No.1086
東京に来ています。銀座で出版の打ち合わせをした後、夜はタイ映画「おばあちゃんと僕の約束」を観ました。来月タイに行くので、バンコクが舞台と知って楽しみにしていました。ネットでかなりの高評価でしたが、淡々とした物語ながら血縁の結びつきを見事に描いた感動作でした。
ヤフーの「解説」には、「遺産目当てで祖母に近づく青年と祖母との交流を描くヒューマンドラマ。タイ・バンコクを舞台に、無職の青年が祖母の信頼を得て彼女の遺産を手に入れようとたくらむ。監督などを務めるのはドラマ『Bad Genius The Series』などのパット・ブンニティパット。ドラマ『I Told Sunset About You~僕の愛を君の心で訳して~』などのビルキンことプッティポン・アッサラッタナクン、ウサー・セームカムのほか、サンヤ・クナコーン、サリンラット・トーマスらが出演している」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「大学を中退したエム(プッティポン・アッサラッタナクン)は、定職もないままゲーム実況者を目指していた。従妹のムイが彼女の祖父の豪邸を相続したと聞いた彼は、自分もムイと同じようにあくせく働くことなく暮らしたいと思うようになる。そんな折、お粥を売って生活している一人暮らしのエムの祖母・メンジュ(ウサー・セームカム)が深刻なガンを患っていることが分かり、エムは遺産目当てでメンジュに接近する」
この映画、まず、主人公のエムを演じたプッティポン・アッサラッタナクンがすごく良かったですね。彼は、ビウキンの愛称で知られるタイの俳優、歌手です。「My Ambulance 」のTao や、「I Told Sunset About You」のテーを演じたことで知られています。現在25歳でアイドル的人気を誇る彼ですが、エムというダメ青年が祖母との交流を通じて人間的に成長していくさまを見事に演じていました。エムは働きもせずにゲームの実況をする日々でしたが、最後は祖母のためにお墓を買ってあげることになります。ゲームというデジタルから始まって、墓という究極のアナログに行き着くところが興味深かったですね。また、最初はダメ人間丸出しだった彼の顔つきがどんどん良くなっていくのが印象的でした。
エムが人間的に成長し、顔つきがどんどん良くなっていったのは、ケアに関わったからだと思います。アメリカの哲学者ミルトン・メイヤロフも、一条真也の読書館『ケアの本質』で紹介した本において、「ケア」を非常に広い概念で捉えています。同書は大変な名著で、わたしも何度か読み返しています。メイヤロフは、「ケア」とは、「そのもの(人)がそのもの(人)になることを手助けすること」だと定義しています。そして、「他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の真の意味を生きているのである」との名言を残しています。看護、介護、グリーフワーク......それらすべての核となるものこそ「ケア」なのです。エムは一人暮らしで社会的に弱者である祖母の日常をケアします。しかし、ケアしながら、じつは彼自身も祖母からケアされているのでした。この相互関係こそ、ケアの本質なのです。
ブンニティパット監督は、この映画で、祖母・子・孫の三世代が織りなす家族の物語をリアリティ溢れるタッチで、ユーモアを交えて描きました。バンコクの古い町並みを捉えた美しい映像と、心の琴線に触れるあたたかく優しい音楽と共に繰り広げられます。アジアをはじめ、この映画が世界的に大ヒットしたというのは、どこの国のどんな民族にも当てはまる普遍性があるからだと思います。この映画を観ると、誰もが家族や故郷を思わずにはいられないと思います。ウサー・セームカム演じるメンジュがステージ4のがんを宣告されたときは、5月30日に亡くなられたわが"魂の義兄弟"である鎌田東二先生のことを想いました。また、ラストでメンジュの棺を乗せた霊柩車に同乗したエムが「ここは、お粥の店だよ」などと故人に向かってガイドをする場面は ブログ「魂のドライブ」で紹介した父の棺とともに思い出の場所を巡った日を思い出しました。
「おばあちゃんと僕の約束」を観ながら、わたしは、ある映画のことを連想しました。2020年のアメリカ・中国映画「フェアウェル」です。第77回ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞し、外国語映画賞にノミネートされた話題作です。中国系アメリカ人のルル・ワンが監督を務め、余命わずかな祖母と親戚が過ごす日々を描いた人間ドラマで、A24の製作です。末期がんを患う祖母のため、祖国を離れて海外で暮らしていた親戚一同が、従兄弟の結婚式を理由に中国に戻ってきます。ニューヨークで育ったビリー(オークワフィナ)は、祖母が残りの人生を悔いなく過ごせるように病状を本人に明かした方がいいと主張しますが、両親を含めたほかの親族たちは、中国では助からない病気は本人に告げない伝統があると反対するのでした。テーマは似ていますが、がんの告知の是非に固執する「フェアウェル」はつまらなかったです。「おばあちゃんと僕の約束」の方がずっと名作です。
『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)
「おばあちゃんと僕の約束」には、祖母と孫を基軸とした血縁の結びつきがリアルに描かれていました。死ぬのを怖れたりもしたメンジュでしたが、エムという孫の存在が死の不安を乗り越えさせてくれたようにも思えます。拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)に書いたように、わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。映画に登場するタイの墓は沖縄の亀甲墓に似ていましたが、沖縄では子孫たちが墓に集合して宴会をします。メンジュも「大きな墓があれば、みんなが集まれるだろう」と言っていました。墓での宴会は「隣人祭り」ならぬ「子孫祭り」なのですね。隣人祭りは地縁、子孫祭りは血縁を強化する文化的装置であり、ともに無縁社会を乗り越えて有縁社会を再生するものです。タイを超えて世界中に感動を届ける「おばあちゃんと僕の約束」を観て、そんなことを考えました。