No.522


 58歳になる前日に映画「ザ・ホワイトタイガー」をネットフリックスで鑑賞しました。第93回アカデミー賞で脚色賞にノミネートされた作品です。映画評論家の中で最も信頼している町山智宏氏が「予測不能の凄い映画」と絶賛しているのを知り、早速観ました。正直、そこまで「凄い」とは思いませんでしたが、インド社会の諸問題が浮き彫りになっており、そのあたりは興味深かったです。

 

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「[Netflix作品]イギリスで最も栄誉ある文学賞ブッカー賞を受賞したアラヴィンド・アディガのベストセラー小説を映画化。インドの貧困層出身の青年が、裕福な一家の使用人として働く中で理不尽な現実に直面する。野心家の主人公をアダーシュ・ゴーラヴが演じ、『ストゥリー 女に呪われた町』などのラージクマール・ラーオ、『バルフィ! 人生に唄えば』などのプリヤンカー・チョープラらが共演。『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』などのラミン・バーラニがメガホンを取った」

 

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「インドの貧しい村出身の青年バルラム・ハルワイ(アダーシュ・ゴーラヴ)は、裕福な一家の運転手となる。生まれた身分から使用人になるしかない彼は、抜け目なく立ち回り主人からの信頼を得ていくが、ある出来事をきっかけに、雇い主一家が自分をわなにはめ犠牲にしようとしていることに気付く。野心的なバルラムは不公平で腐敗した社会に服従するのではなく、自ら運命を切り開くべく立ち上がる」

 

 4月26日に発表のあった第93回アカデミー賞2021では、韓国人俳優を使ってハリウッドで製作された一条真也の映画館「ミナリ」で紹介した映画が助演女優賞を獲得しました。町山智宏氏は、映画レビュー動画「たまむすび」で、「今回のアカデミー賞でも、韓国、中国、フィリピンの映画人たちが脚光を浴びましたが、その中にインド映画も入っていました。脚色賞にノミネートされた『ザ・ホワイトタイガー』です。あまり話題になりませんでしたが、これが予測不能の凄い映画なんです」と絶賛。監督のラミン・バーラニはイラン系の人ですし、マイノリティの視線を重視する町山氏の目には傑作に映ったようです。

 

 「ザ・ホワイトタイガー」は基本的にサスペンス映画なので、ストーリーを詳しく紹介するとネタバレになる危険がありますが、ネットフリックスの紹介文には「この貧困から何としてでも抜け出したい。そんな野心を胸に裕福な一家の運転手となった男は、持ち前のずる賢さで成功を目指すが......。ベストセラー小説の映画化」とあります。原作は、2008年に刊行された"THE WHITE TIGER"Aravind Adiga(アラヴィンド アディガ)ですが、邦訳は『グローバリズム出づる処の殺人者より』のタイトルで文藝春秋から刊行されています。アマゾンには、「究極の格差社会インドから中国首相に送られる殺人の告白。グローバリズムの闇を切り裂き、人間の欲望と悲しみを暴く挑発的文学」と書かれています。

 

 アマゾンの内容紹介には、「グローバリズム出づる処、インド、バンガロール。ひとりの起業家が、書を民主主義が没する処の天子温家宝に致す。『拝啓中国首相殿、あなたに真の起業家精神を教えましょう。主人を殺して成功した、このわたしの物語を』IT産業の中心地から送った中国首相への手紙は殺人の告白であった―。ブッカー賞受賞作」とあります。このように、この物語は殺人の告白なのですが、サスペンスフルなストリーを追っていくうちに、アメリカの作家パトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』を連想しました。1960年にルネ・クレマン監督によって映画化され、主役のリプリーをアラン・ドロンが演じました。このときのドロンは美しかったです。1999年にも「リプリー」のタイトルで映画化され、監督はアンソニー・ミンゲラ、主演はマット・デイモンでした。

 

 「太陽がいっぱい」を連想するといえば、映画通の方なら「ああ、そういう話ね」と想像がつくと思いますが、「ザ・ホワイトタイガー」は貧富の差を残酷なまでに描き出しています。主人公バルラムは石炭事業で成功した裕福な一家の召使になりますが、インドの格差社会たるや「太陽がいっぱい」の舞台になったアメリカ社会の比ではありません。格差の激しいインドで貧しい若者が金持ちになる物語といえば、多くの人は第81回アカデミー賞で作品賞を含む8部門を受賞した2008年のイギリス映画「スラムドッグ$ミリオネア」を連想するでしょう。テレビ番組「クイズ$ミリオネア」に出演し、賞金を獲得したジャマール(デヴ・パテル)は、インドのスラム街で育った少年が正解を知るはずがないと不正を疑われ逮捕されます。警察の尋問によって、「ジャマールになぜこれほどの知識があり、この番組に出演するに至ったのか」が明らかになっていきます。非常に面白く、夢中になって観ました。

