No.416


 19日、東京から北九州に戻りました。台風が接近しているとかで雨が降っていました。この日から小倉祇園太鼓が始まるのですが、あいにくの天気です。ただでさえ梅雨がなかなか明けないのに、そのうえ台風まで来るとは! その夜は、アニメ映画「天気の子」を観ました。17日からの公開ですが、この時期に公開するとは東宝もやってくれますね。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『秒速5センチメートル』などの新海誠監督が、『君の名は。』以来およそ3年ぶりに発表したアニメーション。天候のバランスが次第に崩れていく現代を舞台に、自らの生き方を選択する少年と少女を映し出す。ボイスキャストは、舞台『「弱虫ペダル」新インターハイ篇』シリーズなどの醍醐虎汰朗とドラマ『イアリー 見えない顔』などの森七菜ら。キャラクターデザインを、『君の名は。』などの田中将賀が担当した」

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 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「高校1年生の夏、帆高は離島から逃げ出して東京に行くが、暮らしに困ってうさんくさいオカルト雑誌のライターの仕事を見つける。雨が降り続くある日、帆高は弟と二人で生活している陽菜という不思議な能力を持つ少女と出会う」

 一条真也の映画館「新海誠の世界」 「君の名は。」にも書いたように、わたしは基本的に新海誠監督のアニメが好きで、全作品を観ています。DVDも全部持っています。
 最新作の「天気の子」を観て、まず思ったのは、「やはり新海アニメは、絵が力強い」ということ。豪雨のシーンはこの世の終わりのように凄まじく、雨が晴れ上がるシーンは神々しさを感じました。場所としては、ほとんど東京の都心が描かれるのですが、新宿にしろ秋葉原にしろ、ビルの看板や店舗名までディテールが細かく描き込まれています。街の光景だけでなく、「マックバーガー」とか「からあげ君」とか「カップヌードル」とか、これはおそらくは商品PRのタイアップもあるのでしょうが、あまりにも具体的です。オカルト雑誌の「ムー」まで登場したのには驚きました。「うさんくさいオカルト雑誌」と説明されていましたが、まさか、これも版元である学研とのタイアップ?

 それから思ったのは、「気宇壮大というか荒唐無稽というか、とにかくスケールの大きな物語だな」ということです。前作「君の名は。」と同じ路線なのですが、「天気の子」では、冒頭から「世界の秘密についての物語」とか「世界の形を決定的に変えてしまった」とか、とにかく大仰な表現が目立ちます。そのビッグ・スケール・ストーリーは確かに面白いのですが、逆に登場人物たちの状況説明には細かな描写が足りないと感じました。

 まず、帆高が家出した理由が「息が詰まったから」程度で、その詳しい理由が語られておらず、大変な思いをして東京まで出てきた理由がわかりませんでした。また、陽菜の母親が亡くなったのはわかりますが、父親はどうしたのか、なぜ幼い弟と二人暮らしなのかもわかりません。ストーリーでいうと、ピストルの存在は不要ではないかとも思いました。警察の描写が、こういったファンタジーには似合わないからです。あと、ラブホの描写も必要だったかなあ?

 主人公2人の「森嶋帆高」と「天野陽菜」という名前です。
 じつは、帆高のほうは例の丸山穂高議員を、陽菜のほうはわたしの次女である陽奈を連想してしまいました。もっとも、2人とも字は違うのですが、「ホダカ」「ヒナ」というように音がまったく同じであるため妙に心に引っ掛かってしまい、ちょっとストーリーを追う邪魔になりましたね。
 あと、この映画には豪雨のシーンがやたらと登場するのですが、一条真也の新ハートフル・ブログ「北九州市災害時支援協定調印式&記者会見」で紹介した北九州市とわたしが社長を務める株式会社サンレーの間で「災害時における施設の使用に関する協定」の締結したこともあって、「今日にでも北九州が豪雨の被害に遭って、多くの人たちがわが社の施設に避難してくるかもしれない」などと考えてしまいました。実際、わたしは出張中でしたが、前日も大雨でスマホの警報が鳴ったそうです。いつ、「その日」が来るか、油断はできません。

