No.431


 イギリス映画「イエスタデイ」を観ました。「もしも自分以外の誰もザ・ビートルズを知らない世界になってしまったとしたら!?」という内容ですが、とても面白かったです。面白いだけでなく、いろんなことを考えさせられました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「自分以外はバンド『ザ・ビートルズ』を知らない状態になった青年の姿を描くコメディー。『スラムドッグ$ミリオネア』などのダニー・ボイルがメガホンを取り、『ラブ・アクチュアリー』などのリチャード・カーティスが脚本を手掛けた。青年をヒメーシュ・パテルが演じ、『シンデレラ』などのリリー・ジェームズ、『ゴーストバスターズ』などのケイト・マッキノンのほか、ミュージシャンのエド・シーランが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「イギリスの海辺の町に暮らすシンガー・ソングライターのジャック(ヒメーシュ・パテル)は、幼なじみで親友のエリー(リリー・ジェームズ)に支えられてきたが全く売れず、夢を諦めようとしていた。ある日ジャックは、停電が原因で交通事故に遭遇。昏睡状態から目覚めると、この世には『ザ・ビートルズ』がいないことになっていた」

 この映画、一条真也の映画館「ジョーカー」で紹介した映画のを観た翌日に鑑賞したのですが、「ジョーカー」とはまた違った名作でした。なんといっても、ビートルズの存在しなかった世界というアイデアがいいですね。映画では、当然のことながらビートルズの名曲がたくさん流れましたが、どれも心に沁みて、「ああ、やっぱり名曲だなあ」と新鮮な感動を与えてくれました。

 ビートルズの存在しなかった世界で、主人公のジャックはビートルズの楽曲を自分の作品として発表します。すぐさま大評判になりそうなものですが、そうは問屋が卸しませんでした。最初は誰もビートルズの素晴らしさを理解しないのです。両親に「レット・イット・ビー」を聴かせたときも、まったく聴く姿勢の見られませんでした。そんな両親に向かって、「あなたたちは人類で初めて、この名曲を聴くんだよ。ダ・ヴィンチの『モナリザ』を初めて見るのと同じなんだよ!」と叫ぶのでした。

 たしかに、どんな素晴らしい作品でも誰の作品であるかが重要です。「レット・イット・ビー」はそれ自体でも名曲ですが、あの時代にビートルズの4人組が歌ったから、あれだけの大ヒット曲になったのです。音楽に限らず、例えば、『論語』がこの世界に存在していなかったとして、わたしが『論語』を自分の作品として発表しても、誰も相手にしないでしょう。『論語』は2500年以上前に実在した孔子の言行録であるからこそ価値があるのです。

 しかし、一般大衆はなかなか気づかなくても、プロの耳は誤魔化せません。人気ミュージシャンであるエド・シーランはテレビでジャックの演奏を観て、すぎにその素晴らしさに気づき、ジャックに会いに行きます。ジャックはシーランの前座で歌うことになり、彼の人生は大きく開けていくのでした。このあたりは、単純にサクセスストーリーとして面白かったです。

 サクセスストーリーは、まだ続きます。シーランのモスクワ公演の前座で「バック・イン・ザ・U.S.S.R」を歌って、観客を大熱狂させます。それを見たエドの女性マネージャーがジャックをロスアンゼルスに呼び、「あなたは毒杯が欲しくないの? 金と名声という禁断の毒杯を」と囁くのでした。この女性マネージャーはケイト・マッキノンが演じましたが、魔女っぽくて良かったです。

 この映画では主演を新人のヒメーシュ・パテルが務めましたが、彼にとってこの映画そのものがリアル・サクセスストーリーであり、「世界が変わった」ような出世作になったのではないでしょうか。彼を子どもの頃から見守ってきた幼なじみで親友のエリーを演じたリリー・ジェームズも大変良かったです。一条真也の映画館「ガンジー島の読書会の秘密」でも主演でしたが、本作「イエスタデイ」のエリー役のほうがずっとキュートでした。

