No.0337
映画「サウンド・オブ・ミュージック」をDVDで観ました。じつに40年ぶりぐらいの再鑑賞になります。先日、業界の海外視察でオーストリアを訪れ、ザルツブルグやザルツカンマーグートなど、この映画ゆかりの地を回り、改めてこの名画を観たくなったのです。自分でも意外だったのですが、予想以上に感動し、何度も涙腺が緩みました。
最近のわがカラオケ愛唱歌であるサザンオールスターズの「若い広場」には「あの日観てたサウンド・オブ・ミュージック 瞼閉じれば甦る♪」という歌詞が出てきます。じつは、「若い広場」が主題歌だったNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の時代背景も、「サウンド・オブ・ミュージック」の日本公開(1965年)も、そしてわがサンレーの創業も、ほぼ同じ時期です。ミュージカル映画の最高峰とされる「サウンド・オブ・ミュージック」が日本で公開された頃にわが社が誕生したと思うと、感慨深いものがあります。
ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。「ロジャース&ハマースタイン・コンビの大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルの映画化。1938年のオーストリア、院長の命により厳格なトラップ家へ家庭教師としてやって来た修道女マリア。彼女の温かい人柄と音楽を用いた教育法で、七人の子供たちはマリアの事が好きになるが、父親であるトラップ大佐とマリアの衝突は絶え間なかった。だが、次第に大佐に惹かれている事に気づき悩むマリア。やがて大佐の再婚話が持ち上がり彼女は傷心のまま修道院に戻るのだが......」
「日本人に最も愛されたミュージカル映画」などと呼ばれるほど、あまりにも有名な作品ですので、ストーリーをすでに知っている人も多いでしょう。もし、知らない方がいらしたら、Wikipedia「サウンド・オブ・ミュージック(映画)」の「ストーリー」をお読み下さい。この映画、じつに174分の長さなのですが、40年ぶりに観直してみて、ちっとも「長い」とは感じませんでした。記憶していた以上にテンポが良く、あっという間にエンディングを迎えました。
ディズニー・アニメのテンポに近い印象でしたが、特に「美女と野獣」や「アナと雪の女王」などに似ていると思いました。映画関係者の間では、「サウンド・オブ・ミュージック」にはミュージカル映画のみならず娯楽映画におけるヒットの方程式が隠されていると言われているそうなので、きっとディズニー・アニメのほうがこの映画の影響を受けているのでしょう。
ディズニーといえば、一条真也の映画館「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー/ピクサーのアニメ映画が大ヒットしました。第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝いた話題作ですが、「サウンド・オブ・ミュージック」とテーマが共通していることに気づきます。それは「音楽の力」と「家族の愛」です。「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公マリアも、「リメンバー・ミー」の主人公ミゲルも、ともに音楽の力で救われます。また、彼らはともに音楽の力によって家族の愛を得るのでした。
1905年にオーストリアで生まれたマリア・アウグスタ・フォン・トラップは、元オーストリア海軍将校ゲオルク・フォン・トラップと結婚し、亡くなった前妻の子供たちと自らの子供たちで「トラップ・ファミリー合唱団」を結成して有名になりました。彼女の自叙伝を脚色してつくられたのがミュージカル・映画で大ヒットした「サウンド・オブ・ミュージック」です。
Wikipedia「マリア・フォン・トラップ」より
さて、映画「サウンド・オブ・ミュージック」は実話に基づきながらも、多くのフィクションが含まれています。この作品は、あくまでマリアの自伝を「基にした」ミュージカルを「基にした」映画であり、元のミュージカルの時点から史実とは異なる点が多々あります。詳しくは、Wikipedia「サウンド・オブ・ミュージック(映画)」の「史実との相違点」を御覧下さい。
