No.1150


 10月27日の夜、サンレー北陸の本部会議を終えた後、幹部社員たちと一緒に日本映画「次元を超える TRANSCENDING DIMENSIONS」をユナイテッドシネマ金沢で観ました。わが社の「シネマネジメント」の一環ですが、正直言ってネットでの評価が低いことが気になっていました。実際に鑑賞してみると、途方もない変な映画で、ぶっ飛びました!
 
 ヤフーの「解説」には、「『泣き虫しょったんの奇跡』などの豊田利晃が監督を務め、窪塚洋介が孤高の修行者、松田龍平が謎めいた暗殺者にふんするドラマ。姿を消した修行者の捜索を依頼された暗殺者が、次元を超えて相対する。共演は千原ジュニア、芋生悠、渋川清彦、東出昌大など。『シン・ゴジラ』などの樋口真嗣監督が特殊相談役、『鉄コン筋クリート』などのマイケル・アリアス監督が宇宙船デザイン、アーティストのYOSHIROTTENが惑星ケルマンのデザインとして参加している」と書かれています。

 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「孤高の修行者・山中狼介(窪塚洋介)が宗教家の阿闍梨(千原ジュニア)の家で消息を絶つ。狼介の彼女である野々花(芋生悠)は暗殺者の新野風(松田龍平)に狼介の捜索を依頼する。ほら貝の音に導かれて狼蘇山で遭遇した狼介と風は、次元を超え、鏡の洞窟で対峙する」

 いやあ、この映画、本当に理解不能でした。当ブログをお読みの方ならおわかりのように、わたしは日々、多くの映画を鑑賞します。また、それを長い期間続けているので、これまでに膨大な数の映画を観ています。そのわたしが「こんな変な映画は初めてだ!」と思ったほどの、わけのわからなさでした。それでも、窪塚洋介、松田龍平、千原ジュニア、東出昌大といったクセの強い俳優陣が出ているということは「何かあるはず」と思いました。ちなみに、豊田利晃監督自身もアクの強い作家性で知られています。

 2019年4月18日、豊田監督は自宅で拳銃を所持していたとして、銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯で静岡県警察に逮捕されました。当該拳銃は豊田監督の祖父が戦時中に護身用に所持していたもので、祖父の没後は豊田監督の父から豊田に受け継がれたものでした。拳銃は古くてさび付いており使用できるようなものではなかったそうですが、彼は「父の思いが詰まっている拳銃は処分できなかった」という旨を語っています。
 
 自身の逮捕に抗議する意味で、豊田監督は「狼煙が呼ぶ」(2019年)という映画を発表しました。豊田監督が、企画・プロデュース・脚本・編集も務めた16分の短編です。ある日少女が、自宅の蔵の中に置かれていた古びた拳銃を発見する物語です。何げなくその拳銃を手にした彼女は、初めて見るこの拳銃にはどんな歴史があったのかと思いを巡らせるのでした。その後、豊田監督は「破壊の日」(2020年)、「全員切腹」(2021年)、「生きている」(2022年)、「ここにいる。」(2025年)と、6年がかりで「狼蘇山シリーズ」と呼ばれる短編群を製作し、その集大成が「次元を超える」なのでした。
 
 この「次元を超える」、6年がかりの「狼蘇山シリーズ」の集大成ということを知らなければ、意味不明なシーンの連続なのですが、栃木県鹿沼市加蘇山神社という実在の狼信仰の神社で撮影されたこともあって、宗教的なシンボルに満ちた映画でした。特に神道的要素が強く、千原ジュニア演じる宗教家が東出昌大演じる青年に「小指を奉納しなさい」と言ってまな板に乗ったナタを渡すシーンはギョッとしましたが、「小指に乗せて魂を宇宙に飛ばす」という意味でした。かつて遊女が本気で恋した相手に小指を切って渡したという「指切りげんまん」やヤクザの「指詰め」などに見られるように、小指には深いシンボル性があるのです。ちなみに、この映画には小指の形をした宇宙船も登場しましたね。
 