 それにしても、この映画を観ながら、ザ・ビートルズの偉大さを改めて知った人は多いのではないでしょうか。「ビートルズなんて知らない」という若い世代も出てきたようですが、彼らの曲を聴くと、誰でも心を動かされるでしょう。そこには、モーツァルトにも通じる芸術的普遍性があるように思います。彼らの最高傑作といわれるアルバム「Abbey Road」が発表されたのはちょうど50年前ですが、現在でもその魅力は薄れていません。わたしが特に好きなビートルズの曲は「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」「オール・ニード・イズ・ラヴ」「ヘイ・ジュード」ですが、それらのすべてが映画で使われて嬉しかったです。「オール・ニード・イズ・ラヴ」が流れたときは、今更ながら歌詞に感動して涙が出ました。エンドロールでは実際のビートルズの演奏で「ヘイ・ジュード」が流れました。ビートルズの楽曲は「こころの世界遺産」であると確信します。ブログ「グリーフケア・ソングス ベスト」で紹介したように、最近、わたしは私家版のカラオケ動画DVDを作成しましたが、つくづく歌の力というものを痛感しています。

 この映画は、交通事故に遭ったジャックが別の世界へ迷い込むという物語です。この別世界には、ビートルズだけでなく、コカ・コーラやタバコやハリー・ポッターも存在しません。事故で昏睡状態となった後の話ですので、すべては脳に障害を負ったジャックの妄想だったという見方もできます。でも、一般的にはパラレルワールドというSF的世界観が受け入れられやすいでしょう。パラレルワールド、すなわち並行世界の物語です。わたしの専門分野の1つにグリーフケアがありますが、じつは、わたしは「並行世界」というアイデアがグリーフケアにおいて大きな力を発揮すると考えています。映画「イエスタデイ」でも、わたしたちの世界ですでに亡くなっているある有名な人物が、じつは別世界では生きていて、ジャックを感動させます。
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グリーフケアの時代』(弘文堂)



 すなわち、並行世界では死者も生きているというわけです。
 なるほど、わたしは「並行世界」というアイデアがグリーフケアにおいて大きな力を発揮することに気づきました。愛する人が交通事故に遭わなかった世界、癌にならなかった世界、自殺を思い止まった世界、地震が来なかった世界、津波など最初から発生しなかった世界、さらには、このたびの台風19号の被害が拍子抜けするほど小さかった世界など。このような、もう1つの世界をイメージすれば、死別の悲しみに対するささやかな発想の転換になるかもしれません。
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ハートフル・ソサエティ』(三五館)



 また、最先端の科学理論がパラレルワールドを証明してくれる可能性もあるのです。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「神化するサイエンス」にも書きましたが、現代物理学を支える量子論には「多世界解釈」というものがあります。量子論によると、あらゆるものはすべて「波」としての性質を持っています。ただしこの波は、わたしたちが知っている波とは違う、特殊な波、見えない波です。それで、この波をどう理解するかという点で解釈の仕方がいくつかあるのですが、その1つが多世界解釈というものです。

 SFでは「パラレルワールド」とか「もう一人の自分」といったアイディアはおなじみですが、わたしたちが何らかの行動をとったり、この世界で何かが起こるたびに、世界は可能性のある確率を持った宇宙に分離していくわけです。量子論においては、いわゆる「コペンハーゲン解釈」が主流となっていますが、この多世界解釈こそが量子論という最も基本的な物理法則を真に理解するうえで、一番明快な解釈だという考え方もあるのです。一条真也の読書館『SF魂』で、わたしたちはSFにおける想像力を「人類の叡智」として使う時期かもしれないと述べました。まさに、「パラレルワールド」というアイデアもグリーフケアに大いに活用できるのではないでしょうか。映画「イエスタデイ」を観ながら、わたしは、そんなことを考えていました。