No.367

 シネスイッチ銀座で日本映画「日日是好日」を観ました。法令試験の日(24日)が迫っていてそれどころではないのですが、「これだけは観なければ!」という想いでレイトショーに駆けつけました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「茶道教室に通った約25年について記した森下典子のエッセイを映画化した人間ドラマ。母親の勧めで茶道教室へ通うことになった大学生が、茶道の奥深さに触れ、成長していく姿を描く。メガホンを取るのは『ぼっちゃん』などの大森立嗣。主人公を『小さいおうち』『リップヴァンウィンクルの花嫁』などの黒木華、彼女と一緒に茶道を学ぶ従姉を『ピース オブ ケイク』などの多部未華子、茶道の先生を『わが母の記』などの樹木希林が演じる」

 ヤフー映画の「あらすじ」には、こう書かれています。
「大学生の典子(黒木華)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉・美智子(多部未華子)と共に、タダモノではないとうわさの茶道教室の先生・武田のおばさん(樹木希林)の指導を受けることになる」

 この映画を観る前に、わたしは原作である『日日是好日』森下典子著(新潮文庫)を読みました。アマゾンの内容紹介には「お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに『お茶』があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる......季節を五感で味わう歓びとともに、『いま、生きている!』その感動を鮮やかに綴る」と書かれていますが、非常に感動しつつ1時間半ほどで読了しました。「これは最高の茶道入門であり、『新・茶の本』だ!」とさえ思いました。

 映画「日日是好日」を観終わって、わたしは「ああ、黒木華はよい女優になったなあ」と思いました。一条真也の映画館「小さいおうち」で紹介した映画で初めてその存在を知った彼女はけっして美人ではありませんが(失礼!)、不思議な魅力を持った女優さんです。彼女のショウユ顔ならぬ昭和顔が、じつにこの映画にマッチしていました。映画の中で最初は野暮ったかった女子大生役の彼女が社会人として生きながらお茶の稽古を続けるうちに、次第に綺麗になっていくさまが見事に描かれていました。

「日日是好日」は、茶道の映画です。わたしは、父が千利休よりも古い小笠原家古流茶道の全国の会長を務めていることをはじめ、周囲に茶道と関わっている人が多いので、非常に興味深く観ました。わたしの長女もずっと東京の茶道教室に通っているのですが、映画の中の黒木華演じる女性と重なって見えました。茶道は「ジャパニーズ・ホスピタリティ」そのものであると言えますが、親としては少しでも娘に日本人としての「つつしみ」「うやまい」「おもいやり」の心を知り、「もてなし」というものを体得してほしいと思っています。

 この作品は大変よくできた茶道入門映画であると思います。茶道は単に一定の作法で茶を点て、それを一定の作法で飲むだけのものではありません。実際は、宗教、生きていく目的や考え方といった哲学、茶道具や茶室に置く美術品など、幅広い知識や感性が必要とされる非常に奥深い総合芸術です。その総合芸術である茶道が、同じく総合芸術である映画のテーマになったところが、「日日是好日」の最大のポイントであると思います。


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茶をたのしむ(現代書林)


 『茶をたのしむ』(現代書林)にも書きましたが、茶道は、禅と深い関わりがあります。禅宗は「今をどう生きるか」を説く仏教の一派ですが、茶道には禅の精神が随所に生きています。むしろ禅の思想が茶道の根本にあると言ってもいいでしょう。偉大な茶人はすべて禅の修行者でもあったことを考えれば、茶道の正体とは、茶の湯という「遊び」を通して禅の「教え」を伝える「宗遊」なのかもしれません。人は茶室の静かな空間で茶を点てることに集中するとき、心が落ち着き、自分自身を見直すことができます。


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決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)


 拙著『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)にも書きましたが、茶道は日本人の「おもてなし」における核心です。茶で「もてなす」とは何か。それは、最高のおいしいお茶を提供し、最高の礼儀をつくして相手を尊重し、心から最高の敬意を表することに尽きます。そして、そこに「一期一会」という究極の人間関係が浮かび上がってきます。人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対し最善を尽くしながら茶を点てることを「一期一会」と最初に呼んだのは、利休の弟子である山上宗二です。「一期一会」は、利休が生み出した「和敬静寂」の精神とともに、日本が世界に誇るべきハートフル・フィロソフィーであると言えるでしょう。