 

 「ザ・ホワイトタイガー」の冒頭、中国の首相にメール文を書く主人公バルラムは、「わたしは豊かではありますが、クイズ番組で稼いだわけではありません」と書いており、大ヒットした「スラムドッグ$ミリオネア」を意識した形になっています。インドの格差社会が世界でも最悪なのは、背景にカースト制度があるからです。バラモン教によってつくられ、ヒンズー教に受け継がれた身分制度です。大きくは、バラモン(司祭階級)、クシャトリア(王侯・武士階級)、バイシャ(庶民階級)、シュードラ(隷属民)の4つに分けられます。しかし、シュードラの下には、カーストにも組み込まれないアウトカースト(不可触民)が存在します。カースト制度はさらに数百の身分、職業などに分けられています。現在は憲法で禁じられていますが、その風習は根強く残っています。

f:id:shins2m:20131003144148j:image図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)



 そのカースト制度を廃止しようとした人こそ、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダです。わたしは、2016年2月に生まれて初めてインドに行きましたが、そのとき、聖なるガンジス川をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回りました。言うまでもなく、世界宗教である仏教の布教ルートを追いながら、偉大なるブッダの教えを振り返りました。その一方で、毎日膨大な数の物乞いの人々と接し、まざまざと思い知ったことがあります。それはブッダがあれほど絶滅させようとしたカースト制度が今も根強く残っていることでした。ブッダはこのカースト制度に反対して、あらゆるものの「平等」をめざし、仏教を開いたのです。しかし、残念ながらブッダの志は現在も果たされていません。

 

 かつて、インドにおいて仏教はヒンドゥー教に弾圧されました。それは、仏教がカースト制度に反対していたからです。事実、仏教がインドから追い出された後、一時的にかなりアバウトになっていたカースト制度は再び厳密になったという歴史があります。では、ヒンドゥー教というのは人間を差別する悪い宗教かというと、一概にそうもいえません。ヒンドゥー教は、日本の神道にも通じる、民衆の生活に密着した多神教です。ちなみに、「ザ・ホワイトタイガー」の冒頭には、中国の首相へのメールで、インドの宗教は主にイスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教であり、それぞれ1人、3人、3600万人の神様がいて、インド人は「どの神様にしよう」と選んでいるなどと説明されています。また、ヒンドゥー教を信仰する金持ち一家の運転手がムスリム(イスラム教徒)であることを偽っていたことがバレてクビになるシーンも出てきます。

f:id:shins2m:20210509170249j:plain

カースト制度の残るインドで最大の平等を知る」より



 日経電子版のライフコラム「一条真也の人生の修め方」に書いた「カースト制度の残るインドで最大の平等を知る」でも紹介していますが、インドに到着して3日目の早朝、わたしは「ベナレス」とも呼ばれるバラナシを視察しました。ヒンドゥー教の一大聖地です。まず、ガンジス川で小舟に乗りました。夜明け前で暗かったものの、次第に薄暗かった空が赤く染まっていく美しい光景が見られました。早朝からヒンドゥー教徒たちが沐浴をしている光景も見られました。ガンジス川で沐浴すると全ての罪が洗い流されると言われているのです。

f:id:shins2m:20160215100949j:plain
早朝のガンジスにて



 しばらくすると、舟から火葬場の火が見えたので、わたしは思わず合掌しました。バラナシの別名は「大いなる火葬場」ですが、国際的に有名なマニカルニカー・ガートという大規模な火葬場があります。そこは、24時間火葬の煙が途絶えることがありません。そこに運ばれてきた死者は、まずはガンジス川の水に浸されます。それから、火葬の薪の上に乗せられて、喪主が火を付けます。

f:id:shins2m:20160215095212j:plain

バラナシでの火葬のようす



 荼毘に付された後の遺骨は火葬場の仕事をするカーストの人々によって聖なるガンジスに流されます。ただし、子どもと出家遊行者は荼毘に付されません。彼らは、石の重しをつけられて川底に沈められます。その理由は、子どもはまだ十分に人生を経験していないからで、出家遊行者はすでに人生を超越しているからだそうです。インドでは、最下層のアウトカーストが火葬に携わるとされています。

f:id:shins2m:20160215104001j:plain
火葬場から見たガンジスのSUNRAY



 火葬場からガンジス川に昇った朝日がよく見えました。その荘厳な光景を眺めながら、わたしは「ああ太陽の光は平等だ!」と思いました。太陽の光はすべての者を等しく照らします。そして、わたしは「死は最大の平等である」という言葉を口にしました。これはわが持論であり、わが社のスローガンでもあります。箴言家のラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視することができない」と言いましたが、太陽と死には「不可視性」という共通点があります。わたしは、それに加えて「平等性」という共通点があると思っています。太陽はあらゆる地上の存在に対して平等です。中村天風の言葉を借りれば、太陽光線は美人の顔にも降り注げば、犬の糞をも照らすのです。

