No.1189


 メリー・クリスマス! クリスマス気分に浮かれたいところですが、中学の同級生の訃報に接し、呆然としています。「死は不幸ではない」と思ってはいますが、同級生との別れはやはり寂しくて悲しいです。イブの夜には、自宅の書斎で2004年のアメリカ・イタリア合作映画「パッション」をNETFLIXで再鑑賞。人間イエス・キリストの死までの最後の12時間を写実的に描く問題作です。20年ぶりに観ましたが、いろいろと考えさせられました。

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「世界中で大論争を巻き起こす一方、全米初登場第1位の大ヒットを記録した衝撃作。『ブレイブハート』のオスカー監督メル・ギブソンが私財2500万ドル、構想12年を費やし、イエス・キリストの最後の12時間と復活を描く。主人公イエス・キリストを演じるのは『ハイ・クライムズ』のジム・カヴィーゼル。マグダラのマリア役には『マトリックス レボリューションズ』のモニカ・ベルッチがあたっている。あまりにも残酷な拷問シーンの先に控える監督メル・ギブソンの熱きメッセージに注目」

 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「紀元前1世紀のエルサレム。十二使徒の1人であるユダ(ルカ・リオネッロ)の裏切りによって大司祭カイアファ(マッティア・スブラージア)の兵に捕らえられたイエス(ジム・カヴィーゼル)は、救世主を主張する冒涜者として拷問され始める」

 映画「パッション」には、キリスト教や新約聖書で知られる、イエス・キリストの受難と磔刑が描かれています。イエスへの拷問場面の場面は非常に凄惨であり、スプラッターホラーのようでもあります。公開の可否を巡り長期にわたってキリスト教団体等との論争が繰り広げられましたが、公開した途端に驚異の大ヒットを記録。この映画を観てショック死したキリスト教の信者、警察に自首する犯罪者なども出現しました。出演者全員のセリフは、全編アラム語とラテン語となっており、ギブソンの意向で日本語吹替版及び各国の吹き替え版は一切制作されていません。また字幕の表示箇所も監督の意向であらかじめ指定されています。全米でも英語字幕付きで公開されました。
ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教



 実際は違う日なのですが、クリスマスはイエスの誕生日だとされています。言うまでもなく、イエスは世界宗教であるキリスト教の開祖。紀元前4世紀頃にガリラヤのナザレに生まれ、30歳の頃にヨハネの洗礼を受けます。その後、「神の国は近づいた」と新たな宣教を開始しました。イエスはモーセ律法を尊重するとともに、安息日に病人を癒すなどして、律法学者やパリサイ派と対立しました。ペテロをはじめとした12大弟子を選んだイエスは、ユダヤ教の指導者層を批判します。その結果、ユダヤ人に捕らえられ、ローマ提督ピラトによって十字架刑に処せられました。しかし、3日後にイエスが復活したとの信仰が弟子たちに生まれ、彼こそメシア(救世主)としての主キリストであると信じられたのです。

 映画「パッション」の残酷描写について、メル・ギブソンは「福音書に忠実な描写」としていますが、「ユダヤ人が悪魔に挑発されてイエスの処刑を求めた」シーン等は福音書に基づくものではなく、ドイツ人修道女のアンナ・カタリナ・エンメリックの著書『キリストの御受難を幻に見て』にしかないものであるとして、ドイツ司教団などから「反ユダヤ主義に基づくもの」として批判されました。批判やバッシングを恐れて公開が延期されましたが、公開後は反ユダヤ主義という批判は沈静化しました。ただイエスの描写についての凄惨さについては根強く賛否があります。

 ユダヤ人を悪く描いていると欧米のメディアから叩かれたためか、イエスを預言者としては認めるが神としては認めないイスラム諸国で上映され、好意的に取り上げられました。この映画の上映時に言われたメル・ギブソンの反ユダヤ的志向については、上映時のユダヤ系団体からのバッシングがメル・ギブソンのユダヤ人への反発心を高め、後の人種差別発言の遠因になったといわれる主張がありますが、ウィノナ・ライダーが1995年の時点で彼とパーティー会場で会った際に「オーブン・ドジャーズ(「焼却炉を逃れた連中」の意)」と反ユダヤ的暴言を浴びせられた事を告白してます。

 映画「パッション」では、イエス・キリストがその癒しと愛の思想により、周囲から尊敬されながら生活していた状況から一転、処刑されるまでの12時間に何が起きたのかが描かれています。弟子や民衆から尊敬を集めるイエスを疎ましく思った当時のユダヤ教の権力者、主にパリサイ派はイエスがメシアを名乗る事など神を冒涜しているという罪を捏造し捕縛させました。イエスの愛による贖罪ではなく物理的なローマからの解放を望んだユダヤ人たちは、慣例となっていた過越しの祭での罪人の恩赦にあたって、ローマへの武力抵抗を行う組織熱心党ゼロテの武闘派であるバラバを釈放しイエスを処刑するように総督ピラトに訴えたのです。

