No.1182

 

 NETFLIXのアメリカ映画「トレイン・ドリームズ」を観ました。とても心に沁みました。静かな物語ですが、愛する人を亡くした人の悲嘆の描き方が見事でした。こんな秀逸なヒューマンドラマも作れるとは、ネトフリおそるべし!

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。「[Netflix作品]デニス・ジョンソンによる小説を原作に、20世紀初頭のアメリカで森林伐採に従事する鉄道労働者の人生を描いた人間ドラマ。『シンシン/SING SING』などに携わってきたクリント・ベントリーがメガホンを取り、同作などで組んだグレッグ・クウェダーが共同で脚本を執筆。キャストには『ラビング 愛という名前のふたり』などのジョエル・エドガートン、『博士と彼女のセオリー』などのフェリシティ・ジョーンズ、『ファーゴ』などのウィリアム・H・メイシー、『イニシェリン島の精霊』などのケリー・コンドンらがそろう」

 

 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「20世紀初頭のアメリカ。子供のころに両親を亡くしたロバート・グレイニア(ジョエル・エドガートン)は、鉄道建設のために森の木を伐採する仕事に従事していた。やがてグラディス(フェリシティ・ジョーンズ)と結ばれ、娘も生まれ、彼は愛する妻子と共に暮らす家を建てる。その後仕事のためにやむなく家族と離れることになり、さらにロバートは思いも寄らぬ試練に直面する」

 

 原作の"Train Dreams"(2011年)は、日本では未訳です。著書のデニス・ジョンソンは1949年、旧西ドイツ、ミュンヘン生まれ。1983年、長篇小説"Angels"でデビュー。核戦争後の近未来を描く"Fiskadoro"(1985年)や、ニカラグアの内戦を題材とする"The Stars at Noon"(1986年)など長篇小説を精力的に描き続けました。1992年に発表した第一短篇集『ジーザス・サン』により、カルト的に支持される作家となりました。2007年、ベトナム戦争を描いた長篇小説『煙の樹』(白水社)で全米図書賞を受賞、ニューヨーク・タイムズ年間最優秀図書にも選出。2011年の中篇小説"Train Dreams"はピューリッツァー賞の最終候補となっています。2014年、現代の西アフリカを舞台としたスパイ小説"The Laughing Monsters"を発表。2017年、肝臓癌のため67歳で死去。

 

 映画「トレイン・ドリームズ」には、ドラマティックな物語はありません。ストーリーがそれほど重視される内容ではないので、あえて書きますが、ジョエル・エドガートンが演じる主人公のロバート・グレイニアは、仕事に出ている間に火事で愛する妻と娘を亡くしてしまいます。子供のころに両親を亡くした彼がやっと手に入れた家族だったのに、それが幻のように消えてしまったのです。グレイニアの悲しみはあまりにも深いものでした。途中、死んだはずの愛娘ケイトが成長した姿で彼の前に出現するシーンがあります。足を骨折していたケイトを彼は必死で介抱し、そのまま一緒に眠ってしまいます。翌朝、娘の姿はどこにもありませんでした。夢だったのです。夢から覚めて、冷酷な現実に直面したグレイニアは号泣します。それはあまりにも哀しい現実で、わたしも貰い泣きしました。これは、たまりませんね。

 

 そんなグレイニアは、ケリー・コンドンが演じる未亡人のクレアに出会います。2人は一緒に森を眺めるのですが、クレアが「ここで火事があったなんて信じられないわ」と言います。それを聴いたグレイニアは初めて火事で家族を失ったことを告白し、「ときどき、悲しい気持ちに吞み込まれそうになるんだ」と言います。ときどき、森で声がすることがあり、家族の笑い声や話し声が聴こえるとも言います。でも怖くて声の方向を向けないという彼は、「妻と娘が逃げて行ってしまう気がするんだ。俺は彼女たちが自分を必要とするときに、いてあげることができなかった。そのことは事実だから変えようがない。せめて、彼女たちがふさわしい場所に行くまではこの土地で生きていこうと思う」と語ります。

 

 グレイニアの告白を聴いたクレアは、約1年前の夫の死について、「すべてが終わった時は、世界に穴が開いたみたいだった」と言います。人が死ぬ場面は初めてではありませんでしたが、愛する夫の死は想像を絶するものだったというのです。彼女は、どんな小さなものにも意味があり、全部つながっているとグレイニアに語ります。何かをじっくり見ていると、「始まりや終わりがどこかなんてわからない」というクレアは、「ちっぽけな虫も川と同じくらい大切なの。枯木も、新しい木と同じくらい大事。きっと、そこから何か学べるはず」と言うのでした。グレイニアが「俺は世捨て人だな」と言えば、クレアは「この世には世捨て人も必要よ。答えが貰える人を、ただ待つのよ」と言うのでした。この場面には、見事なグリーフケアが描かれていました。

