No.412


 ディズニー映画「アラジン」を観ました。一条真也の映画館「美女と野獣」で紹介した映画に続く、ディズニー・アニメの実写版です。ここのところ日本映画ばかり観ていたので、洋画を観るのは久しぶりでした。魔法のランプに魔法の絨毯・・・童心に帰ってワクワクしました。やっぱりファンタジー&ミュージカル映画はいいですね。気持ちがスカッとしました!


 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「アニメ『アラジン』を実写化したファンタジー。青年アラジンと王女ジャスミンの身分違いの恋と、魔法のランプに関わる冒険が描かれる。監督は『シャーロック・ホームズ』シリーズなどのガイ・リッチー。メナ・マスードがアラジン、『パワーレンジャー』などのナオミ・スコットがジャスミン、『メン・イン・ブラック』シリーズや『幸せのちから』などのウィル・スミスがランプの魔人を演じる」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「貧しいながらもダイヤモンドの心を持ち、本当の自分にふさわしい居場所を模索する青年のアラジン(メナ・マスード)は、自由になりたいと願う王女のジャスミン(ナオミ・スコット)と、三つの願いをかなえてくれるランプの魔人ジーニー(ウィル・スミス)に出会う。アラジンとジャスミンは、身分の差がありながらも少しずつ惹かれ合う。二人を見守るジーニーは、ランプから解放されたいと思っていた」

 すでにアニメ版を観てストーリーは知っていたのですが、この実写版を大いに楽しむことができました。映画音楽もすでに知っているものばかりだし、安心して物語の世界に没頭できます。グラミー賞受賞の主題歌「ホール・ニュー・ワールド」のメロディに乗せて空飛ぶ絨毯がアラビアの夜の街を飛翔し、アラジンとジャスミンが心を通わせるシーンはやはり胸躍りますね。

 ディズニー・アニメには「プリンセスもの」というジャンルがあります。「白雪姫」「眠れる森の美女」「シンデレラ」などに代表される、「いつか白馬に乗った王子様が・・・」的なストーリーが多いですが、いわゆる女性のほうが玉の輿に乗る話が中心です。一般に「シンデレラ・ストーリー」などと言われますが、この「アラジン」は逆に貧しい男性が王女と結ばれる逆玉の話なので、「アラジン・ストーリー」とでも呼ぶべきでしょうか。

「アラジン」のヒロインであるジャスミンは、もともと王女です。白馬の王子様との出会いを夢見ることなどなく、自らが立派な国王になって国民を幸せにしたいという志を持っています。これまでのディズニー・プリンセスたちとは違うのです。それでも、ジャスミンの願いはなかなか叶えられません。現在、「ダイバーシティ」という言葉がキーワードになっていますが、ブログ「九州ブロック研修会」で紹介した講演会で立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長は「真のダイバーシティの実現は女性にかかっている」と言われました。わたしも、日本の女性天皇の問題も含めて、女性が国家のトップになることを認める社会が大事だと思います。

「ダイバーシティ」というのは「多様性」ということですが、この映画は中東や中央アジアの多彩な人種を擁したキャスティングが魅力で、まさに「ダイバーシティ映画」といった感じでした。特に、主役の2人がフレッシュで輝いています。そして、なんといってもウィル・スミスがジーニーを演じたことが成功しています。最初は「ジーニー役にウィル・スミス?」と違和感もおぼえましたが、結果的に素晴らしいハマり役でした。「美女と野獣」でヒロインのベルをエマ・ワトソンが演じた時と同様に、配役におけるディズニ―・マジックと言えるでしょう。

 さて、映画「アラジン」の原作は、言わずと知れた『アラビアンナイト』の中の「アラジンと魔法のランプ」です。西尾哲夫著『アラビアンナイト――文明のはざまに生まれた物語』(岩波新書)によると、ルイ14世の時代のフランス人東洋学者アントワーヌ・ガランが、たまたま『アラビアンナイト』の写本を入手してこれをフランス語に翻訳しました。これは宮廷の話題をさらい、すぐさま英語に訳され、つづけて欧米諸語に翻訳されました。こうして『アラビアンナイト』は、アンデルセンやゲーテの愛読書となったのです。また、トールキンの『指輪物語』やJ・K・ローリングの『ハリー・ポッター』などのファンタジー作品が誕生したのも、『アラビアンナイト』の翻訳を通してヨーロッパにもたらされた新しい文学思潮の流れを汲んでいることが指摘されています。

 18世紀のフランス宮廷では「シノワズリー」なる中国趣味が大流行しており、オリエンタルな世界に対するあこがれが強くありました。『アラビアンナイト』が提示する物語世界は、このような時代の空気にぴったりとマッチしたのです。さらに文学的な側面について西尾氏は、「イスラムという異文明の異界観に依拠した空想の世界は、キリスト教的中世から訣別したルネサンス以後のヨーロッパ人にとって新鮮な魅力に満ちていたということもあるだろう。アラビアンナイトは、新しい文学世界を近世ヨーロッパに提示したのだった」と述べています。その後、『アラビアンナイト』がゴシック小説の誕生にも影響を与えたことはよく知られており、シェリー夫人の『フランケンシュタイン』やブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』などの怪奇小説の誕生にも一役買っています。

