No.1082


 6月14日、前日から公開された日本映画「ドールハウス」をシネプレックス小倉で観ました。予告編を観て「なんだ、全部ネタバレしてんじゃん!」と思いましたが、ところがどっこい、予想を裏切る展開の連続で、最後までハラハラドキドキしました。何よりもすごく怖い映画でした。日本ホラー映画史に残る大傑作の誕生です!

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ウォーターボーイズ』などの矢口史靖が原案・脚本・監督を務めたミステリー。幼い娘を亡くして悲しみに暮れる夫婦が、骨董市で手に入れた亡き娘に似た人形に翻弄される恐怖を描く。主人公を矢口監督作『WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~~』などの長澤まさみ、彼女の夫を『愛なのに』などの瀬戸康史が演じ、『魂萌え!』などの田中哲司と風吹ジュン、『私はいったい、何と闘っているのか』などの安田顕らが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「5歳のまな娘・芽衣を亡くし、悲しみに暮れる鈴木佳恵(長澤まさみ)と夫・忠彦(瀬戸康史)。ある日佳恵は骨董市で芽衣に似た人形を見つけて購入し、わが子のように慈しみ始める。悲しみが癒やされたのもつかの間、夫婦の間に待望の娘・真衣が生まれると、二人は人形のことを気に掛けなくなってしまう。やがて5歳になった真衣が人形と遊ぶようになると、一家の周囲で奇妙な出来事が続発するようになり、佳恵たちは人形を手放そうとするが、人形は捨てるたびに手元に戻ってくるのだった」
 
 この映画、製作・配給の東宝は、極力「ホラー」というワードを使いたくないそうです。どうやら、ホラーというと観客が限定されると考えているようで、「ドール・ミステリー」として打ち出しています。確かに、1体の人形にまつわるミステリー的要素もありますが、これはどこから見てもホラー映画ですね。それも、稀に見る傑作ホラーです。監督・脚本を務めた矢口史靖は「ウォーターボーイズ」(2001年)、「スウィングガールズ」(2004年)、「ハッピーフライト」(2008年)などのコメディ要素の強い作品で知られ、ホラー映画のメガホンを取るイメージはありませんでした。それで、自分が脚本を書いたことは秘密にして映画化の企画を進めたそうです。
 
 しかし、矢口監督がホラー映画とまったく無縁かというと、そうではありません。知る人ぞ知る短編ホラーの名作を作っています。2000年にフジテレビ系にて放送されたスペシャルドラマ「学校の怪談 呪いのスペシャル」内のトラウマ作品「恐怖心理学入門」です。人は暗示によって幽霊を見るようになるのか。大学生の佐藤はゼミの田中教授に頼まれ、集団心理学の実験に協力することになります。偽の心霊写真を撮影し、でっち上げた怪談話を話すなどして実験に協力していく彼でしたが、やがて不気味な黒い女の霊が出没するようになるのでした。当時の多くの子供にトラウマを与えた伝説的ホラー作品であり、矢口監督のセンスが光っています。安藤政信や藤井隆が出演していますが、教授役をなんと筒井康隆が演じています!
 
 そんな矢口監督が、本格的なホラー映画を作るという長年の夢を叶えた「ドールハウス」ですが、まずは主演・長澤まさみの圧倒的な演技力に唸らされます。不幸な事故で長女を亡くしたときに彼女が泣き叫んだ表情は、まさにムンクの「叫び」のようでした。絶望の淵にある表情も、希望に光輝く表情も、怯える表情も、幸せそうに笑う表情も、すべてが抜群に上手いです。そして、この映画、彼女の顔をアップで映す場面が多いのですが、「やっぱり美人だなあ!」と改めて思いました。ヒッチコック・ブロンドではありませんが、ホラー映画の主役は美人女優でないと話になりません。こういう発言は不適切ですかね?
 
「ドールハウス」は、Jホラーの正統的な系譜にある傑作でした。特に、Jホラー史に燦然と輝く名作「リング」(1998年)の強い影響を感じました。「ドールハウス」の終盤で、長澤まさみがある穴の中に落ちるシーンがあるのですが、「リング」で松嶋菜々子が井戸の中で恐怖体験をするシーンと重なりました。最後の最後でどんでん返しがある点も共通していますね。「リング」は、鈴木光司の人気ホラー小説を中田秀夫監督が映画化。見ると死んでしまうという謎のビデオテープを巡って繰り広げられるホラー・サスペンスで、その後の日本のホラー映画に多大な影響を与え、ハリウッドでリメイクもされました。

