No.1144


 10月17日から公開された日本映画「おーい、応為」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。9番スクリーンだったので画面が暗く感じましたが、それなりに興味深い作品でした。主演の長澤まさみは熱演でしたね。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の娘であり弟子でもあった絵師・葛飾応為の人生を描く時代劇。飯島虚心の『葛飾北斎伝』と杉浦日向子の『百日紅』を原作に、『日日是好日』などの大森立嗣が監督・脚本を務めた。北斎も認めるほどの絵の才能を開花させていく応為を大森監督作『MOTHER マザー』などの長澤まさみ、北斎を同監督作『星の子』などの永瀬正敏、北斎の弟子で応為と友情を育む絵師を『アキラとあきら』などの高橋海人が演じるほか、大谷亮平、篠井英介、奥野瑛太、寺島しのぶらが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「江戸時代。浮世絵師・葛飾北斎(永瀬正敏)の娘であるお栄(長澤まさみ)は、ある絵師に嫁ぐもその絵を見下す発言をしたことで離縁となり、北斎のもとに戻る。絵や画材が散乱する貧乏長屋で、絵のことしか頭にない父と共に暮らす中で彼女も絵筆を執るようになり、絵の才能を開花させていく。やがて絵師として生きる覚悟を決めたお栄は、北斎から『葛飾応為』の名を授かる」
 
 この映画の主人公である葛飾応為は、江戸時代後期の浮世絵師です。葛飾北斎の三女で、生年は不肖。応為は号(画号)で、名は栄(えい)と言い、お栄(おえい)、栄女(えいじょ)とも記されました。北斎には2人の息子と3人の娘(一説に4人)がいました。三女だった応為は、3代目堤等琳の門人の南沢等明に嫁ぎましが、針仕事をほとんどせず、父譲りの画才と性格から等明の描いた絵の稚拙さを笑ったため、離縁されてしいます。このくだりは、映画「おーい、応為」の冒頭に登場します。出戻った応為は、北斎の制作助手も務めたとされています。
 
 映画では長澤まさみが演じているため、応為は美人だったと思いがちですが、実際の彼女は顎が出ていたため、北斎は「アゴ」と呼んでいたといいます。実の娘とはいえ、ずいぶんな言い方ですね。80歳後半の北斎自筆の書簡でも応為を「腮の四角ナ女」と評し、自身の横顔と尖った顎の応為の似顔絵が添えられています。初作は文化7年(1810年)を下らない時期と推定される『狂歌国尽』の挿絵と見られています。同じく北斎の娘と言われる画人の葛飾辰女は、手や髪の描き方が酷似し、応為の若い時の画号で、同一人物とする説が有力です。斎藤月岑の日記によれば、応為は料理の支度をしたことがなく、また食事が終わると食器を片付けることなく放ったらかしにしました。この親子(北斎とお栄)は生魚をもらうと調理が面倒なため他者にあげてしまったそうです。
 
 応為の性格は、父の北斎に似る面が多く、やや慎みを欠いており、男のような気質で任侠風を好んだといいます。衣食の貧しさを苦にすることはありませんでした。絵の他にも、占いに凝ってみたり、茯苓を飲んで女仙人になることに憧れてみたり、小さな豆人形を作り売りだして小金を儲けるなどしたそうです。北斎の弟子、露木為一の証言では、応為は北斎に似ていましたが、北斎と違って煙草と酒を嗜んだとか。ある日、北斎の描いていた絵の上に吸っていた煙管から煙草の火種を落としたことがあり、これを大変後悔して一旦禁煙したもの、しばらくしてまた元に戻ってしまったといいます。この場面、「おーい、応為」の中にも登場しました。
 
