No.1244


 4月3日から公開されたドイツ映画「落下音」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。第78回カンヌ国際映画祭「審査員賞」受賞、第98回アカデミー賞ドイツ代表選出作品です。上映時間が155分と長めですが、死の影が濃く漂う100年の怪奇譚で、わたしの好みでした。
 
 ヤフーの「解説」には、「北ドイツの農場を舞台に、それぞれ異なる時代を生きる4人の少女たちが同じ土地で体験する不可解な出来事を描いた怪奇譚。1910年代、1940年代、1980年代、現代のそれぞれに生きる少女たちが抱える不安を映し出す。監督などを手掛けるのはマーシャ・シリンスキ。ハンナ・ヘクト、ドラマ『ワンダを捜せ』などのレーア・ドリンダのほか、レナ・ウルツェンドウスキ、レーニ・ガイゼラーらが出演している」と書かれています。
 
 公式HPの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1910年代の北ドイツの農場。同じ村で幼くして命を落とした、自分と同じ名を持つ少女の気配をアルマは感じていた。1940年代、片足を失った叔父への抑えきれない欲望に気づいたエリカは自らに困惑する。1980年代、アンゲリカは肌にまとわりつくような何かの視線をいつも感じていた。そして現代、家族と共に移り住んだレンカはどうしようもない孤独感にさいなまれる」
ハリウッド・リポーター・ジャパン」より


 
 この映画、わたしはかなり前からその存在を知っており、早く鑑賞したいと思っていました。というのも、日頃から映画についての情報を交換している映画ジャーナリストのアキ(堀田明子)さんが試写会で観ており、その感想を事前に聞いていたからです。その話からは、わたし向きの映画の香りがプンプン漂っていました。アキさんはマーシャ・シリンスキ監督に本作についてのインタビューを行い、その内容を「ハリウッド・リポーター・ジャパン」に書かれています。インタビュー記事の冒頭に、アキさんは「『時代を越えて身体に刻み込まれる感情や思いを映画にできないだろうか』という監督の問いが原点となった本作。制作に向けリサーチをしていく中で強く惹かれたのは、語られることのなかった女性たちの隠された声だった」と書いています。
 
 アキさんは「歴史資料に残されていない女性たちの痛みや感情は、どのように世代を越えたトラウマとして、私たちの身体に受け継がれていくのか。この目に見えない継承をどのように映像へと昇華させたのか、マーシャ・シリンスキ監督に話を訊いた」とも書いていますが、まさにこの「歴史資料に残されていない女性たちの痛みや感情」の目に見えない継承こそが、映画「落下音」のメインテーマです。歴史(HISTORY)という言葉は「HIS STORY」を意味すると言われています。つまり、男性たちの物語の集合体が「歴史」となるという考え方です。でも、人類にはもう1つの歴史があり、それは女性たちの物語としての「HER STORY」です。「ヒストリー」から「ハストリー」へ。そう、「落下音」こそはハストリー映画でした!
 
 1910年代、アルマは同じ村で、自分と同じ名を持つ幼くして死んだ少女の気配に気づきます。それは彼女が生まれる前に亡くなった姉でした。アキさんのインタビューで、シリンスキ監督は「いま自分がいる場所に昔は誰がいたのか」という問いは、子どもの頃からずっと抱き続けてきたと述べています。監督はベルリンにある戦前に作られた家で育ったそうですが、小さい頃から「私が今座っているこの場所に、昔はどんな人が座っていたのだろう。その人は何を考えていたんだろう。そのときの思考や考えはどこに行ってしまったんだろう」と思いを馳せてきたといいます。「落下音」では、監督自身の思い出や記憶を扱いながら、そういった様々な記憶、感情、思いを大きな意識の流れとして描こうと試みたそうです。非常に興味深い試みであると思います。
 
