No.1279


 6月5日、アメリカ映画「Michael/マイケル」の特別先行上映(6月12日公開)をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。もちろん、IMAXです。最高の映画体験でした。今年の一条賞の大賞候補作品です!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『スリラー』『今夜はビート・イット』などの楽曲で知られるミュージシャン、マイケル・ジャクソンの伝記ドラマ。キング・オブ・ポップと呼ばれるスターとなった彼の軌跡と、その裏で抱えていた壮絶な孤独感や、強権的な父親からの支配といった苦悩を描く。メガホンを取るのは『イコライザー』シリーズなどのアントワーン・フークア。マイケルを演じるのは、彼のおいであるジャファー・ジャクソン。『ランニング・マン』などのコールマン・ドミンゴ、『search/#サーチ2』などのニア・ロングらが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「野心家の父親のもとで厳しいレッスンを受けてきたマイケル・ジャクソン(ジャファー・ジャクソン)は、兄弟たちで結成されたグループ『ジャクソン5』のメンバーとして幼いころから音楽業界で成功を収める。ソロアーティストとしても活動するようになったマイケルは、ヒット曲を次々と放ってキング・オブ・ポップと呼ばれるまでのスターになるが、その陰で孤独感や強権的な父親の呪縛に苦しんでいた」
 
 いやあ、この映画、役者も音楽も最高でした。何よりも映画として面白かった。わたしは完全にマイケル・ジャクソン世代で、大学1年生のときに人類史上最も売れた「スリラー」のアルバムを六本木WAVEで買いました。当時のわたしは六本木に住んでいたので、毎晩のようにディスコで「ビート・イット」や「ビリー・ジーン」の曲に合わせて踊っていました。「スリラー」ではマイケルはゾンビ・メイクをしましたが、それ以来、俗悪などとされていたホラー映画というジャンルが市民権を得たことも歴史上の事実です。
 
「スリラー」のアルバムが記録的な大ヒットとなったとき、マイケルは所属しているCBSレコードの幹部に「ぼくのMVをMTVで流してくれないか」と相談します。MTVといえば、わたしの学生時代が全盛期で、よく観ていました。当時はYouTubeなどありませんでしたから、MTVでMVが流れることが最高の音楽プロモーションだったのです。しかし、MTVは黒人の音楽を流していませんでした。その慣習を打ち破ったのが、マイケルの「ビリー・ジーン」でした。その後、すべての黒人ミュージシャンのMVが流れるようになりました。道を開いたマイケルは偉大です。
 
「ビリー・ジーン」といえば、ムーンウォーク。1983年に開催されたテレビ番組「モータウン25周年記念コンサート」で同曲を披露した際、間奏で世界初となる歴史的なムーンウォークを披露し、大きな話題を呼びました。実際は2秒ほどでしたが、わたしも含めて世界中の人々に絶大なインパクトを与えたのです。その後、同曲のミュージックビデオやライブでも代名詞のパフォーマンスとして定着しています。本作「Michael/マイケル」では、主演のジャファー・ジャクソンも見事なムーンウォークを披露していますが、本家に比べればちょっと物足りませんでしたね。
 
 しかし、ジャファー・ジャクソンは素晴らしかったです。マイケル・ジャクソンの人生を映画化する場合、最大の問題は「マイケルを誰が演じるか?」に尽きます。その点、マイケルの兄であるジャーメイン・ジャクソンの息子であり、マイケル自身の甥にあたるジャファーはこれ以上ない最高のキャスティングです。「よくぞ、ここまで似せたな」と思わせるほど、本物のマイケルにそっくりでした。本当は顔そのものはそんなに似ていないのですが、全体的な雰囲気がよく似ていました。やはり血は争えませんね。幼少期のマイケルを演じたジュリアーノ・クルー・バルディ、父ジョセフを演じたコールマン・ドミンゴも良かったですね。家族では、ラトーヤ・ジャクソンは登場していましたが、ジャネット・ジャクソンはいませんでしたね。どういう事情でしょうかね?
 
 本作は一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した2017年の大ヒット作品の製作陣によって作られています。同作は、「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった数々の名曲で知られるロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記ドラマです。1970年のロンドン。ルックスや複雑な出自に劣等感を抱くフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)は、ボーカルが脱退したというブライアン・メイ(グウィリム・リー)とロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)のバンドに自分を売り込む。類いまれな歌声に心を奪われた二人は彼をバンドに迎え、さらにジョン・ディーコン(ジョー・マッゼロ)も加わってクイーンとして活動する。やがて『キラー・クイーン』のヒットによってスターダムにのし上がるが、フレディはスキャンダル報道やメンバーとの衝突に苦しむのでした。
 
「ボヘミアン・ラプソディ」では、父と息子の物語でもありました。フレディ・マーキュリーはゲイであったこともあり、父親から認めてもらえませんでした。どんなに音楽で有名になっても、父は息子を認めません。しかし、アフリカ難民救済のためでノーギャラで「ライヴエイド」に出演しようとする息子フレディに対して、それまでずっと対立していた父が「善き言葉、善き想い、善き行い」に適う素晴らしい息子だと彼を初めて認めてハグするシーンでは、無性に感動して涙が出てきました。フレディ・マーキュリーの父親は熱心なゾロアスター教徒でした。その父のはからいで、フレディは死後に火葬されています。
 
 アメリカ映画そのものの底流には「父と息子の対立と和解」というメインテーマが流れているとされています。「ボヘミアン・ラプソディ」」の製作陣が作った「Michael/マイケル」でも、父と息子の対立が大きなテーマになっています。幼少期のマイケルにDVを行っていた父は、成長してからもマイケルを金ヅルにしようとします。わたしも映画で父親の毒親ぶりを知って、大きな怒りをおぼえました。フレディ・マーキュリーと違って、マイケルは最後まで父親と和解できなかったようです。本作のラストは「BAD」が流れ、最後にマイケルが「WHO'S BAD?」(悪い奴は誰だ?)と叫ぶのですが、そりゃ悪いのは親父でしょう。笑
 
