No.513


 第44回日本アカデミー賞は、一条真也の映画館「ミッドナイトスワン」で紹介した映画が最優秀作品賞を、主演の草彅剛が最優秀主演男優賞を受賞、「MOTHER マザー」で紹介した映画に主演した長澤まさみが最優秀主演女優賞を受賞しましたね。21日の日曜日、シネプレックス小倉で映画鑑賞。作品は、本場・米国の第93回アカデミー賞で6部門にノミネートされている映画「ミナリ」です。
 コロナに翻弄される人類へのエールのような映画でした。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『ムーンライト』などの映画スタジオA24とブラッド・ピットの制作会社プランBが組み、成功を夢見てアメリカ南部に移住した韓国系移民一家を描く人間ドラマ。さまざまな困難に直面しながらもたくましく生きる家族の物語は、サンダンス映画祭でグランプリと観客賞を受賞した。監督と脚本はリー・アイザック・チョン。『バーニング』シリーズなどのスティーヴン・ユァンが一家の父親を演じ、『春の夢』などのハン・イェリ、『チャンス商会 ~初恋を探して~』などのユン・ヨジョンらが共演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1980年代、農業で成功したいと意気込む韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユァン)は、アメリカ・アーカンソー州に家族と共に移住。広大な荒地とおんぼろのトレーラーハウスを見た妻は、夫の無謀な冒険に危うさを感じる。一方、しっかり者の長女アンと好奇心豊かな弟デビッドは新天地に希望を見いだし、デビッドは口の悪い破天荒な祖母とも風変わりな絆を育む。しかし、干ばつなどのために窮地に立たされた一家をさらなる試練が襲う」

「ミナリ」に登場するのは韓国人一家ですが、この映画は韓国映画ではありません。「ムーンライト」や「レディ・バード」など話題性と作家性の強い作品で今やオスカーの常連となったA24と、『それでも夜が明ける』でエンターテイメントの定義を変えたブラッド・ピットのPLAN Bが、その脚本にほれ込み、強力タッグを組んだハリウッド映画です。では、なぜ、アメリカ映画なのに韓国人が主役なのかというと、多様性が求められている最近の社会情勢やそんな企画を探しているハリウッドの事情があります。それから、一条真也の映画館「パラサイト 半地下の家族」で紹介したポン・ジュノ監督の映画の影響が明らかに存在すると言えるでしょう。

「パラサイト 半地下の家族」は、昨年の第92回アカデミー賞で外国語映画として史上初となる作品賞ほか4部門に輝き、大きな話題となりました。その衝撃は未だ記憶に新しいですが、ハリウッドおける韓国への熱いまなざしはまだ続いてうようです。「ミナリ」は、2020年1月開催の第36回サンダンス映画祭でグランプリと観客賞を受賞したのをはじめ、これまでに61の受賞、185のノミネート(2021年2月現在)を受け、世界の映画賞を席巻しています。第93回アカデミー賞でも6部門にノミネートされており、「パラサイト 半地下の家族」に続いて、波乱を巻き起こすのではないかと予測されています。
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「ミナリ」は切ない映画



「ミナリ」は切ない映画です。「人生はうまくいかない」ことを、これでもか、これでもかと思い知らせてくれます。しかし、主人公のジェイコブ(スティーヴン・ユァン)は理不尽な運命に翻弄されながらもたくましく前向きに生きていきます。じつは、わたしも家族のことでいろいろと心配なこともあり、最近疲れ気味だったのですが、ジェイコブの奮闘を見ているうちに、「俺は長男だし、一家の大黒柱だし、会社の社長でもあるのだから、泣き言など言ってはいられない。みんなを幸せをするために頑張らなければ!」と気力を奮い起こすことができました。「俺は長男だから」というのは「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎のセリフですが、彼は「失っても、失っても、生きていくしかない」という名言も吐いています。まさに、「ミナリ」のテーマそのものだと思いました。
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何よりも家族の団結が必要!



「ミナリ」は家族を描いた映画です。1980年代のアメリカ南部を舞台に、韓国出身の移民一家が必死に生きる姿を描いています。夫婦、親子、祖母と孫といった三世代の家族を温かい視線で描いています。アメリカにやってきた移民が主人公の映画はこれまでにも数多く作られていますが、アメリカの中でも田舎の農村に韓国人一家が移り住むのは、さまざまなストレスがあったはずです。教会の人々は親切であるにしろ、やはり同胞がいないというのは孤独です。その中で、家族だけはしっかりと団結する必要があります。「ミナリ」を観ながら、わたしは「家族だけは、『こころ』を1つにしないと」と切実に思いました。「ミナリ」に登場する家族の中には、心臓に病を患った幼児、脳卒中で倒れた祖母という2人の絶対的弱者がいますが、彼らを他の家族が必死に支える姿には胸を打たれます。
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夫婦は世界で一番小さな互助会