 シリンスキ―監督へのインタビューで、アキさんは「邦題『落下音』と同じ意味である英題は『SOUND OF FALLING』ですが、ドイツ語のタイトルは『In die Sonne schauen(太陽を見る)』です。それぞれタイトルに込めた思いを聞かせてください」と質問。監督いわく、最初に決まった英題『SOUND OF FALLING(落下音)』はオリジナルのタイトルにあたりました。その後にドイツ語のタイトルを作ることになりましたが、「SOUND」に相当する適切なドイツ語がありませんでした。監督は、「悩んでいたときにインスピレーションをくれたのが、本作で登場人物が目を閉じて太陽を見るシーンでした。目を閉じて太陽を見ると、まぶたの裏で光がオレンジ色にゆらぐイメージが湧きますよね。太陽を直接見ることはできない、見るには痛みを伴う。それと同じように死を直接見ることも痛みを伴う。そのような連想から、ドイツ語のタイトル『In die Sonne schauen(太陽を見る)』が決まりました」と述べています。
「リビング北九州」2014年1月25日号


 
 シリンスキ監督の発言を読んで、わたしはフランスの箴言家であるラ・ロシュフーコーの「太陽と死は直視できない」という言葉を思い出しました。この言葉ほど、わたしの想像力を刺激した言葉はありません。この言葉を最初に知ったときから、わたしは「死」というものについて考え続けました。たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的になら見ることはできます。そう、太陽はサングラスをかければ見れます。そして、死にもサングラスのような存在があるのです。それを「愛」と呼びます。「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きられるように思います。
 
 ラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視することができない」と語りましたが、太陽と死には「不可視性」という共通点があります。わたしは、それに加えて「平等性」という共通点があると思っています。わたしは常々、「死は最大の平等である」と言っています。太陽はあらゆる地上の存在に対して平等です。太陽光線は美人の顔にも降り注げば、犬の糞をも照らすのです。わが社の社名は、「サンレー」ですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、「太陽光線(SUNRAY)」の意味を持っています。「死」も平等です。「生」は平等ではありません。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人・・・「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。
ロマンティック・デス』(オリーブの木)


 
 また、『ロマンティック・デス』(オリーブの木)にも書いたように、世界中に数多く存在する、死に臨んで奇跡的に命を取り戻した人々、すなわち臨死体験者たちは共通の体験を報告しています。いずれの臨死体験者たちも、死んでいるあいだは非常に強い幸福感で包まれたと報告していますが、おそらく脳の中で幸福感をつくるとされるβエンドルフィンが大量に分泌されているのでしょう。臨死体験については、まぎれもない霊的な真実だという説と、死の苦痛から逃れるために脳がつくりだした幻覚だという説があります。しかし、いずれの説が正しいにせよ、人が死ぬときに強烈な幸福感に包まれるということは間違いないわけです。しかも、どんな死に方をするにせよ、です。こんなすごい平等が他にあるでしょうか! まさしく、死は最大の平等なのです!
 
 映画「落下音」で、アルマが自分と同じ名を持つ幼くして死んだ少女の存在を知ったのは、その少女の死後写真を見たからでした。ヨーロッパにおける死後写真(ポストモーテム・フォトグラフィー)は、19世紀から20世紀初頭にかけて広く行われた習慣です。愛する家族を亡くした遺族が、故人の生きた証を残すために撮影を依頼しました。死後写真は19世紀のイギリスを中心に、ヨーロッパ各地で盛んになりました。当時は乳幼児の死亡率が高く、生前に写真を撮る機会がないまま亡くなるケースが多かったため、死後写真が「最初で最後の家族写真」となることも珍しくありませんでした。1839年に発表されたダゲレオタイプ(銀板写真) の普及により、肖像画よりも安価に記録を残せるようになったことが背景にありました。 ブログ「書肆ゲンシシャ」で紹介した大分県別府の古書店には、ヨーロッパの死後写真が大量に売られています。2020年10月にわたしが訪れたとき、東大で表彰文化論を学ばれたという店主の藤井慎二さんが丁寧に1点ずつ説明して下さいました。
ヨーロッパの死後写真の数々(書肆ゲンシシャ)


 
 死後写真は、故人がまるで「眠っているだけ」あるいは「生きている」かのように見せるための様々な工夫が凝らされました。たとえば、家族と一緒に椅子に座らせたり、お気に入りのおもちゃを持たせたりして、日常のワンシーンのように演出されました。たとえば、閉じたまぶたの上に目を描き込んだり、ガラスの義眼をはめ込んだりして、開眼しているように見せる技術もありました。さらには、目を開かせるために故人の瞼を縫うこともあったようです。体を固定するためのスタンド(ポージング用器具)が使われることもありましたが、これは生前の写真撮影でも長時間露光のために一般的に使用されていたものです。20世紀に入り、スナップ写真が普及して生前の姿を容易に残せるようになると、この習慣は徐々に衰退。現在では、歴史的な資料やアートとして展覧会が開かれたり、映画の題材にもなっています。
 
