No.444


 今年最初に劇場で観た日本映画は、岩井俊二監督の最新作「ラストレター」でした。岩井監督は1963年生まれで、わたしと同い年ですが、彼の映画が大好きで、ほとんどの作品を観ています。本作の予告編の最後に新海誠監督が「岩井俊二ほどロマンティックな作家を、僕は知らない」と述べていますが、わたしも同感です。今回も岩井美学を堪能しました。グリーフケア映画としても興味深かったです。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「岩井俊二監督が体験した出来事を基にした物語で、松たか子、広瀬すず、神木隆之介、福山雅治らが共演するラブストーリー。初恋の人と再会したヒロイン、ヒロインを彼女の姉と誤解した小説家、母に送られる小説家からの手紙に返信を書く娘の、心の再生と成長が描かれる。岩井監督の出身地である宮城県で撮影が行われ、音楽を『スワロウテイル』などで岩井と組んだ小林武史が担当する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「夫と子供と暮らす岸辺野裕里(松たか子)は、姉の未咲の葬儀で未咲の娘・鮎美(広瀬すず)と再会する。鮎美は心の整理がついておらず、母が残した手紙を読むことができなかった。裕里は未咲の同窓会で姉の死を伝えようとするが、未咲の同級生たちに未咲本人と勘違いされる。そして裕里は、初恋の相手である小説家の乙坂鏡史郎(福山雅治)と連絡先を交換し、彼に手紙を送る」

 この映画、岩井監督が初めて出身地である宮城を舞台にしています。手紙の行き違いをきっかけに始まったふたつの世代の男女の恋愛と、それぞれの心の再生と成長を描いているのですが、最初はちょっと違和感をおぼえました。「岩井俊二監督が体験した出来事を基にした物語」ということですが、姉になりすまして高校の同窓会でスピーチしたり、娘が亡き母になりすまして手紙を書くなどの行為にリアリティを感じなかったからです。特に、どんなに年齢を重ねても、人は高校時代の面影を持っているもので、同級生たちが間違えるというのは考えにくいですね。でも、物語が進むにつれ、「まあ、お伽噺として楽しもう」という気になってきました。そもそも、いまどきメールやLINEではなく、手紙のやりとりをするところが「お伽噺」のイメージを強くさせます。

「ラストレター」は非常にロマンティックな映画ですが、そのロマンティックである最大のゆえんは、主人公たちが高校時代の初恋を現在にまで引きずっているところでしょう。とにかく、初恋ほどロマンティックなものはありません。世界が急に輝いて見えてきます。初恋の相手を中心に地球が回っているような感覚に陥ります、まさに「魔法」にかかったような状態です。もうひとつロマンティック要素が、この映画には登場します。「卒業」です。感動のラストシーンにも関係するのですが、この物語において、高校の卒業式の場面はとても重要です。かつて、わたしが大ファンだった斉藤由貴は「初恋」と「卒業」というタイトルの歌を歌いましたが、わたしにとって「初恋」と「卒業」は二大ロマンティック・ワードなのです。

「初恋」と「卒業」は、岩井監督の長編デビュー作である「Love Letter」(1995年)のテーマでもありました。この映画、日本や中国でも好評でしたが、韓国では特に爆発的な人気を呼びました。物語は、婚約者を亡くした渡辺博子(中山美穂)は、忘れられない彼への思いから、彼が昔住んでいた小樽へと手紙を出すところから始まります。すると、来るはずのない返事が返って来ました。それをきっかけにして、彼と同姓同名で中学時代、彼と同級生だった女性と知り合うことになるという物語です。愛する人を亡くした人の再生を描くグリーフケア映画の名作でした。

 かつて、わたしは20世紀の終わりの日に「私の20世紀」を振り返りましたが、「20本の邦画」の中の1本に「Love Letter」を選びました。それほど、この映画はわたしにとっての重要な作品なのです。もう25年、じつに四半世紀も前の作品ですが、この映画の中山美穂は本当に美しかった。わたしは歌手・中山美穂のファンではありませんでしたが、この映画の冒頭の雪のシーンを見た瞬間から、一発でミポリンの魅力の虜になりました。そのミポリン、今回の「ラストレター」にも出演しています。それがちょっと悲しいくらい、25年という歳月の長さを感じさせるのです。けっして「劣化」などという下品な言葉を使いたくはありませんが、「ああ、あのときの君は美しかった」と思ってしまったことは事実です。「Love Letter」でミポリンと共演した豊川悦司も「ラストレター」に出演しています。彼はクズのような男の役なのですが、渋みのある名演技であったと思います。