 あと、この映画で強烈な印象を放っているのが法螺貝です。窪塚洋介演じる修行者が吹き、千原ジュニア演じる阿闍梨が吹き、松田龍平演じる暗殺者も吹くのですが、これほど法螺貝の音色がたくさん流れる映画を他に知りません。法螺貝は神道と仏教のミックス宗教である修験道のシンボルですが、その音色は如来の説法の声を象徴し、その音を聞けば、罪は消滅し、極楽に往生できるとされ、衆生の罪の汚れを消し去り、悟りに導く象徴とされました。空海が持ち帰ったともされ、灌頂の際には阿闍梨が受者に法螺を授けました。また、東大寺二月堂の修二会(お水取り)では、堂内から鬼を追い祓うため、法螺貝が吹き鳴らされます。すなわち、法螺貝の音色には大いなる魔除けの力もあるのです。
 
 この映画の登場人物たちは、法螺貝を奏上することによって「次元を超える」ことを実現したように描かれていました。そのシーンを見て、わたしは今年5月30日に帰幽された京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生を思い出さずはいられませんでした。わが「魂の義兄弟」であった鎌田先生は、神道、仏教、修験道、スピリチュアリズム、スピリチュアルケア、グリーフケア...「こころ」と「たましい」に関わる、あらゆるジャンルを自由自在に駆け巡った精神世界の巨星でした。毎朝のように比叡山に登られ、山頂でバク転をして法螺貝を吹かれていました。わたしの長女の結婚披露宴、父のお別れの会でも、鎌田先生は法螺貝を奏上されていました。法螺貝の音色が何度も鳴り響くことによって、この映画は儀式の様相を呈していたように思います。

 わたしは、もし鎌田先生がご健在であれば、ぜひ映画「次元を超える TRANSCENDING DIMENSIONS」を観ていただきたかったと思いました。その理由は法螺貝が出てくるだけではありません。鎌田先生が最も好きだった映画「2001年宇宙の旅」(1968年)にちょっと似てるからです。「2001年宇宙の旅」は、アーサー・C・クラークの原作を基に、S・キューブリックが映像化したSF映画の金字塔です。人類の夜明けから月面そして木星への旅を通し、謎の黒石板"モノリス"と知的生命体の接触を壮観かつ哲学的な映像で描きます。人間 vs.AIの戦いを、陶酔の映像と音楽で描き出し、アカデミー賞を受賞した大傑作ですが、公開された当初は「わけのわからない映画」だと囁かれました。その点も、この映画に似ていました。しかし、「2001年宇宙の旅」が西洋的な理性主義の行き着いた果てを描いたとしたら、この映画は東洋的なシャーマニズムによる魂の飛躍を描いているといえます。いずれにせよ、鎌田先生のご専門なので、感想をお聞きしたかった!

「次元を超える」に似ている映画は「2001年宇宙の旅」の他にもう1本あります。数多くの熱烈なファンを持つチリ出身の名匠アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「ホーリー・マウンテン」(1973年)です。カルトムービーとして有名な作品で、鎌田先生も大好きでした。不死を求め、聖なる山の頂点へと向かう男女9人の狂気と美に満ちた旅が展開する物語です。とある砂漠ではりつけにされ、裸の子どもたちに石を投げつけられているキリストに似た風貌の盗賊(ホラシオ・サリナス)。自力で十字架から降り立った彼は、居合わせた男と共に町へ向かいます。町ではキリスト像を売る太った男たちに捕らえられ、鏡の部屋に閉じ込められてしまう盗賊でしたが、何とか部屋から脱出するのでした。ホドロフスキー監督自身が、登場人物たちを聖なる山へと導く錬金術師を熱演しています。この映画はストーリーよりもシンボルを重視し、「意識変容」をテーマとしています。
 
