No.366
日本映画「散り椿」を観ました。第42回モントリオール世界映画祭で準グランプリに当たる審査員特別賞を受賞した話題作です。受賞の知らせを受けた木村大作監督の第一声は「グランプリ(最優秀作品賞)じゃねえのかよ」だったとか。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『永遠の0』などの岡田准一が主演を務め、カメラマンのみならず『劔岳 点の記』で監督もこなした木村大作と組んだ時代劇。葉室麟の小説を基に、誰にも恥じない生き方を貫こうとする実直な武士たちの姿を描く。『明日への遺言』などで監督としても活躍する小泉堯史が脚本を担当。『CUT』などの西島秀俊をはじめ、黒木華、池松壮亮、奥田瑛二らが共演している」
ヤフー映画の「あらすじ」には、こう書かれています。
「享保15年、藩の不正を告発した瓜生新兵衛(岡田准一)は、追放の憂き目に遭う。藩を追われた後、最愛の妻・篠(麻生久美子)は病魔に侵され、死を前に最後の願いを夫に託す。それは、かつては新兵衛の友人で良きライバルでもあり、篠を奪い合った恋敵でもあった榊原采女(西島秀俊)を助けてほしいというものだった」
「散り椿」を観終わった後の率直な感想は、「きれいな写真だな」です。 とにかくワンカット、ワンカットが絵画のように美しいです。あと、画面が全体的に暗いのですが、「龍馬伝」をはじめとするひと頃のNHK大河ドラマなどと違って不鮮明ではなく、クリアーな映像でした。さすがはカメラのプロである木村監督の映画だと思いました。なにしろ、黒澤明監督の下でキャメラマンとしてのキャリアをスタートさせ、「用心棒」「椿三十郎」などを手掛けた伝説の映画人です。
「散り椿」について、モントリオール世界映画祭の審査委員長であるエリー・カスティエルは「映画を見て、クロサワを思い出した。クロサワはショー的な映画だが、この作品は絵画の連続だった」とコメントしています。それに対して、木村監督は「超えることは無理だが、迫ろうとは思っている。黒澤さんの1カットで撮る殺陣にインスパイアされているが、そこに雨や風など自分の色を加味して壮絶な美を狙った。それはできている自負がある」と堂々と語りました。主演の岡田准一の殺陣も素晴らしく、彼の雰囲気は三船敏郎に似ていると思いました。
Wikipedia「木村大作」の「来歴」には、以下のように書かれています。
「自分の師匠は撮影助手として付いていた宮川一夫や斉藤孝雄ではなく黒澤明だとしており、その影響を強く受けたことを自認している。黒澤からも、そのピント合わせのうまさから一目置かれており、本人から『撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ』と言われた事もあるという。黒澤は『用心棒』で犬が人の手首をくわえて歩いて来るカットをビデオで見るたびに、周りの人間に必ず『これ、ピント合わせてるの、大ちゃんだよ。うまいね』と言っていたというエピソードもある(特になんでもない場面のように見えるが、ピントの合う範囲が狭い望遠レンズを使用しているにも拘らず、カメラの方に向かって歩いて来る犬をぼけることなく完璧に撮影している)」
続いて、「来歴」には以下のように書かれています。
「黒澤は、木村が一本立ちして東宝を離れてからも、自分の現場でピント合わせで手こずるような事があると『木村大作を呼んで来い。こんなのあいつなら、一発だよ』と冗談交じりに言ったとも言う。『用心棒』で助手として付いていた宮川一夫からも『日本一のフォーカスマン(撮影助手)』と激賞されていることからもわかるように、ピント合わせにおいては、木村は超一流である。特に東宝は、口径の大きなアナモフィクレンズ(シネマスコープに変換するレンズ)とスタンダードな(写真用35mmレンズと同等)口径のレンズを両手で自分の目でピン送りしていたので、熟達した技能者を必要としていた。特に対象が、キャメラに向かい(騎馬など)、キャメラがトロッコ等で対象に向かっている場合のそれをドンピシャに合わせられたのが木村だった。ただし当然ジャジャボケの時もあり、『泣きの大作』の所以でもあった。なお、黒澤作品にはすべて撮影助手としての参加である」