 

 わが社の社名は、「サンレー」ですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、「太陽光線(SUNRAY )」という意味を持っています。「死」も平等です。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人......「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。遠藤周作の名作『深い河』の舞台にもなったマニカルニカー・ガートで働く人々はアウトカーストだそうですが、わたしには人間の魂を彼岸に送る最高の聖職者に見えました。太陽と死だけは、万人に対して平等なのです。

f:id:shins2m:20210508233055j:plain

バルラムの父親の葬列



 「ザ・ホワイトタイガー」では、結核を病んだバルラムの父親が死亡するシーンがあります。政治家が選挙の公約を破ったために村に病院が作られず、バルラム少年は瀕死の父親を抱えて隣村の病院まで行きますが、そこにも医者はおらず、父親は治療も受けられずに亡くなるのでした。わたしは、この悲惨なシーンを見て、インドの現状を考えました。現在、インドでは新たな感染者が40万人を超え、死者も連日3000人以上と伝えられています。昨日8日の死者は、なんと4000人を超えたとか。「死は最大の平等である」という信条は変わりませんが、治療を受けられる人と受けられない人がいるというのは不平等です。映画では、バルナムの父親が火葬されるシーンも出てきます。死に方が不平等ならば、せめて葬儀だけは平等に行われなければならないと強く思います。

f:id:shins2m:20210508233155j:plain火葬される バルラムの父親



 しかし、新型コロナウイルスの感染拡大による医療崩壊は、インドだけが問題ではありません。米山隆一元新潟県知事が9日、ツイッターに新規投稿しました。米山氏は、人口100万人あたりの死者数についての報道を引用し、「インドよりも大阪の方が人口比での死亡率は高く完全な医療崩壊となっているとの事です。事ここに至るまで対策が遅れまくった維新・吉村知事の責任は小さくありません」と訴えています。いま、大阪はインドよりも悲惨な状況にあるのです。まったく、とんでもないことです!

 

 「ザ・ホワイトタイガー」の冒頭で、バルナムが中国の首相に対して、「アメリカは昨日の国。中国とインドは明日の国。世界の未来は、黄色い人間と茶色い人間が握っています」とメールする場面があります。ならば、中国と同じ黄色い人間である日本人の未来はどうなのでしょうか? 新型コロナウイルスのワクチン接種が一向に進まず、世界の先進国どころか後進国であることが判明した日本ですが、3度目の緊急事態宣言の中で東京五輪を強行開催しようとしている現状には絶望的な気分になります。

 

 ところで、映画のタイトルにあるホワイトタイガーですが、ベンガルトラ、シベリアトラ、および2つの間の人工雑種の白血球色素沈着変異体であり、インドのマディヤプラデーシュ州、アッサム、西ベンガル州で時々野生で報告されています。大昔の氷河期時代、地球が白く染まっている中で身を隠しやすいのは白い体でした。その環境を生き抜いた動物たちの子孫は、現代にも体を白くする遺伝子を受け継いでいます。

f:id:shins2m:20210509103003j:plain
ホワイトタイガーを見るバルナム



 体を白くする遺伝子を受け継いだ存在を「白変種」といいますが、氷河期が終わると白い体は逆に目立ってしまいます。その中でホワイトタイガーは少しずつ淘汰され、現代では稀に誕生するだけになりました。これが稀にホワイトタイガーが生まれる理由です。太古の情報が表出した姿だと考えると神秘的ですね。めったに生まれない珍しい種であることから、貧しい家に生まれたのに頭脳明晰なバルデムをホワイトタイガーに例えているわけです。

 

 インドにおいてトラはなじみのある動物ですが、トラが出てくる物語といえば、一条真也の読書館「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」で紹介した2012年のアメリカ映画が思い出されます。「ザ・ホワイトタイガー」の原作と同じくブッカー賞を受賞したヤン・マーテルの2001年の小説『パイの物語』を原作とした3D冒険映画ですが、アン・リーが監督し、デヴィッド・マギーが脚本を執筆し、スラージ・シャルマが主人公のパイを演じました。

 

 第85回アカデミー賞で11部門ノミネートし、監督賞、作曲賞、撮影賞、視覚効果賞の最多4部門を受賞しました。動物園を経営する家族と航行中に嵐に遭い、どう猛なトラと一緒に救命ボートで大海原を漂流することになった16歳の少年パイのサバイバルを描いています。インド人であるパイは、ヒンドゥー教とキリスト教とイスラム教とを同時に信奉しています。彼の母はカースト上の身分が低い夫(パイの父)と結婚して勘当された設定でした。やはり、インド人にとっては宗教とカーストが不可欠の問題のようですね。最後に、どうかこれ以上、インドの変異株が日本国内で広まりませんように......。