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死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 茶の湯はもともと戦国時代に生まれ、発展しました。
かつて戦国の世に、武将たちは僧侶とともに茶の湯と立花の専門家を戦場に連れていきました。戦の後、死者を弔う卒塔婆が立ち、また茶や花がたてられました。茶も花も、戦場で命を落とした死者たちの魂を慰め、生き残った者たちの荒んだ心を癒やしたのです。今でも、仏壇に茶と花を手向けるのはその名残です。
わたしは、すべての文化の根底には「死者への想い」があるという「唯葬論」というものを唱えているのですが、映画という文化もまた然りです。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書いたように、わたしは映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘップバーンやグレース・ケリーにだって、三船敏郎や高倉健や菅原文太にだって会えます。そして、この映画では先日亡くなられたばかりの樹木希林さんに会えました。「日日是好日」を観ながら、わたしは「樹木希林さんは生きている!」と思いました。

「ただものではない」茶道の先生役というのは非常に難しい役どころだと思いますが、樹木希林さんは難なく演じていました。お茶を点てる場面も、本当のお茶の先生のような所作でした。そして、手の動きが美しかったです。その動きを見ながら、わたしは一条真也の映画館「おくりびと」で本木雅弘さんが演じた納棺師の流れるような指の動きを連想しました。樹木さんは、言うまでもなく日本映画を代表する役者さんであり、その独特の演技や人生観には多くの人々が魅了されました。わたしもその1人です。全身をがんに冒された樹木さんは、常に「死ぬ覚悟」を持って生き抜かれた方でした。その生き様は、超高齢社会、多死社会を生きる日本人の1つの模範になるのではないでしょうか。

 樹木さんは今年5月には一条真也の映画館「万引き家族」で紹介した日本映画でカンヌ映画祭に参加されていました。この作品は同映画祭の最高賞である「パルムドール」を受賞しましたが、わたしは失望しました。というのも、樹木さん扮する老婆の初枝が亡くなったとき、彼女の家に居候をしている疑似家族たちはきちんと葬儀をあげるどころか、彼らは初枝の遺体を遺棄し、最初からいないことにしてしまったからです。このシーンを観て、わたしは巨大な心の闇を感じました。1人の人間が亡くなったのに弔わず、「最初からいないことにする」ことは実存主義的不安にも通じる、本当に怖ろしいことです。初枝亡き後、信代(安藤サクラ)が年金を不正受給して嬉々としてするシーンにも恐怖を感じました。一方、葬儀の意義と重要性を見事に表現したのが、本木さんが主演した「おくりびと」です。

9月15日に75歳で逝去された樹木さんの葬儀を取り仕切ったのは、娘婿である本木さんでした。この義理の母子は、人間にとって最も大切なことをわたしたちに伝えてくれたように思います。樹木さんは「日日是好日」によって「生きる」ということを、本木さんは「おくりびと」によって「弔う」ということを。なぜ、「日日是好日」が「生きる」につながるのか。それは黒木華演じる主人公の典子が雨の音を聴いて雨と一体になり、「生」の本質を悟ったからです。そして、「生」の本質とは「水」と深い関わりがあります。
「日日是好日」は、水の映画です。雨、海、瀧、涙、湯、茶などが重要な場面で使われますが、これらはすべて「水」からできています。地球は「水の惑星」であり、人間の大部分は水分でできています。「水」とは「生」そのものなのです。


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世界をつくった八大聖人』(PHP新書)


 孔子といえば、わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。その中で、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。彼らの生涯や教えを紹介するとともに、八人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。

「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、かつて『孔子・老子・釈迦三聖会談』(講談社学術文庫)という著書で、孔子、老子、ブッダの思想を比較したことがあります。
 そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という三人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。そして、三人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったのではないかというのです。

