No.423
30日、この日に公開されたばかりの映画「ガーンジー島の読書会の秘密」をTOHOシネマズシャンテで観ました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦中にドイツ占領下にあったガーンジー島で行われた読書会をめぐるミステリー。読書会に魅せられた作家を『シンデレラ』などのリリー・ジェームズが演じるほか、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』シリーズなどのミキール・ハースマン、『ニューヨーク 冬物語』などのジェシカ・ブラウン・フィンドレイのほか、マシュー・グード、ペネロープ・ウィルトンらが共演。『フォー・ウェディング』などのマイク・ニューウェルが監督を務めた」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1946年のロンドン。作家のジュリエット(リリー・ジェームズ)は一冊の本をきっかけに、チャンネル諸島のガーンジー島の住民と手紙を交わし始める。ドイツの占領下にあった第2次世界大戦中、島ではエリザベスという女性が発案した読書会がひそかに行われ、島民たちの心を支えていた。本が人と人の心をつないだことに感銘を受けたジュリエットは、取材のため島を訪れる」
わたしは「読書」をテーマにした物語に目がなくて、これまでもタイトルに「読書」の単語が入った映画を多く観てきました。それらの作品と同じく、この「ガーンジー島の読書会の秘密」でも、読書の魅力や本の持つ力が描かれています。拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)にも書きましたが、本ほど、すごいものはありません。自分でも本を書くたびに思い知るのは、本というメディアが人間の「こころ」に与える影響の大きさです。
『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)
少年時代に読んだ偉人伝の影響で、冒険家や発明家になる人がいます。1冊の本から勇気を与えられ、新しい人生にチャレンジする人がいます。1冊の本を読んで、自死を思いとどまる人もいます。不治の病に苦しみながら、1冊の本で心安らかになる人もいます。そして、愛する人を亡くした深い悲しみを1冊の本が癒やしてくれることもあるでしょう。本ほど、「こころ」に影響を与え、人間を幸福にしてきたメディアは存在しません。わたしは、本を読むという行為そのものが豊かな知識のみならず、思慮深さ、常識、人間関係を良くする知恵、ひいてはそれらの総体としての教養を身につけるための営みであると考えています。わたしが企業経営者として、大学客員教授として、そして作家として、なんとかやっていけるのも、すべて本のおかげです。読書で得た教養は、あの世にも持っていけるようにさえ思っています。
この映画の主人公であるジュリエットは作家です。
演じるリリー・ジェームズは知的で美しい女優だなと思ったら、「シンデレラ」(2015年)で主演を務めていたのですね。知りませんでした。古くから人々に親しまれている「シンデレラ」の物語を実写化したラブストーリーで、一条真也の映画館「アリス・イン・ワンダーランド」、「マレフィセント」で紹介した映画に続くディズニー・アニメの実写版です。悪役の魔女が半ば善玉化した「マレフィセント」と違い、基本のキャラクターとストーリーはアニメに忠実でした。ケイト・ブランシェット、ヘレナ・ボナム=カーターといった実力派女優が脇を固めたこの映画で主演を務めたのですから、リリー・ジェイムズも大したものですね。まさに、女優としてのシンデレラ・ストーリーそのものです。
さて、「ガーンジー島の読書会の秘密」の主役である作家ジュリエットの処女作は『アン・ブロンテの生涯』という本で、世界中で28冊しか売れませんでした。でも、『嵐が丘』のエミリ・ブロンテでも、『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテでもなく、彼女たちの姉であるアンに注目したのは着眼点が良いと思います。そんなジュリエットは、ガーンジー島の養豚業の青年と文通し、『チャールズ・ラム随筆集』や『シェイクスピア物語』といった本の話題で心を通わせます。
映画の中でジュリエットが「出会う前から絆を感じる人がいる」というセリフを言う場面がありますが、まさに文通相手の青年をはじめ、ガーンジー島の人々がそうでした。ジュリエットには陽気なアメリカ人の婚約者がいますが、彼女は彼との未来に対して、どこかしら違和感を感じています。イギリス人とアメリカ人という国民性の違いもあるでしょうが、やはり教養というか価値観の違いが大きいと思います。どんなにお金持ちでも、社会的地位が高くても、教養や価値観の異なる相手と結婚しても幸せにはなれないのでしょう。