たとえば、映画ではマリアは修道女のまま、修道院の紹介でトラップ家に家庭教師にやってきますが、史実では家庭教師になった時すでにマリアは修道院をやめています。体調を崩しての転職でした。
生まれてすぐに母アウグスタ・ライナーを亡くしたマリアは、父カール・クチェラの手で親戚に預けられましたが、その父も9歳のときに失いました。やがて親戚との折り合いが悪くなると、彼女は家を出て全寮制の学校に入りました。1923年、マリアは、ウィーン学校を卒業しましたが、音楽が好きだった彼女は青年たちのグループに加わってオーストリアの民謡を習いました。もともと彼女はキリスト教に反感を持っていましたが、音楽鑑賞をするためにカトリック教会のミサに参列し、やがてキリスト教に心を惹かれるようになったそうです。
罪を告白するマリア
マリアの幸福を祈る院長
史実とは異なりますが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する修道院および修道女たちは、最初こそ自由奔放なマリアに手を焼きますが、トラップ家から戻ったマリアに対して献身的に尽くします。トラップ大佐への愛に気づいたマリアが「神に仕える身で男の方を愛するなど罪です」と悔いるのに対し、修道院の院長は「男女の愛も神聖です」、そして「人を愛しても神への愛は減りません」と述べ、マリアの女性としての幸福を祈るのでした。ザルツブルグの大聖堂でのマリアの結婚式のシーンは荘厳で素晴らしいものでした。やはり、カトリックの儀式は威厳に満ちていますね。
修道女たちから結婚を祝福されるマリア
威厳に満ちたカトリックの儀式
じつは、21日の午後、日本における儒教研究の第一人者である中国哲学者の加地伸行先生からお電話を頂戴しました。加地先生は、今月より、わたしが上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任したことを知り、わざわざお祝いの電話を下さったのです。久々の儒教の師からの電話に感激したわたしは、しばらくお話させていただきました。その中でキリスト教と儒教の違いという話題になりましたが、加地先生は「キリスト教、特にカトリックには家族主義の否定という本質がある」と言われ、わたしは目から鱗が落ちた気がしました。
家族主義に立脚する儒教では「肉親が死んだら最も悲しい」わけですが、家族を超えた隣人愛を志向するキリスト教では「誰が死んでも同じように悲しい」と考えるわけです。しかし、「サウンド・オブ・ミュージック」の修道女たちは家族を否定するのではなく、マリアの家族の最大の危機を救います。わたしは、「サウンド・オブ・ミュージック」という映画はカトリックの最も良き部分を描いた映画なのだと思いました。
修道女たちに救われたトラップ一家
日本におけるカトリックの総本山である上智大学で「グリーフケア」の研究をすることになったわたしは、神道・仏教・儒教のハイブリッドな信仰に基づく「祖先崇拝」を精神的支柱とする日本人のグリーフケアとはどうあるべきかと考えていましたので、加地先生のお話から大きなヒントを与えられました。ぜひ、わが平成心学にカトリックからの学びを加えて、日本人のためのグリーフケアを追究したいと思います。早速、これからカトリック関係の資料を読み込むつもりです。アウグスティヌスの『告白』や『神の国』、トマス・アクィナスの『神学大全』をはじめ、基本文献から学び直していきます。
カトリックについて学び直します
わたしは、これまで修道院という施設に一種の抑圧性を感じていましたが、「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する修道院は「癒し」と「救い」の場として描かれていました。イエスの理想をそのまま実現した場のようでした。愛に悩むマリアを前に「すべての山に登れ」を歌い上げる院長の姿に感動しました。ただ厳しい戒律を押し付けるだけでなく、悩める者を勇気づけるために歌う...これこそ、真の宗教者ではないかとも思いました。
また、わたしは「サウンド・オブ・ミュージック」という映画そのものがグリーフケアの物語であることに気づきました。この映画は、愛する妻を亡くしたトラップ大佐、愛する母を亡くした子どもたちの悲しみがマリアがもたらした愛情と音楽によって癒されてゆく物語なのです。
歌にはグリーフケアの力がある!
