No.0314


 公開されたばかりの日本映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観ました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「西岸良平による人気漫画『鎌倉ものがたり』を、西岸が原作者である『ALWAYS』シリーズなどの山崎貴監督が実写映画化。人間だけでなく幽霊や魔物も住むという設定の鎌倉を舞台に、心霊捜査にも詳しいミステリー作家が新婚の愛妻と一緒に、怪事件を解決していくさまを描く。和装に身を包み多趣味なミステリー作家を堺雅人、年の離れた妻を高畑充希が演じる。そのほか堤真一、安藤サクラ、田中泯、國村隼、薬師丸ひろ子、三浦友和、中村玉緒らが出演」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。「鎌倉に住むミステリー作家・一色正和(堺雅人)のもとに亜紀子(高畑充希)が嫁いでくるが、さまざまな怪奇現象が起こる日常に彼女は戸惑ってしまう。犯罪研究や心霊捜査にも通じている正和は、迷宮入りが予想される事件の折には、鎌倉警察に協力する名探偵でもあった。ある日、資産家が殺害され...」

 師走に観た「DESTINY 鎌倉ものがたり」、良かったです!堺雅人と高畑充希の2人も、一色夫妻のキャラに合っていました。中村玉緒のお手伝いさんも、安藤サクラの死神も、適役でした。わたしは、この映画が公開されるのが楽しみでなりませんでした。というのも、わたしは不思議な味わいを持つ原作の大ファンだからです。西岸良平氏の漫画はほとんど全作品を読んでいますが、特に映画化された『三丁目の夕日』、『鎌倉ものがたり』はコミックを全巻持っているだけでなく、再編集されたコンビニ本もすべて揃えており、妻や娘から呆れられています。

 西岸氏は1947年東京生まれ。現在は70歳ですが、立教高校・立教大学時代の同級生にミュージシャンの細野晴臣氏がいます。当時漫画家を目指していた細野氏は、西岸氏の才能に感服したことで漫画家の道を諦めて音楽の道に進む決意をしたとか。西岸氏は博識で知られ、1980年に「アップダウンクイズ(MBS)漫画家大会」に出場した際は、あっと言う間に10問正解して賞品のハワイ旅行を獲得しました。


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わが書斎の「オルゴール江ノ電」


 さらに、作品にも反映されていますが凝り性で多趣味の人です。鉄道ファンとして有名で、『三丁目の夕日』では湘南電車(80系電車)や都電や交通博物館を、『鎌倉ものがたり』では横須賀線や江ノ島電鉄や電車が作品に登場します。特に、江ノ島電鉄は「DESTINY 鎌倉ものがたり」で大活躍します。わが書斎には、江の島に行ったときの記念に求めた「オルゴール江ノ電」が鎮座しています。

「DESTINY 鎌倉ものがたり」では、その江ノ電は「黄泉の国」、すなわち死者の世界へ続いています。映画では黄泉の国に行ってしまった亜紀子を正和が江ノ電に乗って探しに行きます。そのシーンが非常に幻想的で、まるでジブリ・アニメの名作「千と千尋の神隠し」の実写版のようでした。千尋とカオナシが乗り合わせた不思議な電車を連想しましたね。

 ネタバレにならないように気をつけて書きますが、黄泉の国では、正和と亜希子の夫婦愛が感動的に描かれています。かつて、哲学者プラトンは『饗宴』において、元来が1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するという「人間球体説」を唱えました。そう、結婚相手と出逢うことは奇跡にほかなりません。そもそも縁があって結婚するわけですが、「浜の真砂」という言葉があるように、数百万、数千万、数億・・・ブルゾンちえみなら「35億」というでしょうが、そんな膨大な異性の中からたった1人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか!

 この映画には、多くの妖怪や魔物や神様が登場します。
 妖怪というのは「目に見えないもの」を見える化した存在ですが、一般に妖怪が好きな人は、民俗学に興味を抱く人が多いです。「DESTINY 鎌倉ものがたり」と「ZIP!」のスペシャルコラボ映像として、一色夫妻が「日本の暮らしのマナー」を学ぶ特別映像が5本作られています。國學院大學教授の新谷尚紀氏が民俗史監修をされていますが、「割り箸の割り方は?」「夜の口笛はナニを呼ぶ?」「てるてる坊主の作法」「赤文字にご用心」「ホウキに宿る神さま!?」といったタイトルが並んでいます。


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國學院大學の「常磐松ホール」で新谷尚紀教授と


 わたしは、2014年11月21日に新谷教授にお会いしました。ブログ「還暦と年祝い」で紹介した國學院大學での特別講義を拝聴したのですが、新谷教授は「この中で正月にはマイカーに注連縄を飾る人は何人いますか?」あるいは「喜寿の祝いをされた方を知っている人はいますか?」などと次々に質問して、聴講生たちに挙手を求められました。新谷教授いわく、年中行事や通過儀礼というのはすべからく「緊張する」時に存在するとのこと。たとえば正月ですが、去年までは良かったけれど今年は悪いものが入ってくるかもしれないとういうことで、正月飾りなどを行うわけです。厄年なども同じ理屈ですね。七五三や長寿祝いも同様です。


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國學院は日本民俗学のメッカです!


