No.459


 14日に開かれた記者会見で、安倍首相は新型コロナウィルス感染拡大による緊急事態を宣言しませんでした。どうやら、東京五輪の開催を本気で考えているようですね。
 その夜、映画「ジュディ 虹の彼方に」を観ました。観客は3人しかいませんでした。もちろん、わたしも含めて全員マスク姿。イタリアのように全店閉鎖になれば、映画館にも行けなくなります。主演のレネー・ゼルウィガーの熱演はもちろん素晴らしかったですが、それ以上に「虹の彼方に」という歌の持つ希望のメッセージに感動しました。パンデミックで不安の中にある全人類への応援歌だと思いました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『オズの魔法使』『スタア誕生』で知られる女優・歌手のジュディ・ガーランドを、『シカゴ』などのレネー・ゼルウィガーが演じた伝記ドラマ。47歳の若さで亡くなる半年前に行ったロンドン公演に臨むジュディを映し出す。自ら全曲歌い上げたレネーをはじめ、フィン・ウィットロック、ジェシー・バックリーらが共演。監督を『トゥルー・ストーリー』などのルパート・グールドが務める」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ミュージカル映画のスターだったジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は、遅刻や無断欠勤を重ねた結果、映画のオファーがなくなる。借金が増え続け、巡業ショーで生計を立てる毎日を送っていた彼女は、1968年、子供たちと幸せに暮らすためにイギリスのロンドン公演に全てを懸ける思いで挑む」

 最初、わたしは、この映画を一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」「ロケットマン」で紹介した一連の音楽界のスーパースターを描いた伝記映画のハリウッド女優版かと思っていましたが、じつは主人公のジュディは偉大な歌手でもあったので、それらの作品と同じテイストでした。アメリカ人にとってのジュディとは、日本人にとっての美空ひばりのような存在だったような気がします。THE芸能人というか、エンターテインメントの頂点を極めた人物ですね。

 それにしてもジュディ・ガーランドを演じたレネー・ゼルウィガーの歌唱力には圧倒されました。この役のためにボイトレを重ねたそうですが、ハリウッドのトップたちは、その才能が演技力だけに留まりません。本当にエンターテインメントの申し子であると感服します。この映画を観ながら、わたしは「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」(2007年)を思い出しました。「愛の讃歌」「バラ色の人生」など、数々の名曲で世界中を魅了した伝説の歌姫エディット・ピアフの生涯を描く伝記ドラマです。マリオン・コティヤールがピアフを演じましたが、これまた素晴らしい歌唱力でした。

 ジュディ・ガーランドがアメリカ人にとって特別な存在であるように、エディット・ピアフはフランス人にとって特別な存在です。2人はほぼ同時代人で、ジュディ・ガーランドは1922年生まれで、1969年に亡くなっています。エディット・ピアフは少し年上で1915年生まれ、1963年に亡くなりました。ともに亡くなったのは47歳であり、孤独な死であったことも共通しています。「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」でマリオン・コティヤールは第80回アカデミー主演女優賞を受賞し、レネー・ゼルウィガーは第92回アカデミー主演女優賞を受賞しています。

 ジュディ・ガーランドは子役として出演した「オズの魔法使」(1939年)で大人気を博し、アカデミー子役賞を受賞。 以後、当時の大スターだったミッキー・ルーニーとコンビを組むミュージカルシリーズ、「若草の頃」「ハーヴェイ・ガールズ」、フレッド・アステアと共演する「イースター・パレード」といった娯楽大作で主役をつとめ、国民的な人気俳優としての地位を不動のものとしてゆきます。以後も「スタア誕生」などで抜群の歌唱力を披露しました。1940~50年代のハリウッドを代表する大スターの1人です。

 デビュー作である「オズの魔法使」は、昨年で制作80周年を迎えました。ブログ「『1939年映画祭』のお知らせ」で紹介したように、1939年は映画史における奇跡の年でした。西部劇の最高傑作「駅馬車」、ラブロマンスの最高傑作「風と共に去りぬ」、そしてミュージカルおよびファンタジー映画の最高傑作「オズの魔法使い」の3本が誕生したからです。3作品とも、その年のアカデミー賞を受賞しています。そして、それぞれが現代作品にも多大な影響を与え続ける、名作中の名作たちが2019年で製作80周年を迎えました。この3作を愛してやまないわたしは、わが社のコミュニティセンターの施設数が80となったことを機に、「1939年映画祭」を開催することにしたのです。

 少しでも映画が好きな人で、「オズの魔法使」を知らない人はいないでしょう。カカシ、ライオン、ブリキの木こり、愛犬のトト、そして主人公であるドロシーが共に旅をする成長物語。大人から子どもまで楽しむことができ、奥行きのあるストーリー展開が魅力です。1939年のアカデミー賞で作品賞を含む5部門にノミネートされ、作曲賞(ハーバート・ストサート)、歌曲賞(「虹の彼方に」)、特別賞(ジュディ・ガーランド)を受賞している童話ミュージカルの代表作です。わたしはこの映画の大ファンで、最初はテレビの洋画劇場で観たのですが、ビデオやDVDなどでもう10回ぐらい鑑賞しています。