 しかし、その毒父もマイケル・ジャクソンをショービジネスの世界に入れたという偉大な功績はあります。マイケル1人ではなく、5人兄弟の「ジャクソン5」としてですが。ジャクソン5は、バックストリート・ボーイズやワン・ダイレクションに代表される「ボーイ・バンド」の先駆けであるとされ、初めて白人の人気を集めた黒人アイドルともいわれています。1960年代にインディアナ州ゲーリー出身のジャクソン家によって結成され、マイケル・ジャクソンをリード・シンガーに置きました。1969年にモータウンからデビューを果たすや否やヒットを連発、スーパーアイドルとして一世を風靡しました。1975年のエピック移籍以降は「ジャクソンズ」として活動を継続し、自主制作によるディスコヒットを多く発表。84年にマイケルが脱退を表明して以降は活動が停滞し、90年を最後に解散状態となりました。なお、21世紀に入って幾度か再結成を果たしています。
 
 日本にもジャクソン5に似た兄弟グループがいました。玉本家の「フィンガー5」です。米国占領下の沖縄で、父親が経営する米兵相手のAサインバーでアメリカのロックやポップスに親しみ、当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」としてバンド活動を始めます。晃は「フィンガー5の音楽的ベースはモータウン系のソウル。ファンクもやったけど、日本では早過ぎた。コンサートではモンキーズ、カーペンターズ、ジャクソン5、トム・ジョーンズなど洋楽のカバーを歌ってダンスするバンド」などと述べています。また、晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」とも述べていますね。よく誤解されるのは「フィンガー5は、ジャクソン5のパクリ」と思われることですが、オールブラザーズのデビューはジャクソン5よりも早く、日米で同じような兄弟・兄妹グループが活躍したのは「シンクロニシティ」であるとされているようです。
 
 マイケル・ジャクソンの映画といえば、2009年の映画「THIS IS IT」が有名です。2009年6月に急逝したマイケルによって、死の数日前まで行われていたコンサート・リハーサルを収録したドキュメンタリーです。照明、美術、ステージ上で流れるビデオ映像にまでこだわり、唯一無二のアーティストとしての才能を復帰ステージに賭けながら、歌やダンスの猛特訓は死の直前まで繰り返されていました。コンサートを創り上げる過程では、偉大なスターであり才能あふれるアーティストでもありながらなおも進化を続けたマイケルの素顔が垣間見えます。わたしは、この映画を劇場で3回、自宅でDVDを3回観ました。何度観ても、本当に素晴らしい! 何が素晴らしいかって、50歳で死ぬ直前だったマイケルの動きの良さです。世界中から集められた超一流のダンサーたちの中に入っても、なんとマイケルの動きが一番良いのには驚きとともに、感動すら覚えます。
 
 マイケル・ジャクソンは、真に偉大なアーティストでした。まず、あれほど高音を出せた歌手はいません。「Aw」や「Hooo!」といった独特の掛け声は、「神の声」と呼ばれていました。そして、マイケルほどダンスがうまかった歌手もいません。伝説のムーンウォークは、まさに人間を超えた存在を連想させました。伝説のムーンウォークは、まさに人間を超えた存在を連想させました。それらの超人的なパフォーマンスは、彼の衝撃的な死の直後に製作・公開された映画「THIS IS IT」に余すところなく収められています。マイケルの映画といえば、初のミュージカル映画である「ムーンウォーカー」(1988年)が好きでした。この作品の中に出てくる「スムース・クリミナル」は最高だったですね。体がそのまま斜めに前のめりになる光景に、誰もが驚いたのではないでしょうか。曲としても、「スムース・クリミナル」はPOPなナンバーです。
 
 それから、マイケルの映画といえば、忘れられない3D映画があります。かつて、東京ディズニーランド(TDL)のアトラクションとして上演された「キャプテンEO」です。もちろんウォルト・ディズニー社が製作しました。1980年代にアメリカと日本のディズニーランドで絶大な人気を誇りました。わたしも大好きで、何度も観ました。いや、何度も体験しました。拙著『遊びの神話』(東急エージェンシー・PHP文庫)で、わたしは「キャプテンEO」を20世紀大衆文化の頂点の1つとして、もう1つの頂点としての「パラード」と比較したことがあります。「パラード」とは「サーカスの呼び込み」という意味ですが、1917年にパリのシャトレ座で上演されたバレエのタイトルです。コクトーの台本、サティの音楽、ピカソの舞台装置、レオニード・マシーンの振付という、当時の超一流の才能が結集した夢のように贅沢な作品でした。 
 
「パラード」が幕を開けたともいえる1920年代のパリの文化と並ぶ、もう1つの20世紀大衆文化の頂点を、わたしは80年代のアメリカに見たのです。そこには、まず「エンターテインメントの神」としてのウォルト・ディズニーがおり、そのディズニー文化の系譜に多くの才能が連なりました。ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ、イリュージョ二ストのシークフリード&ロイ、画家のメラニー・ケント、そしてマイケル・ジャクソンなどです。「キャプテンEO」は、まさにディズニー人脈が結集した奇跡の立体映画であり、その中心にいた人物こそマイケルだったのです。本作「Michael/マイケル」には、少年時代のマイケルが『ピーター・パン』を愛読し、ディズニー・キャラクターのぬいぐるみに埋もれているシーンがありました。来日したときは、TDlを貸し切ったこともあります。ディズニーが大好きだった彼の人生で最も幸福だったのは、「キャプテンEO」の頃だったのかもしれませんね。