 さて、「天気の子」は言うまでもなく「天気」についての物語です。つまり、「自然」についての物語です。日本に住んでいると、自然の脅威を嫌というほど思い知らされます。よく、「自然を守ろう」とか「地球にやさしく」などと言います。しかし、それがいかに傲慢な発想であるかがわかります。やさしくするどころか、自然の気まぐれで人間は生きていられるのです。生殺与奪権は人間にではなく、自然の側にあるということです。実際、地震や津波や台風で、多くの死者が出ています。

 自然を畏れる気持ちが日本固有の宗教である「神道」を生む原動力となりました。神道とは何でしょうか。日本を代表する宗教哲学者にして神道ソングライターであり、また神主でもある鎌田東二氏は、著書『神道とは何か』(PHP新書)で述べています。
「さし昇ってくる朝日に手を合わす。森の主の住む大きな楠にも手を合わす。台風にも火山の噴火にも大地震にも、自然が与える偉大な力を感じとって手を合わす心。 どれだけ科学技術が発達したとしても、火山の噴火や地震が起こるのをなくすことはできない。それは地球という、この自然の営みのリズムそのものの発動だからである。その地球の律動の現れに対する深い畏怖の念を、神道も、またあらゆるネイティブな文化も持っている。インディアンはそれをグレート・スピリット、自然の大霊といい、神道ではそれを八百万の神々という」

「カミ」という名称の語源については、「上」「隠身」「輝霊」「鏡」「火水」「噛み」など古来より諸説があるものの、定説はありません。でも、江戸時代の国学者である本居宣長は大著『古事記伝』で、「世の尋(つね)ならず、すぐれたる徳(こと)のありて、畏(かしこ)きもの」と「カミ」を定義しました。つまり現代の若者風に言えば、「ちょー、すごい!」「すげー、かっこいい!」「めっちゃ、きれい!」「ちょー、ありがたい」「ありえねーくらい、こわい」などの形容詞や副詞で表現される物事への総称が神なのだと鎌田氏は述べます。

「天気の子」を観て、わたしは一神教と多神教の違いについても考えました。おそらく自然に対する考え方が、欧米人と日本人では相反していることが重要な点であると思います。欧米人は厳しい環境に囲まれているので、自然を対立するもの、征服する対象と見ますが、日本人は自然を生きる恵みを与えてくれるものとして見ました。そして、自然に感謝し、畏敬の念を抱き、これと調和して暮らしてきました。そのため宗教にしても、彼らは排他的で独裁的な征服の思想を持つキリスト教のような一神教になります。対する日本は、自然に逆らわず自然の中に神を見て畏敬の念を抱き、自然と一体になろうとする寛容な思想の神ながらの道=神道になります。

f:id:shins2m:20131002131241j:image知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)

 拙著『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)にも書きましたが、自然に対して西洋では高い姿勢、傲慢な態度で立ち向かうのに、日本では低い姿勢、謙虚な態度で受け入れる。彼らは、たとえば石を見ればすぐ彫刻したり、規格統一して並べたりして人間の偉大さを誇ります。日本では、石を河原から拾ってきたままの姿で庭に置き、重く安定した姿の石庭を楽しみます。また、彼らは水を見れば引力に逆らって噴水を上げたがりますが、日本庭園では、水は上から下へと泉水や滝を造って、自然のあるがままの姿を楽しみます。日本庭園は大自然を縮小してそのまま移したものですが、西洋では人工的な直線や円を描いて幾何学的な庭園を造る。

