No.1097


 東京に来ています。7月11日、理事長を務める財団の経営会議を終えた後、映画関係の打ち合わせまで時間があったので、この日から公開されたアメリカ映画「顔を捨てた男」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。けっこう楽しみにしていたのですが、これは期待外れでした。少しは言いたいことがわかる気もしますが、不条理映画を力づくで作ろうとするあまり失敗したとしか思えません。
 
 ヤフーの「解説」には、「容姿をめぐる理想と現実に振り回される男の姿を描いたドラマ。変形した顔面を治療して新たな顔を手にした男が、かつての自分の顔とそっくりな人物と遭遇する。メガホンを取るのはアーロン・シンバーグ。『キャプテン・アメリカ』シリーズなどのセバスチャン・スタン、『わたしは最悪。』などのレナーテ・レインスヴェ、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』などのアダム・ピアソンらが出演する」と書かれています。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「俳優志望のエドワード(セバスチャン・スタン)は、自身の容姿を気にして自分の気持ちを閉じ込めながら生きていたが、外見を大きく変える治療を受けて新しい顔を手に入れ、別人として順調な人生を歩み始める。意気揚々としていたエドワードだが、彼の前にかつての自分の顔にそっくりな男オズワルド(アダム・ピアソン)が現れる」
 
 この映画の主人公エドワード(セバスチャン・スタン)は顔に障害を抱えています。ルッキズムが批判され、多様性の尊重が叫ばれる昨今、顔の障害を正面から笑ったり、大げさに恐れたりする人は少ないでしょうが、本人からすればやはり大きなストレスであり、グリーフであると推測されます。しかし、画期的な治療法が開発され、エドワードは普通の顔どころか、ハンサムな顔を手に入れることができました。このへんは寓話としてなら許せるのですが、実写の映画でリアルに描かれると、ちょっと引きました。あまりにもリアリティがないのです。

 もとの醜い顔を捨てて、美しい顔を手に入れたエドワードは極端ではありますが、美容整形手術をする人々のメタファーになっています。そんなエドワードの前に、かつての彼によく似た顔のオズワルドが現れます。当然ながらエドワードは混乱し、物語は不条理劇へと突入していきます。オズワルドを演じたアダム・ピアソンは神経線維腫症で、実際に障害のある俳優です。そんな彼が本作に出演していること自体は意義があると思うのですが、劇中のオズワルドが経済的にも恵まれ、社会的にも大成功して、女性にもモテモテという設定はさすがに違和感をおぼえました。

 アダム・ピアソンは、19世紀のロンドンで「エレファント・マン」と呼ばれた実在の人物、ジョゼフ・メリックを描く新映画「ジ・エレファント・マン」(原題:The Elephant Man)で主演を務めることになりました。この新たな映画化作品は、1980年にその繊細さと演技が高く評価された、ジョン・ハートとアンソニー・ホプキンス主演のデヴィッド・リンチ監督の映画「エレファントマン」に続くものとなります。わたしは高校2年のときにこの映画を劇場で観ましたが、非常にショックを受けました。ほとんどホラー映画のような印象でしたが、それから45年が経過して隔世の感があります。

 若い頃、病気のせいで嘲笑の的となったピアソンは、今では活動家としての声を上げるための手段に自分の容姿を使っています。彼は"エレファントマン"と呼ばれた人物について、「ジョセフ・ケアリー・メリックの真実の物語を伝えること以上に大きな責任は私には考えられません」と述べ、この役はトリビュートであると同時に再生の行為でもあると語りました。神経線維腫症を患うアダム・ピアソンは、スクリーン上でジョセフ・メリックを演じる初の障害者俳優となるわけですが、彼の今回の選択は、本物の表現とより包括的な映画という別の視点を切り開くと言えるでしょう。「ジ・エレファント・マン」は、2026年春に撮影開始が予定されています。

 さて、「顔を捨てた男」は数多くの異色作を生み出してきたA24の製作ですが、同じくA24の映画に、一条真也の映画館「MEN 同じ顔の男たち」で紹介した2022年のホラー映画があります。夫ジェームズ(パーパ・エッシードゥ)の死を目の当たりにしたハーパー(ジェシー・バックリー)。心に負った傷を癒やそうとイギリスの田舎町を訪れた彼女は、豪華なカントリーハウスの管理人を務めるジェフリー(ロリー・キニア)の出迎えを受ける。町を散策するハーパーは、少年、牧師、警察官など出会う男たちの顔が、皆ジェフリーと全く同じであることに気がつく。さらに廃トンネルからつけてくる謎の影をはじめとする怪現象や、夫の死のフラッシュバックによって、彼女は追い詰められていきます。「顔」がテーマの不条理劇という点で、「MEN 同じ顔の男たち」と「顔を捨てた男」は明らかに繋がっているように思います。