No.497


 次回作である『「鬼滅の刃」に学ぶ』を脱稿して最高にハイになったわたしは、徹夜明けにもかかわらず、一条真也の映画館「ワンダーウーマン 1984」で紹介した映画に続いて、日本映画「約束のネバーランド」も観てしまいました。人気コミックの実写化ですが、これがバッシングの嵐で、ネットでの評価も低いです。まあ、細かいことは置いておいて、浜辺美波と北川景子の美しい顔だけを楽しめばいい映画と思いますけどね。みなさんは、わたしに「映画には美女が必要!」という持論があることをご存じですよね?

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「白井カイウ、出水ぽすかのベストセラーコミックを映画化したサスペンス。自分たちが鬼の食料になると知った子供たちが、決死の脱出に挑む。メガホンを取るのは『春待つ僕ら』などの平川雄一朗。『賭ケグルイ』シリーズなどの浜辺美波、『万引き家族』などの城桧吏、ドラマ『神酒クリニックで乾杯を』などの板垣李光人らが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「『グレイス=フィールドハウス』という児童養護施設でママと呼ばれるイザベラのもと、幸せに暮らしていたエマ(浜辺美波)、レイ(城桧吏)、ノーマン(板垣李光人)は、里親に引き取られる年齢になり外の世界で生活することを望んでいた。ある日、施設を出るコニーに忘れ物を渡そうと近づいてはならない門に向かったエマとノーマンは、コニーが鬼に献上する食料として出荷されるのを目撃する。ここは鬼のための食用児を育てる施設だった」

 この映画の原作『約束のネバーランド』は、白井カイウ(原作)、出水ぽすか(作画)による漫画です。「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて2016年35号から2020年28号まで連載されました。シリーズの累計発行部数は2020年10月時点で2500万部を突破しています。1億2000万部以上を記録した『鬼滅の刃』とほぼ同時期ジャンプに連載され、両作品はいわば同期なのですが、ともにアニメ化もされて人気を高めました。その後、『約ネバ』だけが実写化されたわけです。ともに「鬼」が登場しますが、約ネバでは鬼と人間が政治的取引をしているところがちょっと引きました。これなら、鬼と人間が死闘を繰り広げる『鬼滅』の方にシンプルでピュアな印象を感じてしまうのは、わたしだけではありますまい。  

 

 アニメ版「約ネバ」もNetflixで最初の数話だけ観ましたが、正直言って「うーん?」という感想でした。まず、どこの国の話だかわからない。物語の舞台となるグレイス=フィールドハウス(GF)の所在地について詳細は不明ですが、Wikipedia「約束のネバーランド」には、「作中では北半球の中緯度地域であることが推測されている。また、作中に出てくる世界地図は現実の物と同じであるが、ヨーロッパを中心に描かれており、ヨーロッパが舞台であることを窺わせる描写が多い。また、作中では鬼の世界と人間の世界は断絶されているとのことだが、作中の舞台が地球であることと前述の暦が正しいことは判明している」と書かれています。わたしは、「なんだか、萩尾望都の『トーマの心臓』や『11月のギムナジウム』に出てくる場所みたいだな」と思いました。それなら、やはり舞台はヨーロッパですね。

 

 わたしは、原作コミックを読んでいませんし、アニメも全部観ていないので、「約ネバ」の実写化が失敗だったかどうかはわからないのですが、基本的に明らかにヨーロッパと思われる国の物語を日本人が演じるというのは違和感があります。ミュージカルをはじめ、舞台演劇ならばよくある話ですが、映画ではちょっと無理でしょう。だって、日本人が金髪になっているのって変じゃないですか。今どきの不良じゃあるまいし。(笑)でも、金髪でも浜辺美波はよく似合っていましたし、演技も良かったです。ママを演じた北川景子なども悪くなかったですが、最高だったのがシスター・クローネを演じた渡辺直美。彼女の顔面のインパクトは素晴らしく、実写版のクローネだけは原作コミックもアニメも超えたと高い評価を得ているようです。残念だったのは、セリフが棒読みだった主要キャラクターの1人を演じた少年です。まだ未成年ですし、すでにネットでも酷評されているので、ここでは名前を書きませんが、彼は役者には向いていないと思います。

 

「約ネバ」は、いわゆるダーク・ファンタジーです。ファンタジー、ホラー、SFといった非日常の物語においては、何よりも大切なのが世界観です。Wikipedia「約束のネバーランド」の「世界設定」には、「物語は、主人公達が『鬼』と呼んでいる種族が運営する、人間を食用の家畜として飼育するグレイス=フィールド(GF)ハウスという農園(表向きは孤児院)から始まる。時代設定は、物語が開始した時点で2045年となっており、農園内で得られる情報から少なくとも2015年までは外の世界で人間によって本が出版されていたこと、また外の世界にも鬼に食われない人間たちがいることが情報として出てきている。ソンジュの話によると、かつての世界では農園は存在しておらず、鬼は人間を襲って食べる生活をしていたが、鬼に服する人間もいれば逆に鬼を憎み武装して食われた数以上の鬼を殺す人間達もいたとのこと」と書かれています。