映画の中で、「悲しい時の薬は歌だって先生が言ったわ」というトラップ家の少女のセリフが出てきますが、グリーフケアにおいて歌は大きな力を発揮します。上智大学グリーフケア研究所特任教授にして神道ソングライターでもある鎌田東二先生は、ブログ『歌と宗教』で紹介した本において、歌の持つ力について次のように述べています。
「歌や祈りの言葉は、国境を超え、宗教を超えて、人々の魂、身体に直接働きかける力をもっているのだ。それは、世界を救うための人類の教義といった知的レベルを超えたダイナミックな力動性を宿している。だから、歌は人の心を切り替え、世界のありようの感受のしかたを切り替え、人間の関係性をも切り替えることができるのだ」
「サウンド・オブ・ミュージック」には、さまざまな名曲が登場します。
オープニングでマリアが山の草原で歌う「サウンド・オブ・ミュージック」、修道女たちが歌う「マリア」をはじめ、「私のお気に入り」「ドレミの歌」「もうすぐ17才」「ひとりぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」「恋の行方は」「さようなら、ごきげんよう」「すべての山に登れ」......マリアとともに歌う子どもたちも魅力的でした。じつは、映画製作40周年を記念したテレビ番組でマリア役のジュリー・アンドリュースと7人の子役が集合しました。そのときの様子はYouTubeで観ることができますが、当時すでに70歳だったジュリー・アンドリュースが一番若く見えるのには驚きました。(笑)
彼女は現在、82歳。健在です。
「サウンド・オブ・ミュージック」の数多い名曲の中でも、最も良く知られた歌が「ドレミの歌」です。日本では歌手のペギー葉山が自ら日本語の歌詞をつけて紹介したものが広く知られており、音楽の教科書にも掲載されました。ペギー葉山は1960年(昭和35年)にロサンゼルスで開催された日米修好100年祭に招待された直後にブロードウェイに立ち寄り、そこで見たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に感銘を受け、劇場の売店で譜面とオリジナルLPを購入したそうです。彼女はそのままホテルへ直行して1番の訳詞を手がけ、日本に持ち帰ったといいます。
ペギー葉山による日本語詞はアメリカのイメージが強いドーナツが最初に登場するなど、ミュージカルとの関連性が希薄になっていたため、「サウンド・オブ・ミュージック」の日本公演でペギーの詞が使われることは長らくありませんでした。しかし、2007年からの劇団スイセイ・ミュージカルによる「サウンド・オブ・ミュージック」では、ペギー葉山が修道院長役で出演し、はじめて彼女の日本語歌詞が使用されました。2010年の劇団四季による「サウンド・オブ・ミュージック」上演でもペギー葉山版の歌詞が使用されています。さらには、映画「サウンド・オブ・ミュージック」製作50周年記念吹替版「ドレミの歌」では、平原綾香がペギー葉山による日本語歌詞で歌い上げました。
歌詞中にドーナツを登場させたことについて、後にペギー自身は「戦時中の集団疎開で食べ物が乏しい中、一番食べたかったものが母親手作りのドーナツだったことからこの歌詞を着想した」と語っています。原曲の歌詞もいいですが、ペギーの日本語詞は「ドはドーナツのド」「レはレモンのレ」と食べ物からはじまって、「ミはみんなのミ」「ファはファイトのファ」「ソは青い空」「ラはラッパのラ」「シは幸せよ」と、この上なくポジティブな人生讃歌であり、この世界そのものを肯定する内容になっています。まさに音楽によって人生を肯定したこの映画にふさわしい歌詞であると言えるでしょう。
そういうわけで、先日訪れたザルツブルグのミラベル庭園やザルツカンマーグートの船上で、わたしはずっと「ドレミの歌」をハミングしていました♪
ザルツブルグのミラベル庭園で
ザルツカンマーグートの船上で