No.1085


 金沢に来ています。6月17日の夜、ユナイテッドシネマ金沢で日本映画「フロントライン」を観ました。「自分が助かりたい」ではなく、「他人を助けたい」という利他の精神に溢れた素晴らしいコンパッション映画でした。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「世界的パンデミックを引き起こした新型コロナウイルスを題材に描くヒューマンドラマ。集団感染が発生した豪華客船ダイヤモンド・プリンセスが横浜港に入港した時点から、乗客全員の下船が完了するまでの日々を事実に基づいて映し出す。監督を務めるのは『かくしごと』などの関根光才。『罪の声』などの小栗旬、『あの頃。』などの松坂桃李のほか、池松壮亮、窪塚洋介らが出演している」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「2020年2月、100名を超える乗客に新型コロナウイルスの症状が発生した豪華客船が横浜港に入港する。DMAT(ディーマット)と呼ばれる災害派遣医療チームが出動要請を受けたものの、彼らは未知のウイルスに対応するだけの訓練経験を持っていなかった。そんな中、DMATを統括する結城英晴(小栗旬)と厚生労働省の立松信貴(松坂桃李)が対策本部で指揮を執ることになる」
 
 2020年2月横浜港。日本が初めて直面した新型コロナウイルス集団感染との戦いは、ここから始まりました。「フロントライン」は、日本で初めて新型コロナウイルス集団感染に挑んだ者たちの"事実に基づく"感動のドラマです。未知のウイルスに最前線で立ち向かったのは、わたしたちと同じ日常や家族を持ちながらも、目の前の「命」を救うことを最優先にした人々でした。乗客全員が下船し、かけがえのない日常を取り戻すために、彼らは誰1人としてあきらめませんでした。心から敬意を表します。
 
 DMATは、阪神・淡路大震災の教訓で発足し、東日本大震災の被災地で活躍したことで知られています。東日本大震災といえば、一条真也の映画館「Fukushima50」で紹介した2020年の日本映画が思い浮かびます。世界を震撼させた東日本大震災による福島第一原子力発電所事故発生以降も現場に残り、日本の危機を救おうとした作業員たちを描いた作品で、本作「フロントライン」と通じる部分が多いです。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が発生し、それに伴う巨大な津波が福島第一原子力発電所を襲いました。全ての電源が喪失して原子炉の冷却ができなくなりメルトダウン(炉心溶融)の危機が迫る中、現場の指揮を執る所長の吉田昌郎(渡辺謙)をはじめ発電所内にとどまった約50名の作業員たちは、家族や故郷を守るため未曽有の大事故に立ち向かいます。それは、まさに特攻的行為でした。
 
 また、目の前にある最悪の危機を官民一体となってどう乗り切るかというテーマでは、一条真也の映画館「新幹線大爆破」で紹介した2025年のNETFLIX映画を連想しました。1975年公開の「新幹線大爆破」を草彅剛主演でリメイクしたサスペンスです。東北新幹線・はやぶさ60号の車掌を務める高市(草彅剛)は、定刻通りに新青森から東京へ向けて出発します。いつもと変わらず準備を整え発車しますが、その列車には爆弾が仕掛けられ、犯人から1000億円の要求があったことを知ります。その爆弾は、列車が時速100キロメートルを下回ると起爆するのです。高市ら乗務員と新幹線総合指令所が一丸となって策を講じる一方で、警察も犯人確保に動き出すのでした。この「新幹線大爆破」では国土交通省の、「フロントライン」では厚生労働省の役人が、民間の人々と「こころ」を1つにして奮闘する様子が描かれています。

