No.410


 日本映画「長いお別れ」を観ました。
 3日、保険業界の方々を対象に「人生を修め方」をテーマに講演します。そのネタさがしの目的もあって観たのですが、想像以上に素晴らしい修活映画で、非常に感動しました。「老い」を描いた日本映画の最高傑作だと思います。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「直木賞作家・中島京子の実体験に基づく小説を、『湯を沸かすほどの熱い愛』などの中野量太監督が映画化。認知症の影響で徐々に記憶を失っていく父と、彼と向き合う家族を描く。認知症の父を『モリのいる場所』などの山崎努、家族を『彼女がその名を知らない鳥たち』などの蒼井優、『春の雪』などの竹内結子、『ゆずの葉ゆれて』などの松原智恵子が演じるほか、北村有起哉、中村倫也らが共演」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「2007年、父・昇平(山崎努)の70歳の誕生日で久々に帰省した長女の麻里(竹内結子)と次女の芙美(蒼井優)は、厳格な父が認知症になったことを知る。2009年、芙美はワゴン車でランチ販売をしていたが、売り上げは伸びなかった。麻里は夏休みを利用し、息子の崇と一緒に実家へ戻ってくる。昇平の認知症は進行していて、『帰る』と言って家を出る頻度が高くなっていた」

「長いお別れ」というのは認知症の別名だそうです。この映画で山崎努が演じた昇平は、70歳のときに認知症を発症し、それから7年生きますが、家族は7年間という長い時間をかけて昇平とお別れしたわけです。妻や娘や孫に向かって、「あなたは誰ですか?」と問いかける老人の姿はやはり悲しいものがあります。松原智恵子演じる昇平の妻は、そのたびに「あなたの妻でございます」と自己紹介するのですが......。


 昇平には2人の娘がいますが、70歳の誕生日のときに離れ離れだった家族全員が自宅に揃って、誕生日を祝います。そのとき、全員の頭には三角帽子が乗っていました。パーティー・グッズの定番ですが、この家ではもうずっと昔から誰かの誕生日やクリスマスのときには家族全員で三角帽子を被るのでした。映画の最後のほうで蒼井優演じる次女の芙美が「家族の心が1つになる気がして、わたしは嫌いじゃなかった」と語るシーンがあります。きっと、この三角帽子を被って全員で食事をすることは、この家族にとって大切な「儀式」だったのでしょう。

 そして、この家族にとってもう1つの大切な「儀式」がありました。それは、昇平の認知症が進行して深刻な事態になったとき、何度も娘たちが実家に帰ってきて母親を助けることでした。それは7年間にわたる「長い儀式」でした。一条真也の読書館『最期のセレモニー』で紹介した編著には多くの実例が紹介されていますが、葬儀とはお別れの儀式です。ならば、この映画のタイトルである「長いお別れ」とは「長いお葬式」でもあったのです。ちなみに、山崎努は「お葬式」(1984年)、「おくりびと」(2008年)という日本映画史に残る名作に重要な役で出演しています。

 それにしても、山崎努の存在感は本当に素晴らしい!
 1936年(昭和11年)生まれの彼は、わたしの父より1歳年下の同年代です。ですので、この映画を観ながら、わたしは自分の父のことをずっと考えていました。山崎努といえば、日本映画界を代表する名俳優ですが、俳優座養成所を経て、1959年に文学座に入団しています。60年、、岡本喜八監督作品の「大学の山賊たち」で映画デビュー。わたしが生まれた63年には劇団雲結成に参加し、黒澤明監督作品の『天国と地獄』で誘拐犯・竹内銀次郎役を演じ、一躍注目を浴びました。この年、前年のドラマNHK「アラスカ物語」での共演がきっかけで交際していた元・宝塚歌劇団星組の黛ひかると結婚します。結婚の際、仲人を務めたのは交際のきっかけとなった「アラスカ物語」の脚本を担当した石原慎太郎でした。

 その後、山崎努は1984年の「お葬式」以降、伊丹十三監督作品には連続起用されました。2008年には、一条真也の読書館「おくりびと」で紹介した映画に出演します。楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つけます。面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されるが、業務内容は遺体を棺に収める仕事でした。当初は戸惑っていた大悟でしたが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしてゆきます。葬儀社の事務所で、佐々木がフグの白子を焼いて食べながら、「うまいんだよなあ、これが、困ったことに...」としみじみと言うシーンが印象的でした。

 さて、「長いお別れ」の昇平は元教師であり、退職してからも毎日、読書を欠かさないインテリでした。映画には夏目漱石の『こころ』やアインシュタインの『相対性理論』の岩波文庫、また岩波の国語辞典などが登場しますので、彼は「岩波文化人」と呼ばれるような古いタイプのインテリだったようです。そんな読書の習慣のある、いわば知的生活というものを続けた昇平が認知症を患い、いろんな記憶をなくしていく描写を見て、わたしは複雑な思いでした。
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永遠の知的生活』(実業之日本社)