「オズの魔法使」の主題歌が「虹の彼方に」です。エドガー・イップ・ハーバーグが作詞し、ハロルド・アーレンが作曲しました。ジュディ・ガーランドの歌でサウンドトラック用の録音もされ、彼女がこの曲を歌うシーンの撮影もされましたが、映画の編集段階になって撮影所幹部たちから物言いがつきました。「14歳の少女が歌うには大人びた歌で相応しくない」というのです。それで、「虹の彼方に」の歌唱シーンはカットされかけましたが、映画のプロデューサーであったアーサー・フリードはこの曲が気に入ってカットに猛反対し、葬られかけたこの曲は土壇場で踏み止まったのです。

 結果、「虹の彼方に」はアカデミー歌曲賞を受賞して大ヒットしました。歌ったジュディにとっても自らのトレードマーク、テーマソングとも言うべきナンバーとなって、以後の彼女の生涯を通じての持ち歌となったのです。彼女が1961年のカーネギー・ホールでのソロ・コンサートで歌ったライブ・バージョンは、ことに名唱とされています。映画公開後のヒット以来、スタンダード・ナンバーとして世界的に広く親しまれ、数知れぬカバーの対象となってきました。2001年に全米レコード協会等の主催で投票により選定された「20世紀の名曲」(Songs of Century)では堂々の第1位に選ばれています。

 そんな順風満帆なハリウッド・デビューを飾ったジュディでしたが、必ずしも幸せな人生を送ったとは言えません。1935年に彼女はメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と専属契約しますが、当初採用候補だったディアナ・ダービンとジュディのうち社長のルイス・メイヤーは「ジュディを追い出せ」とプロデューサーのアーサー・フリードに命じました。しかし、ジュディの歌唱力に注目したフリードが指示を無視してジュディと契約を結んだのです。当時13歳のジュディは肥満気味だったため、MGMは契約に「スリムでいること」を含め強制的なダイエットを命じました。体質的に太りやすかった彼女は当時のハリウッドのスタジオでダイエット薬として使用されていた覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになります。このへんも、しっかり映画では描かれていました。

 その後の彼女の生活は乱れ、自殺未遂事件を起こし、度々薬物治療のための入退院を繰り返します。1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された「スタア誕生」で、彼女は久々の映画出演を果たします。この作品は大ヒットし、ジュディはアカデミー主演女優賞にノミネートされました。しかしワーナー・ブラザースは、彼女の撮影中の遅刻や出勤拒否、それに伴う制作費の増大を問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行いませんでした。そればかりか、授賞式前に「彼女ではもう二度と映画は撮らない」と宣言したのです。結局、主演女優賞は「喝采」のグレース・ケリーが受賞しました。受賞を逃した失意により、ジュディの私生活は再び荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こしています。

 1963年はわたしが生まれた年であり、エディット・ピアフが逝去した年でもありますが、その年を最後にジュディは表舞台から姿を消します。1965年にはシドニー・ラフトと離婚しますが、その後も2度結婚しています。生涯で、じつに5回結婚したことになります。そして、1969年6月22日に滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。自殺とする説もありました。彼女には莫大な収入がありましたが、その大半を浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いたといいます。長女のライザ・ミネリは、「母はハリウッドが大嫌いだった」「母を殺したのはハリウッドだ」と発言し、ハリウッドではなくニューヨークで葬儀を執り行い、ニューヨーク郊外の墓地にジュディを埋葬しました。その後、2017年になって遺族の意向によりハリウッドへ墓所が移されています。

 波瀾万丈の生涯を送ったジュディですが、その人生が不幸だったかというと、わたしはそうは思いません。映画や舞台やショーで、彼女は多くの人々を幸せな気分にしました。そして、何よりも「虹の彼方に」という永遠の名曲を自身のテーマソングにしました。表現者として、これ以上の幸福があるでしょうか。映画の最後に、ロンドンでのステージ上でジュディが「虹の彼方に」を歌えなくなる場面が登場します。それを見て、「人生は思うようには行かない」「人生は想定外の出来事の連続だ」と考えていた人は深く共感し、涙することでしょう。でも、ジュディが「虹の彼方に」を歌えなくなったとき、ロンドンの観客たちが彼女の代わりに合唱するという感動的なシーンが出現するのでした。 アメリカだけではなくイギリスの人々も、いや世界中の人々が「虹の彼方に」を愛していたのです。虹の彼方には素晴らしい国があり、そこではすべての夢がかなう・・・・・・今回、映画で聴き直してみて「この歌は希望の歌だ!」ということを再確認しました。パンデミックに揺れている現在の世界に必要なものは「希望」です。まさに、「虹の彼方に」は人類への応援歌であると思いました。

 そう、虹は「希望」のシンボルです。東日本大震災の発生から9年となった3月11日、被災地などでは亡くなった人たちに祈りを捧げる姿が見られました。地元の中学生14人を含む700人以上が犠牲になった宮城県名取市の閖上地区では、地震の発生時間にあわせて遺族たちが集まった場に鮮やかな虹が姿を現し、感激の声が上がったそうです。また岩手県大槌町や福島市でも、午前6時すぎ、田んぼや海の向こうに虹が見られたといいます。このことをニュースで知ったわたしは、もう猛烈に感動してしまいました。 どうか日本だけでなく、中国、韓国、イラン、イタリア、そしてアメリカ・・・・・・新型コロナウイルスに揺れるすべての国々の空に希望の虹が架かりますように・・・・・・。