 このように日本が「自然に従う文化」なら、西洋は「自然に逆らう文化」と呼べるかもしれません。パレスチナやアラビアの苛酷な自然風土の中では、自然に対決し、自然を征服しようとする唯一絶対神を必要として一神教を生む。これに対して自然の温和な日本では、自然順応、調和、共生の多神教が生まれる。一神教が排他独善の不寛容な神、妬みの神になるのに対して、多神教は誰をも受け容れる、きわめて寛容な慈愛の神々となるのです。一条真也の映画館「ジオストーム」で紹介したSF映画では、天候をコントロールする気象宇宙ステーションが暴走する様子が描かれます。もちろん、科学技術によって天気をコントロールすることなど現実世界では不可能です。アメダス、気象衛星、気象レーダー、スパコンなどを駆使して天気予報の精度は飛躍的に向上しましたが、未だに人類は天気をコントロールすることには成功していません。

 ところで、「天気の子」では、ビルの屋上にある鳥居が重要な役割を果たします。陽菜も、帆高も、この鳥居から不思議な空の世界へ飛び立ちます。映画の中で、ある占い師が「空の世界は海よりも謎に満ちている」として、積乱雲ひとつでも湖に等しい水分を含んでいると述べたシーンが非常に興味深かったです。この不思議な空から透明な魚やクジラなどが降ってくるのですが、それらは地上に落ちると消えてしまう。このミステリー・ワールドとしての「空」をもっと描いてほしかったですね。また、「天気の子」には、「空」は「彼岸」に通じているという老婆の談話が出てきます。その彼岸である「空」から死者が地上に戻ってくるのが「お盆」だといいます。もう日本人の民俗世界が炸裂していますね。

 話を鳥居に戻すと、いま、神社が若い人たちの間で「パワースポット」として熱い注目を浴びています。いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。これも鎌田東二氏によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。そして、鳥居とは、ブラックホールやホワイトホールの結界なのかもしれません。

 先に、日本人は、自然に逆らわず自然の中に神を見て畏敬の念を抱き、自然と一体になろうとする寛容な思想を持っていると述べました。その神ながらの道こそが神道になるわけですが、日本は天気をコントロールできる唯一の存在として、神道のシンボルである「天皇」をいただいているという考え方もあります。そういえば、このたびの御譲位では、さまざまな儀式の際はことごとく晴れでした。

「天皇晴れ」という言葉をご存知でしょうか。昭和天皇は、行幸の先々で好天に恵まれ、それは世に「天皇晴れ」と呼ばれました。1975年9月、昭和天皇が訪米した折、アメリカはずっと晴れていました。そしてその間、日本は曇天か雨でしたが、天皇の帰国の日に特別機が羽田空港に降り立つと、ぴたりと雨が止み、にわかに雲の切れ間から光が射し込んみました。その光景はテレビ中継されていたので、多くの国民が驚いたといいます。

 なんといっても天皇家は太陽神である天照大御神の子孫ですが、「天皇晴れ」という言葉は、1964年の東京オリンピックの頃から使われ始めたそうです。竹田恒泰氏の著書『語られなかった皇族たちの真実』に詳しく触れられていますが、竹田恒泰氏の祖父で旧皇族だった竹田恒徳は著書『雲の上、下 思い出話』で以下のように述べています。
「東京オリンピック大会の開会式は昭和39年の10月10日、東京・国立競技場で行われたが、その前夜はひどい雨だった。(中略)ところが、一夜明けた当日になると、それこそ前夜の雨がうそのように、雲ひとつない青空が広がっているではないか。私自身も信じられないような、見事な"天皇晴れ"であった」

「天皇晴れ」は、単に晴れるだけではなく、悪天候が天皇の登場に合わせて快晴に転じることをいいます。この現象は、1972年2月3日、札幌冬季オリンピックの開会式でも再現されました。一条真也の新ハートフル・ブログ『怪奇事件はなぜ起こるのか』で紹介した本で、著者の小池壮彦氏は「「天皇晴れは、オリンピックや国民体育大会、そして1970年の大阪万博、1985年の科学万博などでも見られたが、国内のイベントのみに現われた現象ではない。1971年の昭和天皇訪欧時には"エンペラーズ・ウェザー"が地球規模で現出して世界に衝撃を与えている」と述べています。