「おーい、応為」では、応為の弟弟子の善次郎を髙橋海人が演じていました。善次郎は早くに武士である父親を亡くして、3人の妹を育てるなど大変苦労しました。その後、春画の人気絵師となり、商売も始めています。応為にも弟子がおり、たいてい商家や武家の娘で、いわば家庭教師として訪問して絵を教えていたようです。露木が「先生に入門して長く画を書いているが、まだうまく描けない」と嘆いていると、応為が笑って「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないといやになる時が上達する時なんだ」と言い、そばで聞いていた北斎も「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したとか。

「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ」と呼んだので、それをそのまま号としたとも、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と大津絵節から取って呼んだからという説や、あるいは北斎の号の一つ「為一」にあやかり、「為一に応ずる」の意を込めて「応為」と号したとする説もあります。かつて、わたしは拙著『老福論』(成甲書房)の中で「おーい、老い」というエッセイを書き、老いそのものを擬人化したことがありますが、そのことを思い出しました。応為の晩年は仏門に帰依し、安政2年から3年(1855年~1856年)頃、加賀前田家に扶持されて金沢にて67歳で没したとも、晩年北斎が招かれた小布施で亡くなったともされます。一方で虚心は、『浮世絵師便覧』(明治26年)で、慶応年間まで生きていた可能性を示唆しています。「おーい、応為の老い」ということで、映画でも北斎死後の晩年の応為を描いてほしかったですね。
 
 絵師としての応為は特に美人画に優れ、北斎の肉筆美人画の代作をしたともいわれています。また、北斎の春画においても、彩色を担当したとされます。北斎は「美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている」と語ったと伝えられています。応為の代表作である「吉原格子先之図」は、吉原の店先の格子の向こうに座る花魁たちを眺める人々の様子を描いた作品で、NHK大河ドラマ「べらぼう!」の吉原のシーンはまさにこの絵そのものだとされます。他にも「夜桜美人図」といった代表作がありますが、そ最大の芸術的特徴は、光と影の巧みな表現にあります。大胆な明暗のコントラストは、当時の日本画としては極めて革新的でした。この技法から「光の浮世絵師」「江戸のレンブラント」と称されるほどの高い評価を受けています。

 応為の父親である葛飾北斎を描いた映画には、一条真也の映画館「HOKUSAI」で紹介した2021年の橋本一監督作品があります。北斎の謎多き生涯を、柳楽優弥と田中泯が演じた伝記ドラマです。貧乏絵師が北斎として江戸を席巻し、"画狂人生"をまい進する姿が描かれます。北斎の青年期を柳楽、老年期を田中が演じ、阿部寛、永山瑛太、玉木宏らが共演しました。町人文化全盛の江戸。後の葛飾北斎である貧乏絵師の勝川春朗(柳楽優弥)は、不作法な素行で師匠に破門されましたが、喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出した版元の蔦屋重三郎(阿部寛)に才能を認められす。北斎は次々と革新的な絵を手掛け、江戸の人気絵師となるが、幕府の反感を買ってしまうのでした。

 でも、わたしにとって、葛飾北斎を描いた映画といえば、「北斎漫画」(1981年)です。浮世絵師・葛飾北斎と友人の戯作者・滝沢馬琴の交流を中心に、女性の魔力にとり憑かれていく北斎を幻想的に描いた作品です。矢代静一の同名戯曲を名匠・新藤兼人監督が映画化。北斎に緒形拳、馬琴に西田敏行、北斎の娘・お栄(応為)に田中裕子、妖艶な女・お直に樋口可南子という豪華キャストでした。82歳の北斎が恋心を寄せるお直と瓜二つの田舎娘を裸にして巨大な蛸が裸女に絡みついて犯す図を描くシーンがあるのですが、もう最高にエロティックでした。
葛飾北斎「喜能会之故真道」



 かくして北斎の傑作「喜能会之故真道」の蛸と海女の性交の図が完成したわけですが、鑑賞当時18歳だったわたしは鼻血ブー!(笑)でしたね。映画「北斎漫画」では、田中裕子が15歳から70歳までのお栄(応為)を演じて話題となり、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しています。もう一度、観直したい名作です!