No.1180


  12日の夜、一条真也の映画館「シェルビー・オークス」で紹介したアメリカ・ベルギーの合作映画に続き、この日から公開された韓国のホラー映画「悪魔祓い株式会社」をユナイテッドシネマなかま16で観ました。ホラー映画史における名作中の名作とされるアメリカ映画「エクソシスト」(1973年)へのオマージュ的要素の強い作品でしたが、アクション映画としても楽しめました。

 
ヤフーの「解説」には、「悪魔崇拝のカルト集団の台頭により混乱する韓国を舞台に描くホラーアクション。警察や神父たちでさえお手上げな状況の中、悪魔ばらいを専門で扱う会社の社長と社員たちが困難な状況に立ち向かう。イム・デヒが監督を務め、『犯罪都市』シリーズなどのマ・ドンソクが企画などを担当。少女時代のソヒョン、『ヒプノシス/催眠』などのイ・デヴィッドのほか、キョン・スジン、チョン・ジソらがキャストに名を連ねる」と書かれています。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「悪魔を崇拝するカルト集団の台頭により混乱する街では、警察や神父たちもなすすべがなかった。そこでたくましい肉体と力を持ち合わせたバウ(マ・ドンソク)、エクソシストのシャロン(ソヒョン)、情報収集係を担当するキム(イ・デヴィッド)から成る悪魔ばらい専門の会社に人々が殺到する。そんな折、妹のウンソ(チョン・ジソ)を助けてほしいという依頼が、医師のジョンウォン(キョン・スジン)から彼らのもとに舞い込む」です。
 
 この映画の直前に鑑賞した「シェルビー・オークス」は「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)、「オーメン」(1976年)、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1990年)といったホラー映画史に燦然と輝く作品群のオマージュ的場面に満ちていましたが、本作「悪魔祓い株式会社」はずばり「エクソシスト」へのオマージュそのものでした。1973年12月26日にアメリカで、1974年7月13日に日本で公開された同作は、少女に憑依した悪魔と神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作であり、その後さまざまな派生作品が制作されました。
 
「エクソシスト」はアメリカ映画です。アメリカはプロテスタントの国ですが、プロテスタントの祖であるルターは悪魔の存在を信じていたことで知られています。バチカンにはエクソシストの養成所がありますし、悪魔の存在を認めているという点では、カトリックもプロテスタントも共通しています。そして「悪魔祓い株式会社」は韓国映画ですが、韓国ではカトリックが盛んです。わたしは上智大学グリーフケア研究所の客員教授を務めましたが、上智といえば日本におけるカトリックの総本山です。それで神父や修道女の方々にも知り合いが増えたのですが、カトリックの文化の中でもエクソシズム(悪魔祓い)に強い関心を抱いています。なぜなら、エクソシズムとグリーフケアの間には多くの共通点があると考えているからです。エクソシズムは憑依された人間から「魔」を除去することですが、グリーフケアは悲嘆の淵にある人間から「悲」を除去すること。両者とも非常に似た構造を持つ儀式といえるのです。
 
 わたしは、これまでエクソシズムが登場する映画は必ず観てきました。それは儀式を描いた映画であり、参考となる点が多々あるからです。しかし、「悪魔祓い株式会社」はちょっと容姿が違いました。なんと、この映画でエクソシストを務める「悪魔祓い株式会社」の社長・バウは、パンチで悪魔をやっつけるのです。韓国映画界を代表する俳優の1人であるマ・ドンソクはこれまで数々の敵を圧倒的な"拳"で仕留めてきましたが、悪魔を相手にする本作でもそれは同様です。そんな強敵でも彼の鉄拳で粉砕されるので、わたしは「お前は、マイク・タイソンか!」とツッコミたくなりました。ただし、バウの人間離れしたパワーはかつて悪魔から授かったことがわかります。また、少女時代のソヒョンが演じる悪魔と交信する魅惑のエクソシスト・シャロンも悪魔からパワーを授かっていました。つまり、バウやシャロンは「デビルマン」や「チェンソーマン」の主人公と同じなのでした。
 
 アクションの要素は強いですが、「悪魔祓い株式会社」には、興味深い儀式の描写が登場します。正しくは、「エクソシズムの6段階」が忠実に描かれているのです。それは、1.存在確認(聖書朗読・十字架・聖水などで、悪魔の存在を確かめる)。2.偽装(悪魔が「自分は悪魔でない」と装い、だましてくる)。3.休止(悪魔が苦しみ、深く潜む。憑依者は一時的に気絶し静寂が訪れる)。4.声の攻撃(悪魔が相手=家族やエクソシストのトラウマを突き、心理的な揺さぶりをかけてくる)。5.衝突(悪魔が物理的攻撃を仕掛けてくる。物が壊れたり、暴力をふるってきたりする)。6.追放(救う前の最後の段階。追放の言葉で悪魔が身体から抜け出て、戻っていく)。以上です。
 
 本作で描かれた「エクソシズムの6段階」は、はキューブラー=ロス主著『死ぬ瞬間』の中で提唱した「死の受容5段階」を連想させます。すなわち、1・否認、2.怒り、3.取引き、4.抑うつ、5.受容ですが、これはグリーフケアにも通じる考え方です。エクソシズムとグリーフケアは共通点が多いと言いましたが、「魔」も「悲」も放置しておくと死に至るので危険ですね。しかしながら、「魔」や「悲」には対立すべきものがあります。「悪魔」に対立するものは「天使」であり、さらには「神」です。そして、「悲嘆」に対立するものは「感謝」ではないかと思います。神の御名のもとに悪魔が退散するように、死別の悲嘆の中にある人は故人への感謝の念を思い起こせば、少しは心が安らぐのではないでしょうか。さまざまな儀式を提供するわが社は「悪魔祓い株式会社」でもありますが、グリーフケアの実践と普及に努める「悲しみに寄り添う株式会社」でありたいです!