローズ著、松本淳訳(パルコ出版局)に詳しいです。リー・ミラー(1907年~1977年)は、アメリカ合衆国の写真家です。ポートレイト、ファッション写真、報道写真(とりわけ第二次世界大戦のヨーロッパ戦線(特にイギリスやドイツ)における戦争写真)の分野で主として活躍しました。「マーガレット・バーク=ホワイト、ドロシア・ラングと並んで20世紀を代表する女流写真家のひとり」とされることもあります。

 この映画でリー・ミラーを演じたケイト・ウィンスレットのインタビューでは、リー・ミラーの華麗な略歴が紹介されています。ニューヨーク州ポキプシーに生まれた彼女は、18歳でパリにわたり照明、衣装、舞台美術を学んだのち、1926年に帰国。エドワード・スタイケン、ニコラス・マレイ、アーノルド・ゲンスらのモデルとして活躍。1929年に再度ヨーロッパへわたり、フィレンツェ・ローマを経てパリに落ち着きます。リー・ミラーが押しかけ、マン・レイの弟子かつ愛人となります。1930年、モンパルナスにスタジオを開設し、シャネルなどのファッションデザイナーの仕事を行いました。また、ジョージ・ホイニンゲン=ヒューンの助手も務めました。

 1932年、マン・レイと別れ、ニューヨークに戻り、スタジオ設立(なお、マン・レイの次の恋人は、ダンサーのアディ・フィドラン)。1934年、エジプト人実業アジズ・エルイ・ベイと結婚、カイロへ。1937年、画家、美術品蒐集家、美術評論家のローランド・ペンローズ(ロジャー・ペンローズの叔父)と出会います。1939年、エルイ・ベイと実質的に離別し、イギリスへ(ローランド・ペンローズとの交際)。1940年、イギリス版『ヴォーグ』にて活躍。主としてポートレートとファッション写真。1941年、写真集『灰色の栄光 戦火のイギリス写真集』に22点の作品が掲載されています。

 1942年、従軍記者となりイギリスやドイツの戦争の写真・収容所の写真を撮影。映画にも登場した『ライフ』のカメラマン、デヴィッド・E・シャーマンと多くの取材を行いました。1945年、写真集『海軍婦人部隊』刊行。1947年、エルイ・ベイと正式に離婚し、すでに交際していたローランド・ペンローズと結婚、9月に出産(名前はアントニー)。1950年代にはヴォーグから離れました。1953年、展覧会「頭部の驚異と戦慄」をローランド・ペンローズと企画(ロンドン・現代美術研究所)。1977年、イギリスのチディングリで、ガンにより死亡。その写真作品の中には美術家の写真も多く、リー・ミラーの交友の幅広さを物語っています。

 女流写真家として稀有な活躍をしたリー・ミラーですが、その存命中には、大きな展覧会の開催も、作品をまとめた写真集の出版もありませんでした。映画の冒頭シーンによく描かれているように、彼女は美人であり、(男女関係も含めて)活発・奔放な生活を送りました。マン・レイの「天文台の時~恋人たち」(1934年など、巨大な唇が空に浮かぶ作品)の唇はリー・ミラーの唇をモデルにしています。しかし、なんといっても彼女の人生がドラマティックなのは、女性でありながら第二次世界大戦の最激戦地へと赴いていったことです。これは想像もつかない凄いことであり、あまたの‟女性の生き方"を描いた映画を凌駕する圧倒的な迫力があります。

 一条真也の映画館「シビル・ウォー アメリカ最後の日」で紹介した2024年のディストピア・アクション映画には1人の女性カメラマンが登場しますが、モデルがリー・ミラーだそうです。「シビル・ウォー アメリカ最後の日」の舞台は、近未来のアメリカ。19の州が連邦政府から離脱する中、国内では大規模な分断が進み、カリフォルニア州とテキサス州が同盟を結んだ「西部勢力」と「政府軍」による内戦へと突入する。戦場カメラマンのリーをはじめとする4人のジャーナリストチームは、戦場と化した道をニューヨークから1000キロメートル以上も走り続け、大統領が立てこもるホワイトハウスがある首都・ワシントンD.C.へと向かうのでした。
 
 ケイト・ウィンスレット演じるリー・ミラーは、なぜ、戦場へと向かったのか? その常識を超えた行動の根底には、彼女が幼い頃に性的被害に遭った体験がありました。しかし、それゆえに「男には負けたくない」「男どもを見返してやる」という想いから戦場に赴いたのかというと、そうではなく、性的被害に深い悲嘆、つまりグリーフを経験したことから、他者のグリーフを探しに行くといった側面があったように思います。彼女が撮影した写真は、強制収容所や移送列車の中に転がっている夥しいユダヤ人の死体をはじめ、ドイツ兵と交際したがゆえにリンチに遭って頭を丸刈りにされた若いフランス人女性、顔面が包帯だらけで両足も失った連合軍の傷痍軍人、一家心中したナチスの高官の家族など、超弩級のグリーフ写真ばかりでした。わたしには、まるで彼女がさまざまなグリーフの引力によって引き寄せられたようにも思えました。
 
 映画の中で、リー・ミラーが、ドイツ兵と交際したフランス人女性が群衆から頭を丸刈りにされる場面を見て、「恥辱という傷は深い。目には見えない傷もある」とつぶやきます。このシーンから、わたしは、2008年のアメリカ・ドイツ合作映画「愛を読むひと」を連想しました。主演がケイト・ウィンスレットで、見えない「こころ」の傷について描いた作品です。1958年のドイツ、15歳のマイケルは21歳も年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋に落ち、やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになり、愛を深めていきました。ある日、彼女は突然マイケルの前から姿を消し、数年後、法学専攻の大学生になったマイケル(デヴィッド・クロス)は、無期懲役の判決を受けるハンナと法廷で再会するのでした。ハンナは、アウシュヴィッツの手前のクラクフ近郊の強制収容所の女性看守の1人だったのです。

「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」は、女性の生き方を描いた大傑作ですが、彼女がアメリカ人であったことが大きかったと思います。なぜなら、イギリスでは女性は絶対に戦地には行けませんでしたが、アメリカなら許可されたからです。リー・ミラーはアメリカ人女性として、戦争の最前線へと向かったのです。わたしは、一条真也の映画館「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」で紹介した2023年のイギリス・ニュージーランド映画を連想しました。世界最高峰のバレエ団 "ボリショイ・バレエ" のプリマになる夢を見て単身アメリカからロシアへ渡った少女の実話に基づいた物語ですが、アメリカ人ダンサーのジョイ・ウーマックの実話がベースとなっています。リー・ミラーにしろ、ジョイ・ウーマックにしろ、アメリカ人女性のチャレンジング・スピリットは目を見張りますね。
 
 最後に、「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」を観て、わたしは写真の本質について想いを馳せました。リー・ミラーはものすごい数の死者の写真を撮影しました。「よく精神が壊れなかったな」と思うくらい、非常に過酷な撮影現場でした。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。その被写体も死体ならば、写真は二重の意味で「死の芸術」となります。また、映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからである。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアではないかと思うのです。その意味で、「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」とは、「死」を撮影し続けた写真家の「生」を描いた映画というわけで、興味深く感じました。