 人形が登場するホラー映画といえば、「死霊館」シリーズの人形アナベルが有名です。シリーズのスピンオフ作品の「アナベル 死霊人形の誕生」(2017年)では、手にした者を怪現象に引きずり込むアナベルの生まれた経緯が明らかになります。まだ幼かった娘を亡くした人形職人とその妻が暮らす屋敷に、児童養護施設を閉鎖されて行き場を失ったシスターと6人の少女が住むことから物語は始まります。新たな住まいと生活に期待を募らせる彼女たちでしたが、人形職人が作った人形アナベルによる怪現象に襲われるのでした。それは、次第にエスカレートしていき、アナベルは世界で最も恐れられる人形となりました。
 
「ドールハウス」に登場する礼(あや)ちゃんという人形は、いわゆる市松人形です。わたしが子どもの頃、髪が伸びるという「お菊人形」の怪談が日本中の子どもを怖がらせていました。大正7年(1918年)に北海道在住の当時17歳だった鈴木永吉が、札幌狸小路の商店で、3歳の妹の菊子におかっぱ頭の日本人形を買ってあげました。菊子はそれを気に入って、毎日一緒に寝るほど可愛がったのですが、翌年に菊子は風邪で急死してしまいます。人形は、棺に納められるのを忘れたため、遺骨と共に仏壇に飾られましたが、人形の髪の毛が肩まで伸びて、家族は「菊子の霊が乗り移った」と信じるようになりました。昭和13年(1938年)に、鈴木家は樺太に移転することになり、人形を北海道岩見沢市にある「萬念寺」に預けました。戦後、永吉は菊子の霊が宿ったものとしてそのまま萬念寺に納めて永代供養を頼んだのです。
 
 萬念寺のお菊人形の物語は、わたしが小学生の頃の児童向けの怪奇本に必ずといっていいほど紹介されていました。当時は小学館の学習雑誌の心霊特集などにも掲載されていましたね。その後、市松人形の怪談は「生き人形」で復活しました。タレントで工業デザイナーの稲川淳二が実際に体験したという怪談で、死者の魂を宿した人形の話です。稲川淳二の数ある怪談の中でも、40年以上の長きに渡り現在も進行中という異例の内容を持っています。自身の著書でランキング1位に挙げる程のお気に入り怪談でもありますが、テレビ出演等でこの話に触れると様々な怪奇現象に遭ったことから「今では口にしたくない」と述べています。また、1999年に催された講演では「どこからが怪談で、どこからが現実なのかという話になってしまう」とも語っています。この話、本当に怖いですよね!
 
 わたしは「ドールハウス」をシネプレックス小倉の10番シアターで鑑賞したのですが、ほぼ満員でした。驚いたのは、わたしの斜め後方(最後列)に5歳ぐらいの女の子が両親と一緒に来ていたことです。しかも、クマぬいぐるみを抱いていました。「この子、怖くて途中で大泣きしないかな」と心配しましたが、最後までお行儀よく観ていました。先が思いやられるではなくて、将来が楽しみですね! それはともかく、映画「ドールハウス」では、「お菊人形」「生き人形」の恐怖を久々に思い出しました。不慮の事故で5歳の長女を亡くした鈴木佳恵は幼い娘を亡くした母親の自助グループに入り、悲嘆の淵から抜け出そうとしますが、容易にはいきません。ある日、骨董市で見つけたガラスケース入りの市松人形を佳恵は購入します。そのケースには呪文のようなお札がたくさん貼られており、「どうして、そんな不気味なモノを買うの?」と理解に苦しみますが、グリーフの最中にあった彼女には、その人形が亡くした愛娘の姿と重なったのでした。それ以来、彼女は人形を娘の代わりに溺愛します。
 
 佳恵の行動は、グリーフケアの視点からいうと、大いに「あり」の行動です。映画では「ドール・セラピー」という言葉が使われていました。ブログ「生成ゴーストについて」でも紹介したように、精神科医の小此木啓吾が書いた『対象喪失』(中公新書)という名著があります。『対象喪失』には、最愛の子どもを亡くしたとしたら、その子が愛していたぬいぐるみとか人形を持って、子どもだと思うことも大事だというようなことが書かれています。けれど、一生そう思っていたら頭おかしい人ですね。だから、ぬいぐるみや人形は一時的な心の避難所として使って、それから次第に平常心に戻っていくことが大事であるというのです。まさに現在のグリーフケアの世界で問題になっている「AIによる死者の復活」の問題も、死別の悲嘆者が自死や発狂してしまったら終わりだということでしょう。
宗教の言い分』(弘文堂)



 わたしは、宗教でも芸術でも冠婚葬祭でもなんでも、人間を自死させないとか発狂させないことが最優先の役目だと思っていますので、そのために一時的にAIやVR(ヴァーチャル・リアリティ)を避難所として使って、また日常のグリーフケアに帰っていくということが必要であると思います。このことは、東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生との対談の際にも意見交換し、その内容は『宗教の言い分』(弘文堂)に収められています。ちなみに、わたしは宗教の最大の役割とは葬儀とグリーフケアを行うことであると考えています。未読の方は、ぜひお読み下さい。