『アラビアンナイト』あるいは『千夜一夜物語』の題名で知られている物語集の原型は、唐とほぼ同時代に世界帝国を建設したアッバース朝が最盛期を迎えようとする九世紀ごろのバグダッドで生まれたとされています。アッバース朝の最盛期とは、イスラム教の最盛期でもあります。すなわち、『アラビアンナイト』とはイスラム教の物語集であり、いわば『コーラン』の世俗版なのです。実際に一読すればわかりますが、「アッラー」の名が至るところに登場し、イスラムの教えが説かれています。
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ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)

拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に詳しく書きましたが、イスラム教といえば、十字軍をはじめとして、キリスト教と血で血を洗う宗教戦争を繰り返してきました。19世紀末には、哲学者ニーチェが「神は死んだ」と言いました。しかし、20世紀末からユダヤ、キリスト、イスラムの三姉妹宗教のいずれもファンダメンタリズム(原理主義)が起こりました。正直言って、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった一神教は世界に戦争を引き起こす「戦争エンジン」となっているのが現状です。

 中東で繰り広げられてきた戦争には、「文明の衝突」というよりは「宗教の衝突」であり、正確には「一神教同士の衝突」という側面があります。もちろん、20世紀以降は石油をめぐっての「経済の衝突」としての側面も強くなっています。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロはまさに象徴的な事件でした。しかしながら、わたしは、一神教同士の衝突をかわし、戦争を避ける道はあると確信します。

「童話の王様」と呼ばれたハンス・クリスチャン・アンデルセンは、熱心なキリスト教徒でしたが、『アラビアンナイト』を愛読していました。イスラムの物語をキリスト教徒であるアンデルセンが愛読したということは、あまりにも興味深いです。ここで、キーマンとなるのが彼の父親です。通説上アンデルセンの「父親」とされる人物は23歳の若い靴修理職人、つまり、同業者組合への加入を認められない最下層の職人でした。結婚当初は住む家もなく、馬小屋を改装した安アパートに住んでいました。すなわち、アンデルセンはイエスと同じように馬小屋で生まれたわけです。 さらに、父親は文学を好み、幼いアンデルセンに『アラビアンナイト』を繰り返し読み聞かせたとされ、それがアンデルセンの文学への興味の出発点となっていることは、『アンデルセン自伝』にもはっきりと記されています。

 そういえば、『絵のない絵本』に出てくる月は、イスラム教が崇拝する月のイメージに重なるような気がします。アンデルセンの父親はまた、イエス・キリストについて「神ではなく、単に偉大な人間である」との大胆な発言をしたり、世間の人々が1811年の彗星の出現を「この世の破滅」と脅えたとき、それを科学的に説明してやって迷信を取り除こうとするなど、興味深いエピソードを多くもつ謎の人物です。ともあれ、父親の影響でアンデルセンが『アラビアンナイト』を愛読したことは事実であり、9・11の直後にアメリカが爆撃したバグダッドで『アラビアンナイト』が誕生したということも事実です。
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涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)では、真のファンタジー、つまりハートフル・ファンタジーとは、「死」の真実や「幸福」の秘密を語るものであると述べました。メルヘンが子どもたちへのメッセージなら、ハートフル・ファンタジーは老人たちへのメッセージであるとも述べました。ハートフル・ファンタジーは、戦争の場面など必要としません。ひたすら読む者の心を癒し、平和のイメージを与え、幸福の意味について教えてくれます。そして同書で紹介した『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』こそはハートフル・ファンタジーであると確信しています。

 『アラビアンナイト』という幻想的な物語の大河が、アンデルセンというダムに流れ込み、そこから支流としてのメーテルリンク、サン=テグジュペリ、宮沢賢治らへと流れていく。ここには、イスラム教もキリスト教もユダヤ教も仏教も、スピリチュアリズムさえ関係ありません。もしかしたら、ファンタジーは宗教を超えることができるのでしょうか。というより、ファンタジーには宗教同士の衝突という愚行を「物語」によって回避する秘力が備わっているのかもしれません。そして、その秘力とは「魂の錬金術」と同義語ではないでしょうか。ハートフル・ファンタジーを紡ぎ出す童話作家たちはすべて、「魂の錬金術師」なのです。

 倫理学者の小原信氏は、『ファンタジーの発想』(新潮選書)において、「ながい歴史のなかで、人類が直面した多くの危機はすべてファンタジーに起因するものである。神話も宗教も、戦争も友情もすべてそれぞれがお互いにいだくファンタジーによって起こり、またファンタジーによって収拾されてきた」と述べています。わたしは、「政治的決着」や「大人の解決」というような意味合いで、「ファンタジー的決着」とか「ファンタジー的解決」というようなものがありえるのではないかと真剣に考えています。世界最大のキリスト教国であるアメリカの文化を象徴するディズニー。そのディズニーが生んだ「アラジン」というファンタジー映画の傑作が、キリスト教徒とイスラム教徒の間に少しでも平和の心を育んでくれますように・・・・・・。