 

 グレイニアは、本当に平凡な男でした。鉄道建設のための森林伐採に生涯を捧げ、晩年はときどきグレート・ノーザン鉄道に乗りました。銃を買ったこともないし、電話を使ったこともありませんでした。でも、一度だけ4ドルを払って周遊飛行機に乗ったことがありました。ささやかな人生を走馬灯のように振り返りながら、飛行機に乗ったその日だけはグレイニアは「すべてのものが繋がった」と感じました。そして、1968年、彼は眠ったまま亡くなったのです。跡継ぎはいませんでした。わたしは「身寄りのないグレイニアの葬儀は行われたのだろうか?」「彼の墓は建てられたのだろうか?」と思いました。映画の中で、伐採された大木の下敷きになって亡くなった3人の男を埋葬するシーンがありました。そのとき、親方的な人物が「少なくとも、こいつらがこの世にいた証が残った」という言葉が印象的でした。わたしが一連の著書で訴えてきたように、葬儀や墓はその人がこの世に生まれ、生きたという存在証明になるのです。

 

 映画「トレイン・ドリームズ」を観て、わたしは一条真也の読書館『ストーナー』で紹介した小説を思い出しました。アメリカ人作家ジョン・ウィリアムズの作品で、東江一紀氏による日本語訳は第1回日本翻訳大賞の「読者賞」を受賞しました。静かな物語ですが、魂が揺さぶられるような素晴らしい作品です。著者のウィリアムズは1922年8月29日、米国テキサス州クラークスヴィル生まれ。軍人や学者の生涯を送り、生涯に4冊しか小説を書きませんでした。本書はその3冊目の作品です。本書の帯には、俳優トム・ハンクスの「これはただ、ひとりの男が大学に進んで教師になる物語にすぎない。しかし、これほど魅力にあふれた作品は誰も読んだことがないだろう」という言葉が紹介され、さらには「半世紀前に刊行された小説が、いま、世界中に静かな熱狂を巻き起こしている。名翻訳家が命を賭して最期に訳した、"完璧に美しい小説"」と書かれています。

20251214215818.jpg「サンデー新聞」2020年1月11日号

 

 

 一段組で330ページに少し満たない『ストーナー』を読み終えると、不思議な感覚にとらわれます。よく「読書で他人の人生を疑似体験する」などと言いますが、それが完全な形で実現されたように感じるのです。わたしは自らの人生とは別のウィリアム・ストーナーという人物の人生を生きたかのような錯覚に陥りました。わたしだけでなく、多くの読者がそのような体験をしたのではないでしょうか。うまくいったのか、うまくいかなかったのか、よくわからない人生。職場の仲間とうまくやれなかったこと。結婚相手とうまくやれなかったこと。ストーナーの人生は、あらゆる人々の共感を呼ぶでしょう。なぜなら、時代や場所は違えど、人生とはみな似たりよったりだからです。わたしは、この小説はグリーフ文学の名著であると思いました。この小説を読めば、誰でも「自分の人生は生きるに値するものだろうか」「自分の人生は生きるに値したことがあっただろうか」という思いが沸々と湧いてきて、大きな悲しみに包まれるでしょう。ともに20世紀初頭のアメリカを舞台としていることもあり、おそらく未訳の小説"Train Dreams"は『ストーナー』に似ている気がします。「トレイン・ドリームズ」のように、ぜひ『ストーナー』も映画化してほしいものです。

 

 また、20世紀初頭を描いたアメリカ文学といえば、一条真也の読書館『舞踏会へ向かう三人の農夫』で紹介したリチャード・パワーズの小説も連想しました。この壮大な小説は、著者がボストン美術館で1枚の白黒写真を目にしたことから始まっています。3人の男はみんなよそ行きの帽子にスーツ、ステッキと盛装していますが、スーツやズボンには皺が寄っていますし、ステッキも長すぎるようです。おそらく3人とも普段はこういう服装に縁がないような人々が借り物の服を着ている印象です。著者はこの写真に付されたキャプションに「舞踏会へ向かう三人の農夫、1914年」と書かれていることについて、「年を見るだけで、三人が舞踏会に予定どおり向かってはいないことは明らかだった。私もまた、舞踏会に予定どおりに向かってはいなかった。我々はみな、目隠しをされ、この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れていかれて、うんざりするまで踊らされるのだ。ぶっ倒れるまで踊らされるのだ」と書いています。この三人の農夫たち、『ストーナー』のウィリアム・ストーナー、そして「トレイン・ドリームズ」のロバート・グレイニア。歴史とは名もなき人々の人生の集合体です。そう、彼らの物語(ヒズ・ストーリー)が歴史(ヒストリー)を作るのです!