日本人で最高の記憶力を誇った方に、英語学者で「知の巨人」と呼ばれた故渡部昇一先生がおられます。わたしは、渡部先生との対談本『永遠の知的生活』(実業之日本社)の中で、記憶についても渡部先生と意見交換をさせていただきました。「記憶こそ人生」として、記憶の中にこそその人の人生があるというご意見を渡部先生から伺いました。そして、わたしたちは記憶力を失わないためのさざまな方策について語り合いました。
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思い出ノート』(現代書林)



 わたしは、究極のエンディングノートを目指して作った『思い出ノート』(現代書林)の活用を提案いたしました。エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか...それらの希望を自分の言葉で綴る記述式ノートです。高齢化で「老い」と「死」を直視する時代背景のせいか、かなりのブームとなっており、各種のエンディングノートが刊行されて話題となっています。しかし、その多くは遺産のことなどを記すだけの無味乾燥なものであり、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるようなエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。
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思い出ノート』について渡部昇一先生に説明しました



思い出ノート』では、第1章を「あなたのことを教えてください」と題して、基本的な個人情報(故人情報)を記せるようになっています。たとえば、氏名・生年月日・血液型・出身地・本籍・父親の名前・母親の名前といったものです。次に、小学校からはじまる学歴、職歴や団体歴、資格・免許など。また、「私の健康プロフィール」として、受診中の医療機関名・医師名、毎日飲んでいる薬、アレルギーなどの注意点、よく飲む薬などを記します。これは、元気な高齢者の備忘録としても大いに使えると思います。
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思い出ノート』より



思い出ノート』の真骨頂はこれからで、「私の思い出の日々」として、幼かった頃、学生時代、仕事に就いてからの懐かしい思い出など、過ぎ去った過去の日々について記します。たとえば「誕生」の項では、生まれた場所、健康状態(身長・体重など)、名前の由来や愛称などについて。「幼い頃・小学校時代」の項では、好きだった先生や友達、仲の良い友人、得意科目と不得意科目などについて。「高校時代」の項では、学業成績、クラブ活動、好きだった人、印象に残ったこと・人などについて。
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思い出ノート』より



 また、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。こういったアイテムをフックとして、当時のことを思い出していただくわけです。
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渡部昇一先生と「記憶」について語り合いました



思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージなのですが、わたしは渡部先生から「暗記」についてお話しを伺っているうちに、こういうアイデアを思いつきました。つまり、痴呆症などで自分の人生や家族を忘れてしまったならば、自ら書いた『思い出ノート』を何度も読み返して、その内容を暗記してみればどうでしょうか。おそらく、人生のさまざまな出来事や家族の姿を思い出すきっかけとなるのではないでしょうか。そのように申し上げたところ、渡部先生からは「それは面白いアイデアですね。それにしても、こういうノートがあること、初めて知りました」と言われました。「長いお別れ」の昇平も、自分史を書き、それを何度も読んで暗記してみてもよかったのではないでしょうか。



 一方、記憶を失うことはけっして不幸なことではないという見方もあります。一条真也の読書館『解放老人』で紹介した本には、「認知症の豊かな体験世界」というサブタイトルがつけられていますが、認知症を"救い"の視点から見直した内容になっています。たとえば、著者の野村進氏はこう述べます。
「重度認知症のお年寄りたちには、いわゆる"悪知恵"がまるでない。相手を出し抜いたり陥れたりは、決してしないのである。単に病気のせいでそうできないのだと言う向きもあろうが、私は違うと思う。魂の無垢さが、そんなまねをさせないのである。言い換えれば、俗世の汚れやら体面やらしがらみやらを削ぎ落として純化されつつある魂が、悪知恵を寄せ付けないのだ。こうしたありようにおいては、われらのいわば"成れの果て"が彼らではなく、逆に、われらの本来あるべき姿こそ彼らではないか」

 さらに野村氏は、痴呆老人について、「人生を魂の長い旅とするなら、彼らはわれらが将来『ああはなりたくない』とか『あんなふうになったらおしまい』と忌避する者たちでは決してなく、実はその対極にいる旅の案内役、そう、まさしく人生の先達たちなのである」と述べます。こういった一般に良くない現状を「陽にとらえる」発想は大切ですね。

 この「長いお別れ」には、いろいろと考えさせられました。人生について想いを馳せることのできる作品であり、山崎努が出演した映画では「天国と地獄」「おくりびと」と並ぶ大傑作であると思いました。年老いた親御さんのおられるすべての方、また親御さんを見送られた経験のあるすべての方に観ていただきたいです。