「散り椿」は、さまざまな映画人から高い評価を得ています。
たとえば、黒澤の「用心棒」や「椿三十郎」で三船敏郎と共演した仲代達矢は、「新兵衛と死の徒采女の間に通い合う感情は、武士の家を描きながら決して狭い『御家』に留まらない、人間の普遍的な愛のひとつの形を提示した作品だったかと思います。スクリーンにあふれる静と動のリズム、四季折々の自然の息づかい、そして、その中にある人の心の奥深い佇まいなどが、絶妙なカメラワークで捉えられていました。良い仕事をしましたね」と語っています。
また、木村監督が撮影を担当した「八甲田山」に出演している北大路欣也は「輝く、美しい大自然に育まれ懸命に生き、生かされている人間の生き様苦しくも、悲しくも、切なくもある。それを乗り越え、力強く突き進む主人公の息遣いを感じながら、有るがままを受け入れ、人を思いやるその心の深さ、優しさに感動。ロマン溢れる時代劇の醍醐味を満喫させてくれる素晴らしい作品だ!」と述べています。
さらに、木村がカメラマンとして参加した「追憶」に出演経験のある小栗旬は、「本当に、素晴らしい映画でした。日本の古き良きサムライムービーで、そして岡田准一さんの本当に達人にしか見えない圧倒的な存在感。木村大作監督が言われていたように、昔、自分が見て憧れた先輩俳優たちに勝るとも劣らない姿が美しい映像の中に溢れており、最後の戦いでの岡田准一さんの顔・姿・形には、まさにその時代を本当に生きたのではないかという深さを感じました。僕らのこの時代に木村大作監督と岡田准一さんという俳優が出会うのは必然であったと思うし、二人がこの時代で出会えたことが奇跡的なことだなと思う映画でした」と述べています。
そして、東映グループの岡田裕介会長は、「東宝のまさに、伝統本流の時代劇でした。木村監督ならではの、絵画のような美しい画の数々もすばらしく、スケールよりその丹念さを感じました。岡田准一さんも、殺陣の稽古だけでも大変そう・・・。目に見えぬ努力を感じました。そう・・・この映画には目立たない、丁寧さを深く感じました。御苦労様・・・。ありがとうございました」
東宝のライバルである東映のトップにここまで言わせるとは大したものですね。良質の時代劇は日本映画界全体の宝なのでしょう。
「散り椿」を観終わって、わたしは「ああ、久々に日本映画らしい作品を観たなあ」という思いがしました。故・黒澤明監督の愛弟子である小泉堯史監督の「雨あがる」をはじめ、役所広治が好演した「どら平太」、あるいは真田広之が熱演した「たそがれ清兵衛」といった数々の名画が心によみがえりました。もちろん、一条真也の映画館「蜩ノ記」で紹介した映画もそうです。「散り椿」と同じく葉室麟の小説を映画化した作品で、岡田准一も重要な役で出演しています。
「蜩ノ記」は物語としても「散り椿」と重なる部分が多いですが、最もわたしの心に響いたセリフは「死ぬことを自分のものとしたい」という役所広治が演じた主人公の言葉でした。予告編には「日本人の美しき礼節と愛」を描いた映画という説明がなされ、最後は「残された人生、あなたならどう生きますか?」というナレーションが流れます。切腹を控えた日々を送る武士の物語ですが、ある意味で究極の「終活」映画と言えるでしょう。
さて、「蜩ノ記」も「散り椿」も江戸時代の物語ですが、無実の罪で切腹を命ぜられるなど、理不尽な点が多々見られ、不愉快な気分になる描写が多々あります。「蜩ノ記」では過酷な年貢に苦しむ百姓たちの苦しみも伝わってきます。じつは、一条真也の新ハートフル・ブログ「出口治明氏講演会」で紹介したように、4日に立命館アジア太平洋大学(APU)の出口学長の講演を聴いたばかりなのですが、出口学長は、物事を考える際に「数字・ファクト・ロジック」で考えるクセをつけることを訴えています。