「ラストレター」の主演は、松たか子です。
 彼女も岩井映画の名作である「四月物語」(1998年)に出演しています。上京したばかりの女子学生の日常を優しく瑞々しいタッチで描いた中篇です。桜の花びら舞う4月、楡野卯月(松たか子)は大学進学のため、生まれ故郷の北海道・旭川を離れて東京でひとり暮らしを始めます。彼女にとっては毎日が新鮮な驚きであり、冒険でしたが、彼女がこの大学を選んだのには人に言えない"不純な動機"がありました。まるで印象派の絵画のように美しい映画で、松たか子の女優としての可能性を大いに示した作品でした。

「四月物語」から22年後の「ラストレター」でも、彼女は凛とした美しさを見せてくれています。ミポリンと違って、「あのときの君は・・・」と思わなくても済みましたね。わたしは、HPの「プロフィール」にも「好きなタレント」として松たか子の名前を挙げています。一条真也の映画館「告白」で取り上げた映画を観たときから、彼女こそ日本映画界におけるナンバーワン女優ではないかと思っていましたが、一条真也の映画館「小さいおうち」で紹介した映画を観たとき、その思いは確信となりました。それほどまでに松たか子を推していたわたしですが、最近、「彼女こそ日本映画最強の女優では?」と思える存在ができました。広瀬すずです。

「ラストレター」のキャストは豪華です。というか、広瀬すずと神木隆之介コンビ、松たか子と福山雅治コンビといえば、現在の日本映画界では最強の配役ではないですか!  福山雅治と広瀬すずは一条真也の映画館「三度目の殺人」で紹介した映画(斉藤由貴が広瀬すずの母親役で出演!)でも共演していますが、あのような殺伐とした映画よりも、「ラストレター」のようなロマンティックな映画のほうが美形の2人には似合います。この映画での福山雅治はイケメンぶりを隠しているというか、地味で冴えない小説家に徹していましたが、広瀬すずの美しさは眩しいほどに輝いていました。彼女が演じる未咲はずっと風邪を引いてマスクをしていましたが、初めて鏡史郎に会ったとき、挨拶をするためにマスクを取ります。その瞬間、鏡史郎は恋に落ちたのでした。そりゃあ、マスクを外して広瀬すずの顔が出てきたら、男なら誰だって恋に落ちるでしょう。それほど、彼女は美しい!

 一条真也の映画館「海街diary」で紹介した映画で初めて彼女を見たのですが、整った顔立ちの中に凛とした「強さ」のようなものを感じさせました。女優としてのデビュー作でありながら、広瀬すずの存在感はハンパではなく、綾瀬はるか、長澤まさみといった旬の共演女優たちに勝るとも劣りませんでした。今回の「ラストレター」では、中山美穂はもちろん、松たか子さえも完全に圧倒していました。気づいてみれば、彼女はNHKの朝ドラの100回記念番組の主演を務めるほどの女優に成長していたのです。

「若さには勝てない」と言えばそれまでですが、若さに持ち前の美貌、それに確かな演技力が加われば、女優としては無敵です。「ラストレター」で広瀬すずに次いで輝いていたのは、松たか子演じる裕里の高校時代を演じた森七菜です。一条真也の映画館「天気の子」で紹介したアニメ映画でヒロイン・天野陽菜の声を担当した女の子です。一条真也の映画館「最初の晩餐」で紹介した映画で、戸田恵梨香演じる美也子の少女時代を演じましたが、素晴らしい演技力でした。まだ18歳だそうですが、これからが非常に楽しみな女優さんですね。岩井監督も彼女のことを絶賛しています。「ラストレター」の中で、ノースリーブのワンピース姿で森七菜と広瀬すずの2人が並んで傘を差しているシーンは透明感があり、あまりにも儚く切なく美しく、ため息が出ました。

 大ヒット・アニメで主役の声優をやるくらいですから、とにかく彼女は声がいいです。現在、NHKの朝ドラ「スカーレット」で主演を務めている戸田恵梨香は、「最初の晩餐」の公開記念舞台挨拶で、森七菜を「なんてキラキラ輝いているんだろう、私はなんでこんなに声が低いんだろうと思い、うらやましかった」と自虐を交えて絶賛していました。
 声がいいから歌もうまいわけではないでしょうが、彼女の歌う「カエルノウタ」は不思議な魅力の名曲です。「ラストレター」の主題歌に使われています。