 続けて、「世界設定」には、「終わりのない殺し合いと果てのない恐怖に互いが嫌気を指していた時に人間側から『人間は鬼を狩らない、だから鬼も人間を狩らない。お互い世界を棲み分けよう』という提案がなされた。この『約束』こそが全ての始まりで、これによって世界は人間の世界と鬼の世界の2つに切り分けられ、2つの世界は断絶することになった。エマたちの先祖は、その時に鬼側の世界に置いて行かれた土産で、鬼は約束を守り農園で人間を管理、養殖を続けるようになった。約束からおよそ1000年もの間、世界は特に変化が無く、互いの世界を行き来するのも不可能とのこと。しかし、実際には一部の人間は人間の世界と鬼の世界を行き来しており、行き来の手段としてエレベーターが出てきている」と書かれています。またしても、うーん。わたしはファンタジー作品にはディテールのリアリティが不可欠と考えているのですが、その点で「約ネバ」には突っ込みどころが多過ぎますね。だいたい、見張りが1人というのはおかしいです。せっかく2人に増えたのに、すぐまた1人になってしまいますし......。

 さらに「世界設定」によれば、「鬼の世界には鬼の町も存在しており、市場では人肉に限らず様々な食材が扱われている様子が窺える。市場で購入できる人肉は量産農園産のもので、高級農園産の人肉は貴族など限られた層しか食べられないため、一般の市場には出回っていない。また、農園では様々な機械類が見受けられるが、人間の技術の影響が及んでいないと思われる鬼の町では機械類は見受けられないなど、基本的に鬼の文明は人間より低い事が窺える」とも書かれています。人間農園は主に高級農園と量産農園に分類されているとか。わたしは、この映画を観て、ある本を連想しました。『動物農場』です。

 『動物農場』は、1945年8月17日に刊行されたジョージ・オーウェルの小説です。とある農園の動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとしますが、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描いています。スペイン内戦に自ら参加した体験を持つオーウェルが、人間を豚や馬などの動物に見立てることで20世紀前半に台頭した全体主義やスターリン主義への痛烈な批判を寓話的に描いた物語となっています。現在、人間は農場で豚や鶏や牛などを飼育しています。彼らが高い知性を持ち、言葉を使うことができたら、当然ながら食用となる運命から逃れようとするでしょう。この豚や鶏や牛が「約ネバ」では食用児という人間に置き換わっているわけです。

 この『動物農場』という風刺小説は、わたしが最近観た映画にも登場しました。一条真也の映画館「ザ・ハント」で紹介したアメリカ社会への風刺映画です。富裕層が娯楽目的で行う人間狩りを描いたバイオレンススリラーなのですが、この映画、とにかく男はみんな弱くて、女はみんな強いです。最後に最強の女戦士2人が闘うシーンはド迫力です。キャットファイトどころではない、牝ライオン同士の闘いのようです。戦闘本能剥き出しで殺し合いをする女2人の姿には少々引いてしまいましたが、最後に、ジョージ・オーウェルの『動物農場』の話題になって、2人ともその本を読んでいたことがわかって奇妙な親近感が芽生えるところが面白かったです。殺伐とした闘いの後の読書談義は究極の「平和」をイメージさせてくれました。


 さて、「約ネバ」の実写化が成功したか否かについての話題に戻りますが、鬼の描写に関しては大失敗と言えるでしょう。これは、原作の時点で鬼の造形に失敗しているのです。ある意味でリアリティ満点の「鬼滅」の鬼たちに比べて、「約ネバ」に出てくる鬼はまったくリアリティがありません。「鬼滅」の鬼たちの哀しい過去も含めて、そのキャラクターが内面まで細かく描かれているのに比べ、「約ネバ」の鬼はあまりにもアバウトというか、幼稚園児がお絵描きで描いた鬼みたいです。少しも怖くない。

 この鬼の造形という一点だけ見ても、わたしは「約ネバ」という作品はやはり駄作だと思います。ちなみに、同期の「約ネバ」の実写化の評判が悪いことから、「『鬼滅』だけは実写化させたくない」という人が多いようです。わたしも、これまでは「『鬼滅』を実写化するなら、炭治郎役は山崎賢人で、禰豆子役は橋本環奈。善逸は志尊淳、伊之助は新田真剣佑、煉獄は菅田将暉、胡蝶しのぶは広瀬すず、胡蝶カナエは広瀬アリス、栗花落カナヲは浜辺美波、そして甘露寺蜜璃は池田エライザがいいなあ」などと能天気に考えていたのですが、十二鬼月や鬼舞辻無惨を実写化するリスクを考えたら、「やはり、実写化はしない方がいいかも......」と思うのでした。はい。