そして、それらを根拠にすれば、本の主張などを鵜呑みにすることもなくなるとして、一条真也の読書館『本の「使い方」』で紹介した著書で以下のように述べています。 「たとえば、わたしが『江戸時代』に最低の評価を下しているのは、江戸時代が『栄養失調の社会』だったことが数字でわかっているからです。とくに江戸時代末期は、飢饉が起こっても鎖国体制で食料の輸入がままならなかったこともあって、日本人男性の平均身長は150cm、体重は50kg台まで低下したそうです。江戸時代は戦争のない平和な時代だったと言われていますが、市民が幸せだったとは言い切れません。そもそも政治の役割は『みんなにごはんを食べさせて、安心して赤ちゃんを産める生活水準を守ること』のはずです。そう考えると、身長も体重も縮んだ江戸時代が豊かな時代だったとは思えないのです。少なくとも私は江戸時代に生まれたくはありません」
たしかに江戸時代以前のほうが身長・体重ともに日本人は体格が良かったようです。出口氏の言うように、江戸時代が「栄養失調の社会」だったというのも否定できません。しかしながら、江戸時代に生きる武士には優れた精神文化があったと思います。『葉隠』に「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」とあるように、かつての武士たちは常に死を意識し、そこに美さえ見出しました。生への未練を断ち切って死に身に徹するとき、その武士は自由の境地に到達するといいます。そこでもはや、生に執着することもなければ、死を恐れることもなく、ただあるがままに自然体で行動することによって武士の本分を全うすることができ、公儀のためには私を滅して志を抱けたのです。
「武士道といふは死ぬ事」の一句は実は壮大な逆説であり、それは一般に誤解されているような、武士道とは死の道徳であるというような単純な意味ではありません。武士としての理想の生をいかにして実現するかを追求した、生の哲学の箴言なのです。 いわば、それは「死ぬための道」ではなく、「永遠に生きる道」だったのです。そのような死生観が「蜩ノ記」と同様に「散り椿」にも描かれていました。 拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)には「蜩ノ記」を紹介しましたが、同書の続編を出すときには、ぜひ、「散り椿」を取り上げたいです。
死生観といえば、「散り椿」という単語そのものが日本人の死生観を示しています。桜と並んで椿の散るさまは日本人にとっての理想的な「死」のシンボルと言えます。「散る桜 残る桜も 散る桜」は良寛和尚の辞世の句ですが、「散る椿 残る椿も 散る椿」と詠み換えることができます。散る椿は、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていける。たとえ、この世を去ろうとも、人の想いは深く生き続けるのです。 椿といえば、黒澤明の「椿三十郎」でモノクロの画面の中に赤く映し出された椿の花の美しさが忘れられません。そういえば、拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版社)の表紙にも赤い椿が描かれています。椿は「いのち」のシンボルなのです。
最後に、「散り椿」の主人公・藩の不正を告発して追放され、一匹狼となった瓜生新兵衛(岡田准一)の姿は、日本相撲協会の暗部を告発した結果、一匹狼となった元貴乃花親方を連想させます。モンゴル人力士間の星の貸し借りをはじめ、大相撲が腐り切っているのは明らかですが、それを正すには元貴乃花親方が噂されているように政界進出するのが一番だと思います。日本相撲協会は公益財団法人であり、内閣府から改善を求めるという政治的手段が最も効果的です。貴乃花をめぐる一連の問題が、「散り椿」のようにスカッと爽快な結末に終わることを願っています。