 わたしが、死後写真の存在を知ったのは、アメリカ・スペイン・フランス合作映画「アザーズ」(2001年)を観たときが最初でした。わたしはこの映画が大好きで、劇場で2回鑑賞しました。2回目は、昨年帰幽された宗教哲学者の鎌田東二先生と一緒に小倉のシネコン(現在のローソン・ユナイテッドシネマ小倉)で観ました。1945年、第二次世界大戦末期のイギリス、チャネル諸島のジャージー島。グレース(ニコール・キッドマン)は、この島に建つ広大な屋敷に娘と息子の3人だけで暮らしていました。夫は戦地に向かったまま未だ戻らず、今までいた使用人たちもつい最近突然いなくなってしまいました。屋敷は光アレルギーの子どもたちを守るため昼間でも分厚いカーテンを閉め切り薄暗いです。そこへある日、使用人になりたいという3人の訪問者が現れます。使用人の募集をしていたグレースはさっそく彼らを雇い入れますが、それ以来屋敷では奇妙な現象が次々と起こりグレースを悩ませ始めるのでした。
愛する人を亡くした人へ』(PHP文庫)


 
「アザーズ」は基本的にゴースト・ストーリーですが、グリーフケアの物語でもあります。思えば、幽霊という考え方そのものがグリーフケア的であり、さらには死後写真はグリーフケア・アートだと考えられます。「落下音」の中で、アルマが慕っていた曾祖母が亡くなります。彼女の死後、アルマはどうしても曾祖母の顔が思い浮かばないのですが、その皺だらけの手だけは鮮やかに思い出すことができました。このシーンを見て、わたしは拙著『愛する人を亡くした人へ』『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)の中で紹介した神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーの思想を連想しました。「落下音」はドイツ映画ですが、シュタイナーもドイツ語圏の人物です。シュタイナーは多くの著書や講演で、「あの世で死者は生きている」ことを繰り返し主張しました。
 
 シュタイナーは、イメージすることを、とくに死者をイメージすることを非常に大切にしていました。そのような場合、たとえば後ろ姿をイメージすることが大事なのだそうです。親が道を歩いているときに見たその後ろ姿の肩の感じとか、少し前かがみになって歩いている姿とかが記憶に残っているとするとしますね。そういうところをできるだけ、ありありと思い浮かべると、死者は生者からの呼びかけを感じることができるのです。それから、何でもないような、一緒に食事をしたり、話し合ったりしたときの情景、何かしてくれたときの様子などが自分の中にはっきり思い出として残っている場合、それをイメージすると、やはり死者はそれによって生者からのメッセージを受け取ることができます。
 
 ブログ「人類、半世紀ぶりに月へ」で紹介したように、月周回に挑むNASAの「アルテミス2」計画の打ち上げが成功しましたが、それを知ったとき、わたしは鎌田先生が月を見上げているときの表情などがありありと脳裏に蘇ってきました。鎌田先生とわたしは20年以上も満月の文通をする仲でしたが、わたしは日常の中でよく鎌田先生をイメージします。鎌田先生は、古今東西の宗教や哲学に精通しておられましたが、特にルドルフ・シュタイナーの思想に深く共感していました。鎌田先生とは多くの共著がありますが、その中に『グリーフケアの時代』(弘文堂)があります。最近、同書の紹介動画を作成したのですが、なかなか好評のようです。それを知ったある方が「戦争の時代、グリーフケアは国際的に求められています。AIを使えば翻訳も難しくないので、イラン版やパレスチナ版を作られてはいかがですか?」という提案を受けました。アメリカ版やロシア版もいいですね。ぜひ、『グリーフケアの時代』や『愛する人を亡くした人へ』、さらには『ロマンティック・デス』や『リメンバー・フェス』の各国版の紹介動画を作成したいです!