さて、この映画には本の中の本、英語でいう「THE BOOK」も登場します。言うまでもなく『聖書』のことですね。島のような娯楽も刺激も少ない閉鎖された世界では、夜の時間をひたすら『聖書』を読むことに費やした人々は多かったことでしょう。ジュリエットがガーンジー島で宿泊した民宿の女主人も『聖書』をいつも手元に置き、愛読しています。また、宿泊客のベッドの枕元にも『聖書』を置く信心深い人物です。しかしながら、彼女には寛容の精神というものが皆無で、何かあると島の人々を悪く言い、ジュリエットには「『聖書』を読んで祈りなさい。悔い改めなさい」と言います。そんな彼女に向かって、ジュリエットは「『聖書』には愛が説かれているのに、あなたは悪意と懲罰しか読み取ろうとしない」と言い放ちます。そして、彼女は民宿を飛び出してゆくのでした。
西洋に『聖書』があるように、東洋には『論語』があります。『新約聖書』と『論語』の間には多くの共通点があり、イエスや孔子といった「人類の教師」の教えには普遍性があるように思いますが、この映画には『論語』の「託孤寄命章」を彷彿とさせるシーンが登場します。孔子は、君子とは何よりも他人から信用される人であると述べました。信用とは全人格的なものです。『論語』「泰伯」篇には、「曾子曰く、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり」の一文があります。「曾子が言った。孤児を託すことのできる者、百里四方ぐらいの一国の運命を任せうる人、危急存亡のときに心を動かさず節を失わない人、そういう人が君子人であろうか、君子人である」という意味です。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、たとえ自分の命が失われるとしても、愛する我が子を託することのできる相手を得たことは幸運なことであると思います。
イギリス人が主人公の「読書」や「本」がテーマの映画といえば、一条真也の映画館「マイ・ブックショップ」で紹介した作品があります。「ナイト・トーキョー・デイ」などのイザベル・コイシェ監督が、イギリスのブッカー賞受賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説を映画化した作品です。田舎町で亡き夫との念願だった書店を開業しようとするヒロインを描いています。1959年、戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、書店が1軒もないイギリスの田舎町で、夫との夢だった書店を開こうとしますが、保守的な町では女性の開業は珍しく、彼女の行動は住民たちから不評を買います。ある日、彼女は40年以上も自宅に引きこもりひたすら読書していた老紳士(ビル・ナイ)と出会って、大きく物語が動くのでした。
わたしは「ガーンジー島の読書会の秘密」を観るまでは「マイ・ブックショップ」みたいな物語を想像していましたが、ちょっと違いました。たしかに「ガーンジー島の読書会の秘密」でも、読書や本の素晴らしさが描かれているのですが、(読書会の描写などは、まさに隣人祭りそのものでした)それよりもタイトルの中の「秘密」のほうに重点が置かれています。読書会を作った張本人であるエリザベスという女性の人生が次第に明らかになっていき、ジュリエットは大きな影響を受けます。この映画はミステリーでもあるので、ネタバレは控えますが、エリザベスの生き様は観客の心も揺り動かします。そして、この映画の真のテーマが「グリーフ」であることが判明するのです。
そう、イギリス人がナチス・ドイツという敵と共に暮らしたガーンジー島は大いなる「悲しみの島」でした。そもそも戦争というもの自体が巨大なグリーフの発生装置と言えますが、その中でもガーンジー島では悲劇的な物語が紡がれていきます。ネタバレにならないように注意して書くと、この島は『ロミオとジュリエット』のような悲恋物語の舞台でもあったのでした。主人公の名前がジュリエットであることや、物語の全編にわたって『シェイクスピア物語』が登場することも、この映画の中には入れ子のように『ロミオとジュリエット』が埋め込まれていることを暗示しています。最後に、この映画にはわずか4歳の少女に母親の死を告げるシーンがあります。「4歳の子に理解できるかしら」と心配する人に向かって、1人の老女が「いくつになっても、愛する人の死は理解できないものよ」とつぶやく場面が印象的でした。