 そう、この「次元を超える TRANSCENDING DIMENSIONS」という映画も、「ホーリー・マウンテン」と同じく、ストーリーよりもシンボルを重視し、「意識変容」をテーマとしているのです。ストーリー軽視というよりも、シナリオはほとんど破綻していると言ってもいいかもしれません。その代わり、この映画はテーマパークのアトラクションのような体験型ムービーだと言えます。ドルビー・アトモスの音響はなかなかの迫力で、ストーリーの「わけのわからなさ」を超えて、別次元に連れて行ってくれるような感覚があります。エンドロールで流れたThe Birthdayの「抱きしめたい」も良かったです。The Birthdayは2005年に結成された反骨のロックバンドです。ガレージ、ブルース・ロックに根ざした荒々しい本格的なロック・サウンドと精力的なライヴ活動で高い支持を得る。2008年に初の日本武道館公演を開催。現在までにオリジナル・アルバムを11枚発表しましたが、2023年にチバユウスケが55歳で死去し、以降3人体制で活動。「抱きしめたい」は亡きチバへの鎮魂歌ともなっています。

 死者といえば、主人公である山中狼介(窪塚洋介)の彼女である野々花(芋生悠)は5年前に自死しているにもかかわらず、頻繁に狼介の前に姿を現します。彼女のことを狼介は「幽霊」と表現しますが、「それなら、彼女は葬儀を行っていないのだろうか」と、わたしは思いました。なぜなら、葬儀とは死者を成仏させてあの世へ送るための儀式であり、死者がこの世に残っているとしたらそれは葬儀の失敗にほかならないからです。葬儀によって成仏しているにもかかわらず、野々花が狼介の前に姿を現すとしたら、それは「幽霊」ではなく「幻」ということになりますね。このあたりは、一条真也の映画館「君の忘れ方」で紹介した今年1月17日公開の日本映画にも共通する問題です。同作は拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)が原案です。放送作家・森下昴(坂東龍汰)は付き合って3年になる恋人・美紀(西野七瀬)との結婚を控えていましたが、ある日彼女が交通事故で帰らぬ人となります。ショックで呆然とした日々を過ごす中、昴の前に何度も美紀が姿を現します。ちなみに、彼女の葬儀はしっかり執り行われました。葬儀ディレクター役は小生でした。
ロマンティック・デス』(オリーブの木) この映画、サンレー北陸の大谷賢博部長(上級グリーフケア士)も一緒に鑑賞したのですが、LINEで拙著『ロマンティック・デス』(オリーブの木)の内容を思い出したと伝えてくれました。確かに、同書の「死を詩に変える」というメッセージは「死は存在の別次元への移行」ということに通じます。「次元を超える」とは「死」そのものなのかもしれません。『ロマンティック・デス』には「スピリチュアル・ワンネス」という言葉が紹介されています。世界のすべてが精神的に一体であることです。死とは「私」を捨てて宇宙と「一体」になること。宗教における修行者の目指すところであり、超能力現象はスピリチュアル・ワンネスの証明であるということです。大谷部長は、「『次元を超える』とは『宇宙との再統合』であり、この映画が伝えたかったのは、これではないだろうかと思いました」と書いてくれました。
 
 劇中には「人間は物語を生きている」あるいは「人間はどこから来て、どこへ行くのか」というセリフがありました。これは死を終焉と見るか、それとも新たな旅立ちと見るかということです。 死を克服するのではなく、死者とともに生き、死者たちの語りかけを聴きながら、生の豊かさを知るということではないでしょうか。また、大谷部長は「法螺貝が鳴り響く場面で、鎌田先生の『彼岸と此岸をつなぐ通路』としての法螺貝、音を通じて次元を超える霊的共鳴体の響きを思い出しました。死は『消滅』ではなく『次の次元への旅立ち』。死後の世界は『恐怖ではなく光の世界への通過』。まさに、これは鎌田先生が提唱した『宗教体験』や『修行体験』を科学的に理解する試みである『心身変容技法』ではないか、と思いました」とも書いています。やはり、この映画、鎌田先生に観てほしかった!