No.1143


 10月14日の夜、打ち合わせ会食の後、日本映画「アフター・ザ・クエイク」をシネスイッチ銀座で観ました。ネットでの評価がとても低かったので気にはなっていましたが、やはり完成度は低かったです。劇場にはわたしを含めて4人しか観客がいませんでしたが、過去の村上春樹原作の映画では最も映像化に失敗していると思いました。

 ヤフーの「解説」には、「村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』に収録されている四つの短編を原作に描く人間ドラマ。1995年から2025年にかけて、それぞれ別の時代や場所で生きる4人の人生がつながっていく。監督を務めるのは『LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと 劇場版』などの井上剛。『ゴールド・ボーイ』などの岡田将生、『偽りのないhappy end』などの鳴海唯、『色即ぜねれいしょん』などの渡辺大知、『春に散る』などの佐藤浩市のほか、橋本愛、唐田えりか、吹越満らが出演する」とあります。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1995年、妻が行方不明になり、失意のうちに釧路を訪れた小村はUFOの話を耳にする。2011年、家出中の少女・順子はたき火が趣味の男性と交流する。2020年、『神の子ども』として育てられた善也がいつもいない父親に対して疑念を抱く。2025年、警備員の片桐は漫画喫茶で暮らしながら東京でゴミ拾いを続けていた」
 
 原作短編小説集の『神の子どもたちはみな踊る』ですが、アマゾンの内容紹介には「1995年1月、地震はすべてを一瞬のうちに壊滅させた。そして2月、流木が燃える冬の海岸で、あるいは、小箱を携えた男が向かった釧路で、かえるくんが地底でみみずくんと闘う東京で、世界はしずかに共振をはじめる......。大地は裂けた。神は、いないのかもしれない。でも、おそらく、あの震災のずっと前から、ぼくたちは内なる廃墟を抱えていた――。深い闇の中に光を放つ6つの黙示録」と書かれています。
 
 一条真也の読書館『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』にも書きましたが、村上春樹氏はアメリカの雑誌「THE PARIS REVIEW」2004年夏号で、「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」のタイトルで、ジョン・レイのインタビューを受けました。当時の新作であった『神の子どもたちはみな踊る』に収録されている「かえるくん、東京を救う」を取り上げたインタビュアーが、この巨大な虫の物語は日本製のモンスター映画とかマンガの影響を受けているのかという質問をします。それに対して、著者は影響を受けていることはないと明言します。
 
 さらに「古い言い伝えについては?」と問うインタビュアーに向かって、村上氏は「子供の頃にはたくさんの日本の昔話や、言い伝えみたいなものを聞かされました。そういう物語は子供が成長するにあたっては不可欠なものです。たとえば『かえるくん、東京を救う』みたいな話はそういう伝承の貯水池みたいなところからやってきたものかもしれません。あなたがたアメリカ人にはアメリカの伝承の貯水池があるはずだし、ドイツ人にはドイツ人の、ロシア人にはロシア人のそういうものがあるはずです。しかしそれと同時に国や民族を超えた共有の貯水池みたいなものもあります。たとえばサン=テグジュペリの『星の王子さま』や、マクドナルドや、ビートルズのような」と述べます。
 
 さらに続けて、村上氏は「物語」について、「物語というものが、現代において小説を書く上で重要なものごとになっています。文学理論がどうなっていようが、ボキャブラリーがどうなっていようが、大事なのはその物語が優れた物語であるか、そうではないか、という点にあります。僕らは今このようにインターネットの社会が出現したことによって、新しい種類の伝承のようなものを手にしています。これはひとつの大事なメタファーになります。そういう機能がこれから先、大事な意味を持ってくるかもしれない。このあいだ『マトリックス』という映画を見ました。これなんかは現代人の精神の生み出したフォークロアのひとつのタイプだと思う」と述べるのでした。

 映画「アフター・ザ・クエーク」の原作である『神の子どもたちはみな踊る』はそれなりに興味深い内容でしたが、残念ながら「アフター・ザ・クエーク」という映画は少しも心に響きませんでした。というより、さまざまな伏線がまったく回収されていないし、そもそも映画として破綻しているように感じましたね。地震の描き方も、カルト宗教の描き方も中途半端で、観ていてイライラしました。出演した俳優陣の顔ぶれは凄いのに、本当にもったいないと思います。岡田将生や堤真一はまだしも、佐藤浩市の役は気の毒でした。でも、それ以上に気の毒だったのは「かえるくん」を演じた"のん"です。豪華俳優陣を無駄使いした映画としては最近では一番かもしれません。何よりも、映画そのものがつまらないというのが悲しいですね。