 十字架に磔にされたイエス イエスは鞭打ちや石打ちの拷問を受けながら、十字架を背負わされて市中を歩き回らされました。それから、ゴルゴダの丘で手掌部と足根部に楔を打ち付けられ磔にされます。その後、槍で突かれるなどするがイエスは長時間苦しみに耐え、天父に自分を裏切った者や拷問した兵士らに対する赦しを求めます。ついにイエスが天に召される時が来るのでした。母のマリア、マグダラのマリアや支持者によって十字架から降ろされ埋葬されますが、宣言通り3日目に復活を遂げます。イエスの復活はごく短くエピローグとして描かれますが、このたびメル・ギブソン監督は「パッション2」としてイエス復活後を描いた続編が作られることになりました。
 
「パッション」の続編は2部作になることが決定しています。米エンターテイメント・ウィークリーによると、ライオンズゲートが「The Resurrection of the Christ: Part One」(原題)と「The Resurrection of the Christ: Part Two」(原題)として発表しています。「Part One」は2027年3月26日の聖金曜日に、「Part Two」は40日後の5月6日昇天祭に設定されています。聖金曜日はイエスが十字架にかけられた日、昇天祭はイエスが天に昇ったとされる日で、40日という間隔も聖書に基づいています。
 
 ギブソン監督は今年のポッドキャストで続編について「今まで読んだことがないような、常識を超えた強烈な内容の脚本」と表現。物語は天使の堕落から始まり、最後の使徒の死までを描く壮大なスケールとなる。「地獄に行く必要がある。サタンも登場させる必要がある。超野心的だが、挑戦してみる」と構想を語っている。ちなみに、メル・ギブソンは熱心なカトリック教徒であり純潔運動家としても知られており、避妊や妊娠中絶への反対をメディアに公言しています。キャストには前作に引き続き、ジム・カビーゼルがイエス・キリスト役で、モニカ・ベルッチがマグダラのマリア役で出演予定。ギブソン監督は製作パートナーのブルース・デイビーとともにプロデュースを担当するそうです。

 さて、「パッション」(Passhoin)とはもともと「受難」という意味です。映画「パッション」はキリスト教という世界宗教の原点を観客にリアルに突きつける問題作となっています。クリスマスの夜、世界中で親は子ども「イエス様はすべての人間の罪を背負って亡くなられました」と話すことでしょう。でも、その死は磔刑という最も残酷で最も苦しい刑罰によるものでした。イエスは苦しみに苦しみ抜いて死んでいったのです。「そこまで彼が背負った人間の原罪とは重いものなのか」と言葉を失ってしまいます。キリスト教の母体となったユダヤ教では、人間の根本は残酷で粗野であるとされました。モーセが十戒でわざわざ「殺すな」「盗むな」「犯すな」と書かなければ諫められなかったのです。
「隣人愛」を説いたイエス・キリスト



 イエス・キリストがその原罪を肩代わりして死ぬことで人間の罪が贖われたということになっていますが、そんな簡単な話ではありません。死を覚悟していたイエス当人でも最後に「神よ、神よ、なんぞ我を見捨てたまいし」と天に嘆き、信仰が揺らぐほどの仕打ちでした。それをしっかり描かなければキリスト教の本質も示せないというメル・ギブソンの考えには共感します。彼は観客に「目を背けるな」ということが言いたかったのでしょう。十字架に磔になったイエスは、その短い生涯にわたって「隣人愛」を説いた聖人でした。隣人愛は仏教の「慈悲」や儒教の「仁」にも通じる人類の普遍思想としての「思いやり」の精神です。
コンパッション!』(オリーブの木)



 それは「コンパッション(Compasshion)と呼ばれます。「COMPASSION」とは「COM」と「PASSION」が合わさった言葉。そう、「パッション」を共有することが「コンパッション」であり、それは「傷」や「痛み」や「苦しみ」を共にすることなのです。パッションからコンパッションへ・・・いま、この世界で苦しんでいる人々へ思いを寄せること、そして寄り添うこと。クリスマスとは、本来そういった「コンパッション」を実践する日ではないかと思います。最後に、今年のクリスマスの日に葬儀が行われるわが同級生の魂が安からんことを願わずにはいられません。彼はお互いが一番苦しいときに励まし合った戦友でした。彼は仏教徒だったので、心よりご冥福をお祈りいたします。寂しいです。悲しいです。わたしがそちらへ行ったら、また一緒に飲んでカラオケを歌いたいです。合掌。
「ハローディ」公式サイトより