No.0343


 レイトショーで日本映画「蝶の眠り」を観ました。主演の中山美穂の透き通るような美しさを堪能しました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「中山美穂が『新しい靴を買わなくちゃ』以来となる映画での主演を務め、『アンティーク ~西洋骨董洋菓子店~』などのキム・ジェウクと共演したラブストーリー。ジャンヌ・モロー主演の『デュラス 愛の最終章』をベースに、年齢差のある男女の愛の物語を紡ぐ。『子猫をお願い』などのチョン・ジェウンが監督、脚本、原案を担当。病魔に侵されながらも必死に生きようとするヒロインと、彼女を愛する青年の真摯な姿が描かれる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「作家として成功を収めた50代の松村涼子(中山美穂)は充実した日々を送っていたが、ある日アルツハイマー病だとわかり、自らの死と向き合うために小説以外のことに挑戦しようとする。大学で講師を始めた彼女は、学校の近所の居酒屋で韓国人留学生チャネ(キム・ジェウク)と出会う。チャネは、彼女の執筆活動をサポートすることになり......」

 この映画、有楽町の「読売会館」の8階にある「角川シネマ」で観たのですが、ここを訪れたのは一条真也の映画館「シュガーマン 奇跡に愛された男」で紹介した映画を観て以来で、じつに5年ぶりとなります。なぜ、わたしが超多忙なのにもかかわらず、「蝶の眠り」を観たかというと、この作品が東京でしか上映されていなかったということと、ファンである中山美穂の久々の主演作だったからです。

 わたしは、中山美穂のファンなのですが、「ただ泣きたくなるの」や「世界中の誰よりきっと」を歌った歌手・中山美穂もいいですけど、女優・中山美穂が大好きでした。といっても、デビューしたばかりの頃の「ビー・バップ・ハイスクール」ではなく、「Love Letter」(1995年)、「東京日和」(1997年)、「サヨナライツカ」(2009年)といった彼女の主演作品がお気に入りでした。この3作は、とにかく泣けました。3作ともDVDを持っています。

 映画だけではありません。少年時代の特撮ヒーロー・ドラマやアニメは別として、基本的にテレビを観ない人間であるわたしが、大人になってから初めて全作をしっかり観たドラマは、1998年10月8日から12月24日まで毎週木曜日22時からフジテレビ系の「木曜劇場」枠で放送された中山美穂と木村拓哉が主演の「眠れる森 A Sleeping Forest」でした。番宣コピーは「記憶だけは殺せない」でしたが、シナリオの完成度が高い素晴らしいミステリー・ドラマでした。「蝶の眠り」には、中山美穂の寝顔が何度かスクリーンに映し出されますが、わたしは「眠れる森」を思い出しました。

「蝶の眠り」の主人公の女流作家は50歳ぐらいですが、若年性アルツハイマー病に冒されます。この設定、一条真也の映画館「アリスのままで」で紹介したハリウッド映画にそっくりでした。主演のジュリアン・ムーアが第87回アカデミー賞で主演女優賞を受賞した傑作です。若年性アルツハイマー病と診断された50歳の言語学者の苦悩と葛藤、そして彼女を支える家族との絆を描く人間ドラマですが、「蝶の眠り」の主人公・涼子には支えてくれる家族もおらず、孤独な闘病生活を送ります。

 そんな孤独な涼子の心の支えとなるのが、キム・ジェウク演じる小説家志望の韓国人青年チャネでした。正直言って、この映画に韓国人青年が登場する必然性を感じなかったのですが(キム・ジェウクはなかなかの美男子で、ちょっと高橋一生に似ています)、涼子は若さ溢れるチャネに惹かれ、愛犬の散歩や書斎の本の並べ替え、手書き原稿のワープロ打ちなどを依頼します。次第にチャネも涼子に惹かれるようになり、彼女の家で暮らすようになります。まあ、このへんは熟女が若い男をたらしこんだとも言えるでしょう。

 しかし、チャネが涼子の書棚の本を色別に並べ替えるシーンは魅力的でした。緑や青や赤のグラデーションの書棚や虹色の書棚などは初めて見る光景で美しかったです。チャネの「こんな書斎があれば、小説が書けそうな気がする」という言葉に対して、涼子が「書斎さえあれば、いくらでも書けるわよ」と言ったセリフが印象的でした。


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   『永遠の知的生活』(実業之日本社)