 羽田空港からアンカレッジに飛び立った昭和天皇は、現地でも珍しい極彩色の巨大なオーロラをアンカレジの空に出現させます。その後も、デンマーク、ベルギー、フランス、イギリス、オランダ、スイスと秋晴れが続きました。最後の行幸地である西ドイツも晴天でしたが、すべての日程を終えた天皇が特別機でボン空港を発ったとたん、現地はどしゃぶりの雨になりました。これが"エンペラーズ・ウェザー"として欧州人を驚嘆させたわけです。だがむしろ注目すべきは、その間に日本が記録的な天候不順に見舞われていたことだと、小池氏は指摘します。

「天気の子」では、ヒロインの陽菜が「晴れ女」として、雨天を晴天に変えるというサービスを提供します。多くの顧客が陽菜に依頼してきますが、わたしたちは子どもの頃、運動会や遠足や旅行の前日が雨模様だったりすると、てるてる坊主を吊り下げて晴天を祈願したものです。てるてる坊主とは民間信仰の対象なのですが、その人間版が陽菜というわけです。もっとも、陽菜の弟の凪は、てるてる坊主の着ぐるみを着るのですが。「てるてる坊主」という童謡がありますが、3番の歌詞では、もし晴れにできなかったら、「首をちょんと切る」となっています。つまり、雨天を晴天にすることに失敗したら殺されるわけです。てるてる坊主は、本当は怖い話なのです。

 てるてる坊主は、中国から伝わった風習とされています。ただ、中国では「坊主」ではなく女の子でした。白い紙の頭に、赤い紙の服を着せ、箒を持たせた「掃晴娘(サオチンニャン/そうせいじょう)」という女の子の人形があります。この掃晴娘が箒で雨雲を払い、晴れの気を呼んでくれるわけです。掃晴娘と日本のてるてる坊主との類似はすでに江戸時代の榊原篁洲『榊巷談苑』で指摘されています。また、ヘボン『和英語林集成』は「TERI-TERI-BŌZU」に「掃晴娘」の字をあてています。Wikipedia「掃晴娘」には、「北京に切り紙が得意な美しい娘、晴娘がいた。ある年の6月、北京に大雨が降り、水害となった。北京の人々はこぞって雨が止むよう天に向かって祈願をし、晴娘も祈りを捧げた。すると、天から晴娘が東海龍王の妃になるなら雨を止ませるという声が聞こえた。晴娘がそれに同意すると、雨は止み、晴娘は消えた。以来、北京の人々は皆雨が続くと晴娘を偲んで切り紙で作られた人形を門に掛けるようになった」と書かれています。この「掃晴娘」が日本に伝わり、「てるてる坊主」になったのでしょう。

f:id:shins2m:20161012195816j:image儀式論』(弘文堂)

 古代、人類にとっては、雨を晴れにすることよりも、雨を降らせることのほうがずっと重要でした。そのために、雨乞いの儀式が世界各地で行われました。拙著『儀式論』(弘文堂)などにも書きましたが、儒教の発生にも雨乞いが深く関わっています。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。儒教の開祖である孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。

f:id:shins2m:20171215125126j:image唯葬論』(サンガ文庫)

 雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。なぜなら、雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げることだからです。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じなのです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。ですから、拙著『唯葬論』(サンガ文庫)でも強調したように、葬儀は人類にとっての最重要行為なのです。「天気の子」を観て、最後はそんなことを考えました。20日の土曜日、小倉紫雲閣では「サンクスフェスタ」が開催され、多くのお客様のご来場が予想されます。
 映画を観終わったとき、わたしは「明日、天気になあれ!」とつぶやきました。