No.463


 新型コロナウイルスの感染拡大が衰えを見せませんが、久しぶりにシネコンに行って日本映画「一度死んでみた」を観ました。「死」がテーマなので、観ておく必要があると思ったのです。また、「《新型コロナ》花見は×、映画館、公園は○! 行っていい場所・ダメな場所20」というネット記事に、「室内で密閉空間だが、みんなが触れるものはないし、上映中にしゃべる人はいないので意外と安全ではないか」との専門家の意見が紹介されていました。問題は混み具合だそうで、「すいていて前後の席が空いているようならば鑑賞してもいいのでは」とのことですが、この日のシアターはガラガラでした。作品自体の出来は今ひとつで、スベリまくりのギャグの連続にイライラしながら鑑賞しました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「auのCM『三太郎』シリーズなどを担当してきた浜崎慎治がメガホンを取ったコメディー。ある特殊な薬を飲んだ父と、彼のことが大嫌いな娘が起こす騒動を映し出す。『ちはやふる』シリーズなどの広瀬すずが父に反発するヒロインにふんし、『あのコの、トリコ。』などの吉沢亮、『クライマーズ・ハイ』などの堤真一らが共演する。ソフトバンクモバイルのCMなどを制作し、『犬と私の10の約束』などにも携った澤本嘉光が脚本を務める」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「製薬会社の社長を務める父の計(堤真一)と一緒に暮らす大学生の七瀬(広瀬すず)は、研究に打ち込むあまり母の死に際にも現れなかった仕事人間で口うるさい父が嫌でたまらず、顔を見るたびに死んでくれと毒づいていた。ある日計は、一度死んで2日後に生き返る薬を飲んだためにお化けになってしまう。何も知らずに動揺する七瀬は、遺言により社長を継ぐことになり、計の会社に勤める松岡(吉沢亮)から真相と聞かされる」

 この映画、一言で言って、広瀬すずの無駄づかい!
 彼女の良さがまったく生かされていません。というか、この映画に起用するべきではありませんでした。ピンクの髪も強烈な毒舌キャラもまったく似合っていません。歌だって上手いのか下手なのかよくわからないし、とにかく彼女はコメディエンヌには向いていません。一条真也の映画館「海街diary」「ラストレター」で紹介した映画などに登場する「はかなげなヒロイン」が絶対に似合います。広瀬すずは日本映画界の宝です。「一度死んでみた」ならぬ「一度演じてみた」ならいいですが、もう二度と、こんな彼女に向いていない映画には出演しないでいただきたい。

 広瀬すずだけではありません。この映画、やたらとメジャー俳優たちがショボい役で出演しているのです。吉沢亮、堤真一、リリー・フランキー、小澤征悦、嶋田久作、木村多江、松田翔太、加藤諒、でんでん、柄本時生、前野朋哉、清水伸、西野七瀬、城田優、原日出子、佐藤健、池田エライザ、志尊淳、古田新太、大友康平、竹中直人、妻夫木聡などですが、ここまで超豪華俳優陣を使う必要がありますか?
 わたしは、そんな必要も意味もないと感じました。キャストの豪華さをウリにしているな別ですが、そうだとしたら、あまりにも情けないではありませんか。正直、「やはりCM製作者の作った映画はダメだな」と思いましたね。

 豪華俳優陣に加えて、この映画には、なぜかJAXA宇宙飛行士の野口聡一、ハウンドドッグの大友康平、そして新日本プロレスの真壁刀義と本間朋晃まで出演しています。わたしは、現在の新日本プロレスのプロレスラーは好きではありません。アントニオ猪木はもちろん、かつての長州力、前田日明、橋本真也といったカリスマ・レスラーたちが放っていたオーラというか、殺気をまったく感じません。真壁と本間も例に漏れず、少しも強そうな感じがしませんでした。その2人を広瀬すず演じる七瀬が必殺のキックで撃退するのですが、このキックは軌道が美しかったです。