 書斎といえば、最も充実した書斎を持った日本人は、故渡部昇一先生であると思います。わたしは、渡部先生との対談本『永遠の知的生活』(実業之日本社)の中で渡部先生の書斎や書庫を紹介させていただきましたが、同書では「蝶の眠り」のテーマである記憶についても渡部先生と意見交換をさせていただきました。「記憶こそ人生」として、記憶の中にこそその人の人生があるというご意見を渡部先生から伺いました。そして、わたしたちは記憶力を失わないためのさざまな方策について語り合いました。


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   『思い出ノート』(現代書林)


 わたしは、究極のエンディングノートを目指して作った『思い出ノート』(現代書林)の活用を提案いたしました。エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか・・・それらの希望を自分の言葉で綴る記述式ノートです。高齢化で「老い」と「死」を直視する時代背景のせいか、かなりのブームとなっており、各種のエンディングノートが刊行されて話題となっています。しかし、その多くは遺産のことなどを記すだけの無味乾燥なものであり、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるようなエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。


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   『思い出ノート』について渡部昇一先生に説明しました


思い出ノート』では、第1章を「あなたのことを教えてください」と題して、基本的な個人情報(故人情報)を記せるようになっています。たとえば、氏名・生年月日・血液型・出身地・本籍・父親の名前・母親の名前といったものです。次に、小学校からはじまる学歴、職歴や団体歴、資格・免許など。また、「私の健康プロフィール」として、受診中の医療機関名・医師名、毎日飲んでいる薬、アレルギーなどの注意点、よく飲む薬などを記します。これは、元気な高齢者の備忘録としても大いに使えると思います。

思い出ノート』の真骨頂はこれからで、「私の思い出の日々」として、幼かった頃、学生時代、仕事に就いてからの懐かしい思い出など、過ぎ去った過去の日々について記します。たとえば「誕生」の項では、生まれた場所、健康状態(身長・体重など)、名前の由来や愛称などについて。「幼い頃・小学校時代」の項では、好きだった先生や友達、仲の良い友人、得意科目と不得意科目などについて。「高校時代」の項では、学業成績、クラブ活動、好きだった人、印象に残ったこと・人などについて。

 また、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。こういったアイテムをフックとして、当時のことを思い出していただくわけです。


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   渡部昇一先生と「記憶」について語り合いました


思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージなのですが、わたしは渡部先生から「暗記」についてお話しを伺っているうちに、こういうアイデアを思いつきました。つまり、痴呆症などで自分の人生や家族を忘れてしまったならば、自ら書いた『思い出ノート』を何度も読み返して、その内容を暗記してみればどうでしょうか。おそらく、人生のさまざまな出来事や家族の姿を思い出すきっかけとなるのではないでしょうか。そのように申し上げたところ、渡部先生からは「それは面白いアイデアですね。それにしても、こういうノートがあること、初めて知りました」と言われました。
「蝶の眠り」の涼子も、作家という才能を生かして、自分史を書き、それを何度も読んで暗記してみてもよかったのではないでしょうか。

 一方、記憶を失うことはけっして不幸なことではないという見方もあります。一条真也の読書館『解放老人』で紹介した本には、「認知症の豊かな体験世界」というサブタイトルがつけられていますが、認知症を"救い"の視点から見直した内容になっています。たとえば、著者の野村進氏は次のように書いています。
「重度認知症のお年寄りたちには、いわゆる"悪知恵"がまるでない。相手を出し抜いたり陥れたりは、決してしないのである。単に病気のせいでそうできないのだと言う向きもあろうが、私は違うと思う。魂の無垢さが、そんなまねをさせないのである。言い換えれば、俗世の汚れやら体面やらしがらみやらを削ぎ落として純化されつつある魂が、悪知恵を寄せ付けないのだ。こうしたありようにおいては、われらのいわば"成れの果て"が彼らではなく、逆に、われらの本来あるべき姿こそ彼らではないか」

 さらに野村氏は、痴呆老人について、「人生を魂の長い旅とするなら、彼らはわれらが将来『ああはなりたくない』とか『あんなふうになったらおしまい』と忌避する者たちでは決してなく、実はその対極にいる旅の案内役、そう、まさしく人生の先達たちなのである」と述べています。こういった一般に良くない現状を「陽にとらえる」発想は大切だと思います。もちろん、単なる痴呆症とアルツハイマーは違うでしょうが......。