 映画「フロントライン」に話を戻すと、この映画、 サンレーグループの危機管理の総責任者であるMSセンターの中山雅智総支配人と一緒に鑑賞したのですが、彼から「コロナ禍の当時を思い出し、社長からの励ましのLINEを昨日のことのように思い出します。作中では、『マスコミのような自己愛』VS『人道的に正しいことを選択する隣人愛』も描かれていたように思います。己の身の安全よりも他者を想って行動する姿はコンパッションの極みであり、船内クルーやDMATの方々の魂の純度がハンパないと感じました。危機管理において、『信頼』が大切だとありましたが、『英断』や『覚悟』も描かれており、学ぶべき多くのことがありました」とのLINEが届きました。
 
 また、サンレー北陸の葬祭部門の責任者で上級グリーフケア士でもある大谷賢博部長も一緒に鑑賞しました。彼からも、「コロナウイルスという未知の領域。豪華客船という特別な空間が、一変して感染の危険にさらされるという『日常』の喪失。その『非日常の空間』はまさに、深い悲しみを抱えた方が体験する空間と同じであり、乗客のみならず医療従事者に対してもどのようにサポートするか、という事を深く考えさせられました。心理的ケアを含めた支援はとても重要であり、隔離された状態でのサポート、そして乗客自身やその家族がそれぞれの悲しみ、痛みを理解し受け入れていくことの難しさも目の当たりにしました」とのLINEが届き、そこには「過去に発生した大震災での多くの犠牲、その教訓から生まれたスペシャリストの集団に、葬祭業界においての上級グリーフケア士の姿が重なりました」とも書かれていました。
 
 大谷部長も気づいていたようですが、映画「フロントライン」に登場する客船のクルーやDMATの隊員たちの行動は「ケア」そのものです。それは、一条真也の読書館『ケアとは何か』で紹介した村上靖彦氏の著書によれば、人間なら誰でも病やケガ、衰弱や死は避けて通れません。自分や親しい人が苦境に立たされたとき、わたしたちは「独りでは生きていけない」ことを痛感します。そうした人間の弱さを前提とした上で、生を肯定し、支える営みがケアなのです。弱さを他の人が支えること。これが人間の条件であり、可能性でもあるのです。個人の心の動き、感情の葛藤、社会的な支援に光を当てた「フロントライン」という映画には、まさにケアの本質が描かれています。
コンパッション!』(オリーブの木)



 また、この記事の冒頭に「利他の精神に溢れた素晴らしいコンパッション映画」と表現しましたが、拙著『コンパッション!』(オリーブの木)にも書きましたが、「コンパッション」を直訳すれば「思いやり」ということになるでしょうが、その言葉が内包している大きさは「思いやり」を超えるものです。キリスト教の「隣人愛」、儒教の「仁」、仏教の「慈悲」など、人類がこれまで心の支えにしてきた思想にも通じます。また、「利他」という言葉にも通じています。思えば、コロナ危機によって「利他」への関心が高まりました。マスクをすること、行動を自粛すること、ステイホームすること。これらは自分がコロナウィルスにかからないための防御策である以上に、自分が無症状のまま感染している可能性を踏まえて、他者に感染を広めないための行為だからです。

 究極の利他的行為を「人道」といいます。窪塚洋介演じるDMATの現場責任者は、「人道的に正しいことをする」と言いました。彼らには「助かりたい」ではなく「助けてあげたい」という崇高な「志」を持っていました。その一方では、コロナの最前線で闘う医療従事者やその家族に対して理不尽な差別感情を抱く連中の「非道」がありました。しかし、DMATの人々は非道に対して、ひたすら目の前の命を救うという人道で対抗します。そう、人道は非道に勝るということをこの映画は示しています。また、森七菜が演じた客船乗務員・ヒロコや池松壮亮が演じたDMAT隊員の真田は、お願いするときに深々とお辞儀をしていたことに感動しました。言いたいこともあるだろうに、そこをグッと堪えて綺麗なお辞儀をする。その「かたち」が相手の「こころ」を動かすのです。「フロントライン」は非常時においても、いや非常時だからこそ、「礼能力」が求められるということを示した映画でもありました。