No.409
6月1日、映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を観ました。小学生の頃に観た「東宝チャンピオンまつり」のゴジラ映画を思い出し、久々に童心に戻ることができました。本当は、10連休中の「こどもの日」に合わせて公開してほしかったですね。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『GODZILLA ゴジラ』『キングコング:髑髏島の巨神』に続く、"モンスター・ヴァース"シリーズの第3弾。ゴジラをはじめとする怪獣たちと、それに相対する人類を活写する。メガホンを取るのは『スーパーマン リターンズ』などで脚本を担当したマイケル・ドハティ。ドラマシリーズ「ブラッドライン」などのカイル・チャンドラー、『マイレージ、マイライフ』などのヴェラ・ファーミガ、『シェイプ・オブ・ウォーター』などのサリー・ホーキンス、『沈まぬ太陽』などの渡辺謙らが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「神話の時代に生息していた怪獣のモスラ、ラドン、キングギドラが復活する。彼らとゴジラとの戦いを食い止め世界の破滅を防ごうと、生物学者の芹沢(渡辺謙)やヴィヴィアン(サリー・ホーキンス)、考古人類学者のアイリーン(チャン・ツィイー)らが所属する、未確認生物特務機関モナークが動き出す」
令和のゴジラは如何?
「シン・ゴジラ」は平成版ゴジラでしたが、今回のハリウッド版「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は何となく昭和の香りがしました。小学生の頃に観た「東宝チャンピオンまつり」のゴジラ映画を思い出したのです。思うに、令和の「和」は昭和の「和」ですが、令和になって各所で昭和リバイバルが同時多発で起こっているように思います。平成はオウム真理教事件や大災害などで暗いイメージがありましたが、令和になって一気に明るくなったような気がします。
ヘーゲルの弁証法で言えば、昭和が「正」で、平成が「反」、そして令和が「合」なのでしょうか。わたしは、平成の時代の出来事で最も乗り越えるべき現象は「無縁社会」だと思います。6月1日のサンレー本社での総合朝礼で、わたしは「大いなる令和の礼の輪で有縁社会を再生しよう! わたしたちは役行者ならぬ縁行者をめざそう!」と述べました。令和になって、ゴジラやラドンやモスラが再びスポットライトを浴びたように、平安閣や玉姫殿や高砂殿などでかつて行われた昭和テイストの結婚披露宴や、血縁・地縁・社縁を総動員した葬儀も見直されるかもしれません。
それはともかく、わたしは「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」をシネプレックス小倉で観たのですが、同所では一条真也の映画館「貞子」や「武蔵―むさしー」で紹介した映画も同時上映されていました。考えてみれば、ゴジラも貞子も武蔵も、いずれも日本のみならず世界的に知名度のあるキャラクターですね。中でもゴジラの知名度は群を抜いています。それはもう、ウルトラマンも仮面ライダーもドラゴン・ボールもポケモンも、ゴジラの知名度にはかないません。
ゴジラというのはもはや単なる「怪獣」ではなく、日本人にとっては「神」のような存在であると言えます。つまり、日本人の無意識に深い影響を与える存在だと言えるでしょう。ブログ「東京の不安」では、東日本大震災直後の2011年3月13日に福島原発事故での放射能の不安について書きました。わたしは、「放射能」といえば反射的に「ゴジラ」を連想します。
わが書斎には、ゴジラの大型フィギュアが置いてありますが、54年に製作された映画「ゴジラ」は怪獣映画の最高傑作などというより、世界の怪奇映画史に特筆すべき最も陰鬱で怖い映画だったと思います。それは、その後に作られた一連の「ゴジラ」シリーズや無数の怪獣映画などとは比較にもならない、人間の深層心理に訴える名作でした。ある心理学者によれば、原初の人類を一番悩ませていたのは、飢えでも戦争でもなく、「悪夢」だったそうです。「ゴジラ」の暗い画面と黒く巨大な怪獣は、まさに「悪夢」を造型化したものだったのです。
子ども向けにシリーズ化されたゴジラや、リバイバルされた平成ゴジラは正義の味方であったりして愛嬌さえありましたが、最初の「ゴジラ」は途方もなく怖い存在だったのです。その意味で、一条真也の映画館「GODZILLA ゴジラ」で紹介した2014年ハリウッド版のゴジラは怖くもあり、人類も救ってくれるということで、まさに荒ぶる神そのものでした。その神としてのゴジラは、「自然」の化身でもあります。「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」では、ゴジラによってわが子を失った女性研究者エマが「人類は地球にとっての病原菌で、怪獣こそが免疫力」と述べていたのが印象的でした。
「ゴジラ」ではなく、「GODZILLA」。この英語の中には「GOD」の文字がしっかり入っています。しかし、一神教が崇める「GOD」は自然の化身ではありません。それは、あくまでも自然を生み出す唯一絶対神なのです。ですから、「GOD」の文字をその身中に隠しながら、大いなる自然神でもある「GODZILLA」とは一神教も多神教も超越した新しいタイプの「破壊神」なのです。
それにしても、ゴジラが咆哮する姿が最高ですね。暴れるシーンよりも、吠えるだけのシーンのほうがずっと良かった。前作の映画評で、映画評論家の町山智宏氏は「あの咆哮シーンを見ただけで、この映画に関わった人々のゴジラ愛がよく理解できた」と述べていました。町山氏はまた、「ゴジラの咆哮シーンは、歌舞伎役者が見栄を切るのと同じ。監督はよくわかっている」とも言っていましたが、まったく同感です。まったく、あの雄叫びを聞くと、ゾクゾクしますね。
しかしながら、前作でわたしが怒りを感じた部分がありました。それは、アメリカという国家の人類史上最悪の悪業である原爆投下についてのくだりでした。「ヒロシマ」という単語が渡辺謙扮する芹沢猪四郎博士の口から出てくるのですが、それも芹沢博士の父親が広島原爆で亡くなったことをアメリカ人の軍人に伝えるシーンでした。どう考えても、芹沢博士の父親が広島原爆の犠牲者というのは年齢の辻褄が合いません。映画評論家の町山智宏氏もこの場面を観たとき、「それはないだろ!」と思ったといいますが、わたしも同じでした。
でも、それよりも、わたしが腹を立てたのは、芹沢博士の告白を聞いた米軍司令官のようなアメリカ人が悲しそうな表情をして終わりだったことです。つまり、たった1人のアメリカ人が広島原爆という悲劇に同情を示したことで、アメリカそのものの罪が許されたような描き方をしていることでした。こんな、とってつけたような形で原爆の問題を処理されるとは、日本人として激しい怒りを覚えます。そして、今回の「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」では、芹沢博士がゼロ戦、いや人間魚雷「回天」のような潜水艇に乗って自爆する場面があります。このような描写をハリウッドにやられると、やはり日本人として良い気持ちはしませんね。
それでも、四大怪獣の他にも、さまざまな怪獣が一瞬登場する「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は夢がありました。怪獣好きのかつての男の子にはたまらない作品でした。 一条真也の映画館「GODZILLA ゴジラ」、「キングコング:髑髏島の巨神」に続く本作の公開で、いよいよ次は「ゴジラvsキングコング」への期待が高まります。「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」の最後には、ゴジラとキングコングが決闘する謎の古代壁画も登場しましたし、今から二大スターの激突が楽しみです!
わが書斎のキング・オブ・モンスターズ