 広瀬すずは実際にキックボクシングのトレーニングを行っているそうですが、なかなか筋が良いと思います。中途半端なコメディなどより本格的なアクション映画に出演してはどうでしょうか? イメージとしては、かつて広末涼子がジャン・レノと共演した「WASABI」みたいな映画が似合うのでは?広瀬すず本人も、彼女が演じる七瀬も21歳で、わたしの次女とほぼ同い年です。父親の計を演じた堤真一はわたしと同年齢なので、七瀬が計に向かって「うざい!」とか「くさい!」とか「死んでくれ!」とまで毒づく場面は、わたしが次女から言われているようで胸が痛みました。

 しかも、計を「あの世」に連れて行こうとする死神を演じたリリー・フランキーも、わたしと同い年なのです。ですから、三途の川とかで計と死神が人生談義をする場面は、同級生2人の会話ということになり、不思議な感覚をおぼえました。それにしても、「堤真一とリリー・フランキーって、こんなに演技が下手だったっけ?」と思ってしまうほどの大根ぶりでした。2人が交わす台詞がクサすぎるのです。やっぱり、シナリオがよろしくありません。出演者が人差し指を立てる「デス・ポーズ」とやらも下品なこと、この上ありません。中指を立てなければいいという安易な感覚がどうしようもないですね。製作者たちは、この大量死の時代に何が言いたいのでしょうか?

 そろそろ、本論に入りたいと思います。
 この映画、葬儀パロディともいうべき内容なのですが、シナリオがひどすぎます。そもそも、死因不明の遺体を会社の食堂に安置するなど、ありえないことです。現在、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の中で、医療崩壊を招いた国では助けられたはずの人が次々と亡くなっています。その数は火葬場が足りなくなるほどで、スペインにおけるアイスアリーナ、ニューヨークにおけるビル街のように臨時の遺体安置所が続々と設置されています。葬儀関係者に感染が拡大すれば、医療崩壊の次は 葬儀崩壊という事態も想定されます。そのような現況を考えると、平時での遺体を食堂に安置するというのは、あまりにも非常識であると思いました。

 非常識といえば、計の生き返りを阻止せんとする勢力が、東京都内のすべてのセレモニーホールを押さえたり、ネットで販売されている棺をすべて購入したりするのも有り得ないことです。さらには、セレモニーホールが使えないために、郷ひろみのディナーショーが中止になったシティホテルのバンケットに遺体を入れて葬儀を行うに至っては「いいかげんにしろ!」と言いたくなりました。ホテルで「お別れ会」は開けても「葬儀」は開けないことは常識です。「映画なんだから、細かいことに目くじらを立てなくても」という声が聞こえてきそうですが、このような非日常的な物語ほどディテールはリアルであるべきというのが、わが信条であります。

 新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。ブログ「志村けんさん逝く!」で書いたように、3月29日、日本を代表するコメディアンであった志村けんさんが70歳でお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。
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「日本経済新聞」2020年4月3日朝刊



 グリーフケアといえば、ブログ「悲嘆ケア葬祭業が一肌」で紹介したように、「日本経済新聞」4月3日朝刊にわたしの記事が掲載されましたが、その記事を読まれた宗教哲学者の鎌田東二先生からメールが届きました。そこには、「葬儀もできない今の新型コロナウィルスによる死の迎え方は、人類史上究極の事態かと認識しています。危機的な状況で、本人の霊も遺族の心も大きな傷やグリーフやペインを抱えてしまうのではないかと大変危惧します。そのような状況下で、グリーフケアやスピリチュアルケアが必要と思いますが、車間距離のように『身体距離』を取る必要を要請されている状況下、どのようなグリーフケアやスピリチュアルケアがあり得るのかを知恵と工夫を出し合わねばなりません。何かよい知恵と工夫はあるでしょうか?」と書かれていました。鎌田先生から頂戴した宿題は、次回で丸15年目の第180信となる「ムーンサルトレター」で提出したいと思います。