 さて、「ラストレター」という映画は、葬儀のシーンから始まります。不幸な結婚生活の末に自死した未咲の葬儀です。彼女の瓜二つの娘である鮎美の悲しみがスクリーンから静かに伝わってきます。この映画には、もうひとつ儀式が登場します。未咲の高校の卒業式です。生徒会長だった未咲は卒業生を代表して、全校生徒の前で感動的なスピーチを行います。その卒業スピーチの内容は、映画のラストシーンと重要な関係があるのでした。ですから、「ラストレター」という映画は、「葬儀に始まり、卒業式に終わる」と言えるでしょう。わたしは「葬儀」の本質とは「卒業式」であると考えています。ここ数年、「終活」についての講演依頼が多いですが、お受けする場合、「人生の卒業式入門」というタイトルで講演させていただくようにしています。わたしは「死」とは「人生の卒業」であり、「葬儀」とは「人生の卒業式」であると考えているからです。
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2010年10月4日「読売新聞」夕刊より



 かつて「読売新聞」夕刊の「この人、この一言」(2010年10月4日)に登場させていただきました。一面の掲載で、タイトルは「葬儀は、人生の卒業式」。「書店に積まれた一冊の本が気になって仕方なかった」との書き出しで、島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしが『葬式は必要!』(双葉新書)を短期間に書き上げた経緯などが紹介されています。
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葬式は必要!』(双葉新書)



 わたしは、人の死を「不幸」と表現しているうちは、日本人は幸福になれないと思います。わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。亡くなった人は「負け組」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのでしょうか。そんな馬鹿な話はありません。わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。死は不幸な出来事ではありません。そして、葬儀は人生の卒業式です。これからも、本当の意味で日本人が幸福になれる「人生の卒業式」のお手伝いをさせていただきたいと願っています。
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 卒業式というものは、深い感動を与えてくれます。それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからでしょう。わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式であると思っています。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。結婚式も、やはり卒業式だと思います。なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく感じるからです。

 未咲は大学時代に知り合った男と駆け落ち同然に結婚しますが、とんでもないDV夫で、その後は苦労の連続でした。そして、人生に疲れ果てた未咲は自らの命を絶つのです。わたしにも2人の娘がいますが、「もし、結婚した相手がDVとかアルコール依存症とかギャンブル依存症とかだったら、どうしよう」と無性に不安になることがあります。 何があっても守ってやれる父親や母親から巣立っていく結婚式とは、その意味で親という「庇護者」からの卒業式なのです。映画「ラストレター」の冒頭の葬儀のシーンで、44歳の若さで自死した娘の未咲のことを「とても出来の良い子だった」とつぶやく父親の姿に深い悲しみを感じました。

 高校の卒業式のスピーチで未咲は「わたしたちには無限の可能性がある」と高らかに宣言しましたが、その可能性が無残な形で消滅してしまったのは、まことに無念なことです。しかし、それでも「死は不幸」ではありません。誤解を恐れずに言うなら、「人生は思い通りにならないもの」ということを教えてくれる死にも意味はあると思います。通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことですが、葬儀こそは「人生の卒業式」です。最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。葬儀の場面で、卒業式で歌う「蛍の光」の歌詞のように「今こそ別れめ いざ さらば」と堂々と言えたら素敵ですね。

 映画「ラストレター」での最後の手紙とは、未咲が鮎美に宛てたものでした。いわば、死者から生者へのメッセージですが、生者から死者へのメッセージもあります。告別式における弔辞がその代表例であると思います。一条真也の映画館『弔辞 劇的な人生を送る言葉』で紹介した本では、わずか数分に凝縮された万感の思いがたくさん掲載されています。故人との濃密な関係があったからこそ語られる、かけがえのない思い出、知られざるエピソード、感謝の気持ちが弔辞であり、まさに故人へのラストレターと言えるでしょう。日々、接する葬儀でさまざまな弔辞を聴くと、弔辞もまた文学、いや弔辞こそ文学であると思います。わたしの弔辞=ラストレターは誰が読んでくれるのでしょうか?