正和の祖父も父親も民俗学者だったという設定です。2人とも國學院の出身だったのかもしれません。というのも、國學院は日本民俗学が誕生した場所だからです。日本民俗学の創始者として知られる柳田國男と折口信夫はは、ともに國學院大學の教授でした。社会学や人類学といった欧米から入ってきた学問は帝国大学が受け皿となってきましたが、民間伝承学の延長線上にある日本民俗学は私学である國學院から産声を上げました。昭和10年、國學院大學からついに日本民俗学が誕生しました。


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   國學院大學と私


 わたしの父であるサンレーグループ佐久間進会長は國學院の出身ですが、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けています。また、佐久間会長は亥年ですが、柳田國男と折口信夫の2人も一回り違う亥年であると、新谷先生の講義で初めて知りました。わたしは、佐久間会長が國學院で学び、日本民俗学のまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことに何か運命的なものを感じました。

 柳田國男といえば、『妖怪談義』という妖怪研究の名著がありますが、その伝統を受け継いだのが小松和彦氏です。小松氏は現代日本を代表する民俗学者にして妖怪研究の第一人者として知られていますが、一条真也の読書館『妖怪学の基礎知識』で紹介した著書で、「妖怪の定義」について述べます。
「『妖怪』とは何か。正直なところ妖怪を定義するのはむずかしい。文字通りに理解すれば、不思議な、神秘的な、奇妙な、薄気味悪い、といった形容詞がつくような現象や存在を意味する。私の考えでは、これはそのままでは『妖怪』ではない。あえていえば『妖怪の種』である。しかし、そうした出来事・現象を『超自然的なもの』の介入によって生じたとみなすとき、それは『妖怪』となる。これが『妖怪』についてのもっとも広い定義である」

 一条真也の読書館『妖怪学講義』で紹介した本で、宗教学者である著者の菊地章大氏は、妖怪と民俗学の関係について、「妖怪はやはり民俗学の色彩が強くあるようです。かたや幽霊は文学的な要素を多分に持っていると言えます。浮世の人間模様が背景にあるからこそ、幽霊話は文学であり、人情話にもなるわけです」と述べています。
 そう、「幽霊」も「あの世」も、ともに妖怪学の研究対象でした。また菊地氏は「お葬式」について、「死者の世界へ行くのを嫌がって自分の家や仕事場に帰りたがっている霊魂に、戻ってきちゃいけないとあきらめてもらう。やすらかに『あの世』へ送り出す。そのための儀式が、つまりお葬式なのです。普通ならばこれでようやく、死んだ人と生きている人たちとの断ちがたいつながりが断たれることになります」と述べます。

 簡潔に葬儀の役割を説明していますね。では、本来は「あの世」へ行ってもらうべき死者の霊が、もしも「この世」にとどまった場合はどうなるのか。
 菊地氏は、「これまで魂が宿っていた肉体は火葬されていて、あるいは土葬ならば腐敗していて、もうありません。しかたなく霊魂はさまようことになります。あの世にも行かれず、この世にも戻ってこられずに、さまようしかなくなった霊魂。それがまさしく幽霊の本質なのです」と述べます。
 なるほど、お葬式とは、「死者を幽霊にしないためのもの」だったのです。

「DESTINY 鎌倉ものがたり」には、お葬式の場面も登場します。
 鎌倉では「幽霊申請」というのがあって、残された者が気になって成仏できない場合、死神に幽霊申請をして、しばらくの期間をこの世に留まるという制度があります。そこで老いた夫(橋爪功)を残して先に亡くなった妻(吉行和子)が幽霊として暮していたのですが、ついに夫が亡くなった夜、2人で葬儀会場から黄泉の国行きの江ノ電の停車場に向かいます。その2人に対して、正和が「お幸せに!」と声をかけるシーンが印象的でした。

 また、江ノ電の終点である黄泉の国駅では、多くの死者たちが新しくやってきた死者たちとの再会を喜ぶ姿が描かれます。これも感動的でした。黄泉の国は、一条真也の映画館「丹波哲郎の大霊界」で紹介した映画の死後の世界にそっくりでした。その死後の世界は死者の思念が反映された世界であり、「霊界とはこのような場所であるはずだ」というイメージが投影されています。地獄でさえも、生前に罪を犯した人々の罪の意識が作りあげているというのです。これは、偉大な霊能者として知られたスウェーデンボルグの説でもあります。このような霊界の存在を確信していれば、葬儀会場で故人に向かって「お幸せに!」と呼びかけるのも素敵かもしれませんね。


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唯葬論』(三五館)


