No.1064


 5月8日は、午後から福岡市周辺の紫雲閣を回りました。夜は久々にKBCシネマを訪れ、カナダ・フランスのSF映画「けものがいる」を観ました。上映時間146分でしたが、わかりにくくて退屈でした。テーマは興味深いので、もう少しわかりやすく作ればいいのに!
 
 ヤフーの「解説」には、「『007』シリーズなどのレア・セドゥが主人公を演じ、人間の感情が不要となった近未来を舞台に一組の男女の愛と転生を描いたSFサスペンス。重要な仕事を得るためには感情を消去しなければならない世界で、主人公が感情の浄化のために過去へさかのぼる。『サンローラン』などのベルトラン・ボネロが監督を務め、ヘンリー・ジェームズの小説「密林の獣」を翻案。共演は『1917 命をかけた伝令』などのジョージ・マッケイなど。共同プロデューサーとして『たかが世界の終わり』などのグザヴィエ・ドランが参加する」とあります。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「2044年、人間の感情が不要と考えられるようになった世界。有意義な仕事を得るためには、感情の消去をしなければならなかった。孤独な女性ガブリエル(レア・セドゥ)は感情の消去に疑問を抱いていたものの、仕事に就くために感情の浄化を決意する。ガブリエルは時代をさかのぼって1910年と2014年に行き、それぞれの時代でルイ(ジョージ・マッケイ)と出会う。
 
「けものがいる」を観ながら、わたしは一条真也の映画館「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」で紹介した2022年のギリシャ・カナダのSFホラー映画を連想しました。両作品は内容もちょっと似ていますが、主演がともにレア・セドゥなのです。鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督の異色作「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」は、近未来、人類が人工的な環境に適応するべく進化し、生物学的変容を遂げて痛みの感覚さえ失う物語です。"加速進化症候群"のアーティスト・ソール(ヴィゴ・モーテンセン)が体内に生み出す新たな臓器に、パートナーのカプリース(レア・セドゥ)がタトゥーを施し摘出するショーが人気を呼んでいました。そんな折、政府は人類の間違った進化と暴走を監視するために"臓器登録所"を設立するのでした。

「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」のソールは体内に新たな臓器を生み出しますが、「けものがいる」のガブリエルは黒い液体に満たされた浴槽に浸かって前世の記憶を呼び起こします。大天使の名前を持ったガブリエルは、AIの指導に従って1910年と2014年の前世へと遡ります。彼女は、それぞれの時代でルイ(ジョージ・マッケイ)という青年と出会い、激しく惹かれ合っていきます。しかしこの時空を超越したセッションは、ガブリエルの潜在意識に植えつけられたトラウマの恐怖と向き合う旅でもあったのです。いくつものミステリーが渦巻き、観客は混乱するばかりです。もう少し説明をしてくれないと、理解しにくい部分が多々ありました。

 この映画は、イギリスの文豪ヘンリー・ジェームズの傑作中編小説「密林の獣」を自由かつ大胆に翻案したものです。2044年の近未来を起点に、100年以上の時を超えて転生を繰り返す男女の物語ですが、3つの時代を生きる主人公のガブリエルは、彼女自身も説明できない忌まわしい強迫観念に取り憑かれています。それは、いつか取り返しのつかない惨事が起こり、彼女とその周りに破滅的な終局がもたらされるという不吉な予感でした。ガブリエルが前世で被った想像を絶するトラウマは次第に明らかになっていきます。ちなみに、監督グザヴィエ・ドランが面接官の声の役で出演しています。
 
 この映画には、未来が読めるという女占い師が登場するのですが、彼女の顔が怖くてインパクト満点でした。AIに管理された近未来をスタイリッシュなディストピアSFとして描いた2044年、35ミリフィルムで撮影された華麗なコスチューム・プレイが繰り広げられる1910年、ガラス張りの豪邸を舞台にしたスリラー劇から目が離せない2014年。3つの時代を行き来するミステリアスな物語は、本来はスリルとロマンに満ち溢れているのでしょうが、なにぶん説明不足でわかりにくいので、残念なことになっています。そもそも、AI社会だから感情が不要というのがナンセンスの極みで、AI社会だからこそ、AIでは計り知れない人間の「こころ」が最重要になると思います。それが「 ハートフル・ソサエティ」だからです!

「けものがいる」は、一条真也の映画館「哀れなるものたち」で紹介した2023年のイギリス映画をはじめ、世界中から選りすぐりの話題作が集結した第80回ヴェネチア国際映画祭公式批評スコアで1位を獲得し絶賛されたそうです。3つの時代で繰り返されるガブリエルとルーの出会いは、本当は最高にロマンティックなはずです。2人は魂と魂で結ばれた、いわゆる‟ソウルメイト"と見ることもできるでしょうが、3つの時代ともにバッド・エンドになっているのが観客の気を重くします。そして最大の謎は、タイトルでもある「けもの」とは一体何なのか? ということです。‟AI"の正反対としての"野生"の根底にある本能だけの存在。それこそが「けもの」ではないかと、わたしは思いました。でも、それだけでは謎は解けません。ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教



 ここで、この映画のポスター画像に写っている主人公の影に大きな羽が生えていることに気づきます。羽のある存在といえば天使か悪魔ですが、この場合は明らかに天使でしょう。それに主人公の名前はガブリエルというのです。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)でも説明しましたが、ガブリエルは『旧約聖書』の「ダニエル書」にその名があらわれる天使で、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれました。キリスト教ではミカエル、ラファエルとともに「三大天使」の一人であると考えられています。西方キリスト教美術の主題の1つである「受胎告知」などの西洋美術において、ガブリエルは優美な青年として描かれています。時には威厳のある表情で描かれることもあります。
 
『旧約聖書』において、ガブリエルは「神のことばを伝える天使」でした。転じて、ガブリエルという名前には「神の人」という意味があります。ということは、「けものがいる」の主人公ガブリエルは「神の人」なのでしょうか。じつは、すべての人間は「神の子」という考え方がキリスト教にはあります。その証拠が「こころ」すなわち感情を持っていることです。感情があるということは「神の子」としての人間の証なのです。「神・人・獣」という三元論があるとしたら、感情という神からの贈り物(ギフト)を排除した人間とは獣にほかなりません。そして、わたしはグリーフのことを考えました。「悲しみ」という感情も神からのギフトであることに気づきました。悲しむことは、けっして悪いことではありません。それは「愛」の変化形なのです。愛があるからこそ悲しむのであり、悲しむことができるからこそ人間なのです!