「ミナリ」は夫婦を描いた映画です。この韓国人夫婦はケンカばかりしています。両親がケンカを始めると、子どもたちは「ケンカしないで」と書いた紙飛行機を飛ばす有様です。両親のケンカほど、子どもにとって辛いことはありません。子どもにとって父親は飛行機の操縦士、母親は副操縦士のようなものです。操縦士と副操縦士が諍いを起こしては、家庭という飛行機は墜落してしまいます。子どもという飛行機の乗客にとって、これほど不安なことはありません。この夫婦は結婚したときは「助け合っていこう」と約束しました。そう、夫婦の本質とは「相互扶助」なのです。夫婦というのは、じつは互助会なのです。かつて、童話の王様アンデルセンは「涙は世界で一番小さな海」という言葉を残していますが、わたしは「夫婦は世界で一番小さな互助会」と言いたいです。映画「ミナリ」では、ある出来事をきっかけに、2人が「助け合っていこう」という約束を思い出す場面が感動的に描かれています。
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破天荒な祖母には知恵があった



「ミナリ」は老人を描いた映画です。韓国のベテラン女優ユン・ヨジョンが演じるスンジャという祖母はとてもユニークです。彼女は文字を知りませんが、孫たちに花札を教え、男物のトランクスを履いてTVのプロレス中継に熱狂します。そして、彼女は自宅近くの川辺に「ミナリ」という韓国のセリの種を植えるのでした。最近読んだ本で「おばあちゃん仮説」というものを知りました。本来、人間は動物なので、次の子孫をつくったらもう大人に用はなく、死んでいくはずです。しかし実際には、もう子孫を残せない年齢になっても長生きしています。昔は歯医者もありませんから、歯がボロボロになった高齢者に食事をすり潰して与えるのはすごくコストがかかりますが、どういうわけか人間の寿命は長い。その理由は、高齢者の経験(知恵)を活用することによって群れ全体が賢くなって、生き残る確率が高まるからだというのです。そのために、生殖能力がなくなっても、ホモサピエンスは高齢者を長生きさせたというのが「おばあちゃん仮説」です。「ミナリ」を観て、特にラストシーンでこの仮説を連想しました。
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幼児と老人の関係性を知る



 それから、「ミナリ」は老人だけでなく、幼児と老人との関係性を描いた映画です。もともと、おじいちゃん、おばあちゃんと孫は相性が良いとされます。原始社会から近代に至るまで、いや、近代社会にあっても沖縄やアイヌや世界各地の民族社会では、子どもは祖父や祖母の生まれ変わりと信じられてきました。子どもは祖父母の生まれ変わりという観念は、古い民族社会で根強く残されてきました。沖縄には「ファーカンダ」という方言があります。「孫」と「祖父母」をセットでとらえる呼称です。これは、親子、兄弟という密接な人間関係を表わすものと同様、子どもとお年寄りの密接度の重要性を唱えているものと考えられます。超高齢化社会に向けて、増え続けるお年寄りたち。逆に減り続け、街から姿が消えつつある子どもたち。その両者を「ファーカンダ」という言葉がつなげているのです。「ファーカンダ」は「ファー(葉)」と「カンダ(蔓)」の合成語とされますが、それは、葉と蔓との関係のように、切っても切れない生命の連続性を示していると言えるでしょう。「ミナリ」を観て、わたしは「ファーカンダ」を連想しました。

 それにしても、移住した農地で必死に生きる一家の姿には胸を打たれます。わたしは、1940年のアメリカ映画である「怒りの葡萄」を思い出しました。原作は、1939年に発表されたジョン・スタインベックの同名小説です。1930年代末に発生した干ばつと砂嵐を契機とした農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との軋轢闘争を素材とした小説で、1930年代のアメリカ文学を代表する作品として評価されています。この小説により、スタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞。1962年のノーベル文学賞受賞も、主にこの作品を受賞理由とされています。その名作の映画版では、不況の嵐に農場を追われた貧しい一家が、カリフォルニアの楽園を目指して旅立つ姿が描かれます。さまざまな困難を乗り越えて辿り着いた彼らが見たものは、溢れる農民と絶望的な生活でした。同年の第13回アカデミー賞ではジョン・フォードが監督賞を、ジェーン・ダーウェルが助演女優賞を受賞、他に5部門がノミネートされました。



 映画.comで「ミナリ」を論じた映画評論家の和田隆氏は、「いつの時代も様々な困難に翻弄されながらもたくましく生きていこうとする家族の姿には人種を超えた普遍性があり、文化や価値観、宗教観の違いはあっても共感を呼ぶのであろう。アメリカの大地は美しくも厳しく、そこで生きていくには順応していくしかないが、一方でより自身のアイデンティティや同郷のコミュニティのつながり、そして神とは何かを問われることになる」と述べていますが、それは「怒りの葡萄」にもそのまま通じます。和田氏はまた、「運命に打ちひしがれても人生は続いていく貴さを描いている。祖母が請け負い、失い、そして子と孫に残すものが、静かに深い感動を呼ぶ」とも述べています。「運命に打ちひしがれても人生は続いていく」とは、まさに現在のコロナ禍に生きるわたしたちが心に刻まなければならないことです。21日に東京などの緊急事態宣言が解除されましたが、まだまだ予断は許されません。長引く緊急事態宣言で、自身の店を閉めたり、務めていた店を辞めた方も多いでしょう。それでも、その方々の人生は続いていきます。この映画は、コロナ禍の中で必死に生き続ける全人類へのエールのように感じました。