「葬儀」の役割を徹底的に考察したのが拙著『唯葬論』(三五館)です。
 同書の第五章「神話論」では「死の起源神話」について述べていますが、そこで日本神話では亡き妻イザナミに会うため、イザナキが黄泉へ行くエピソードを考察しました。「DESTINY 鎌倉ものがたり」では正和は亜希子とともに現世へ戻ってきますが、わが国最古の神話である『古事記』では、イザナミとイザナキの夫婦は現世に戻れませんでした。

 変わり果てた妻の姿の恐ろしさにイザナキが逃げ帰ろうとすると、「私に恥をかかせましたね」と、イザナミが言いました。脱兎のごとく逃げるイザナキ。よもつしこめがイザナキを追い、次に八雷神が1500の黄泉軍を率いて追ってきましたが、イザナキは物を投げながら逃げ切りました。最後にイザナミ自身が追ってきた。黄泉比良坂(よもつひらさか)で大きな石をはさんで両者は向き合います。イザナミが「愛しい夫よ、あなたがこんなことをするならば、私はあなたの国の人間を1日1000人殺しましょう」と言いました。それに対して、イザナキは「愛しい妻よ、あなたがそうするならば、私は1日に1500の産屋を立てよう」と言いました。だから、1日に必ず1000人が死に、1日に必ず1500人が生まれるというのです。


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涙は世界で一番小さな海』(三五館)


 神話は人間生活のあらゆる面に行きわたっていますから、死や死後の世界にも当然ふれています。それどころか、死や死後の世界というのは世界中の神話におけるメイン・テーマの1つだといえるでしょう。死や死後の世界について語るのは神話だけではありません。
 アンデルセン、メーテルリンク、宮沢賢治、サン=テグジュペリといった人々が書いたファンタジーも同じく、死や死後の世界について語ってくれます。拙著『涙は世界で一番小さな海』では、「人魚姫」「マッチ売りの少女」「青い鳥」「銀河鉄道の夜」「星の王子さま」の5作品を「ハートフル・ファンタジー」として、その深いメッセージを探っていきました。
 わたしたちは、どこから来て、どこに行くのでしょうか。そして、この世で、わたしたちは何をなし、どう生きるべきなのでしょうか。そのようなもっとも大切なことを教えてくれる物語がハートフル・ファンタジーなのです。

 これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。それでも、今でも人間は死につづけています。死の正体もよくわかっていません。実際に死を体験することは1度しかできないわけですから、人間にとって死が永遠の謎であることは当然だといえるでしょう。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。その謎を説明できるのはハートフル・ファンタジーしかないと思います。そして、「DESTINY 鎌倉ものがたり」は素晴らしいハートフル・ファンタジー映画でした。

 一条真也の読書館『日本人は死んだらどこへ行くのか』で紹介した本のカバー前そでには、「私たちは死んだらどこへ行くのか――。これは誰もが必ず直面する問いであろう。この問いは、大いなる不安を伴うものであり、ときに絶望ですらあり、さらに深い孤独を感じさせるものでもある。 ほとんどの宗教が『死後』の問題を中心に据えているのも、それゆえだ。たしかに、『死んだらどこへ行くのか』についての固い信念があれば、『安心』を手にすることができるかもしれない。だが、その信念を持つことは現代日本人の多くにとって、そう容易なことではない」と書かれています。
 しかし、ハートフル・ファンタジー映画である「DESTINY 鎌倉ものがたり」は物語の力によって「安心」のようなものを観客に与えてくれます。

『日本人は死んだらどこへ行くのか』は、宗教哲学者の鎌田東二先生の著書です。國學院大學のご卒業で、現在は上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授を務められ、わが魂の義兄弟でもあります。その鎌田先生はご自身の蔵書をわがサンレーに寄贈して下さることになりました。数万冊の膨大な書籍を数回に分けて送って下さるのです。昨日届いた「昨日、約300箱の段ボール詰めを行ないました。」というタイトルのメールには以下のように書かれていました。
「昨日、まる一日がかりで、埼玉県さいたま市大宮区にある妻の実家に置いてある本約段ボール300箱を7人がかりで詰め終えました。2階と1階と書庫と大きく3カ所に分かれていて、特に書庫は庭にあるので、冷たい雨がそぼ降る中、大変な作業でした。ともあれ、ひとまず終えてホッとしております。15日には搬出し、そちらへは17日か18日に届けられると思いますので、よろしくお願いします」

 わが義兄弟である鎌田先生のご厚情には、ただただ感謝するばかりです。必ずや、ご蔵書を広く世の中のためになるように活用させていただきます。
 鎌田先生の膨大な蔵書の中には、ご専門である宗教や哲学の本はもちろん、国学や日本民俗学の専門書も多いことと思います。きっと、「死」と「死後」について書かれた本も少なくないのではないでしょうか。いま、鎌田先生は『涙は世界で一番小さな海』を舞台化する戯曲も書いて下さっています。日本人に死後の「安心」を与えることのできるハートフル・ファンタジー演劇を提供することが、われら義兄弟の夢であり、志です。ぜひ、鎌田先生にも「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観ていただきたい!