 儒教の書でありながら道教の香りもする『易経』には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというのです。考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測しています。そして、「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。

 東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。そして、それは「礼」というコンセプトにも通じます。孔子が説いた「礼」が日本に伝来し、もっとも具体的に表現したものこそ茶道であるとされています。
 また、飛行機の操縦士だったフランスの作家サン=テグジュペリは飛行機の操縦士でしたが、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟りました。そして、一条真也のハートフル・ブログ『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。


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人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)

 さて、水は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。
「日日是好日」を観て、わたしは「水」とは「こころ」、器とは「かたち」のメタファーであることに気づきました。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。
 ちなみに、拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)で、わたしは「『人生100年時代』などと言われるようになった。その長い人生を幸福なものにするのも、不幸なものとするのも、その人の『こころ』ひとつである。もともと、『こころ』は不安定なもので、『ころころ』と絶え間なく動き続け、落ち着かない。そんな『こころ』を安定させることができるのは、冠婚葬祭や年中行事といった『かたち』である」と書きました。


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決定版 年中行事入門』(PHP研究所)

「日日是好日」には、春夏秋冬......日本の四季がすべて登場します。そして、美しく描かれています。それぞれの四季折々にはふさわしい花があり、菓子があり、そして年中行事があります。世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。
 正月の初釜で樹木希林さん演じる武田先生が「こうしてまた初釜がやってきて、毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」と、しみじみと語るシーンがあります。茶道はたしかに繰り返しです。春→夏→秋→冬→春→夏→秋→冬......毎年、季節のサイクルをグルグル回っています。考えてみれば、茶人とは「年中行事の達人」であり、「四季を愛でる達人」なのですね。


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人生の修め方』(日本経済新聞出版社)


 そして、季節の他にもう1つ、茶道はさらに大きなサイクルを回っています。それは、子→丑→寅→卯→辰→巳→午→未→申→酉→戌→亥......の十二支です。初釜には、必ずその年の干支にちなんだ道具が登場するのだった。干支にちなんだ茶器は12年に1回しか使われません。なんという贅沢でしょうか。茶人は「人生の四季を愛でる達人」でもあるのです。こういうふうに人生の四季を愛でていけば、「老いる覚悟」や「死ぬ覚悟」を自然に抱くことができるのではないでしょうか。まさに、茶道とは「人生の修め方」にも通じているのです。
 そういえば、映画では典子の父親が桜の季節に亡くなります。武田先生は典子に「桜が悲しい思い出になっちゃったわね」と言いますが、その武田先生を演じた樹木さんには死期が迫っていたわけです。あのとき、どういった心境で樹木さんはあのセリフを口にしたのでしょうか。そんなことを考えました。

 最後に、わたしはシネスイッチ銀座の最後列で鑑賞したのですが、空調機の音が大きくてストレスを感じました。シネスイッチ銀座といえば、一条真也の映画館「ニューシネマ・パラダイス」で紹介した映画が日本で初めて公開された映画館として知られています。1989年12月でした。東京・銀座4丁目にある「シネスイッチ銀座」で40週にわたって連続上映されました。わずか200席の劇場で動員数約27万人、売上げ3億6900万円という驚くべき興行成績を収めました。この記録は、単一映画館における興行成績としては、現在に至るまで未だ破られていません。ちなみに、多くの人々が「人生最高の映画」とか「心に残る名画」として、この映画の名を挙げていますが、わたしはまったく認めていません。単なるチープな妄想映画であると思っています。この映画を評価する人の価値観を疑ってしまいます。

 一方、「日日是好日」には、フェリニーの映画「道」が登場します。これは、わたしも何度も観て涙した素晴らしい名作です。世界映画史に燦然と輝く作品であると思います。「日日是好日」の原作本には、「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の2種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。『お茶』って、そういうものなのだ」と書かれています。
「すぐにはわからないもの」のシンボルが「道」なら、一度通り過ぎればそれでいい「すぐわかるもの」とは「ニューシネマ・パラダイス」のことではないでしょうか。


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シネスイッチ銀座にて