No.512
3月16日の東京は気温が23度まで上昇して、5月並みの陽気でした。午前中、赤坂見附で出版の打ち合わせ、午後から亀戸で開かれた全互連の理事会に出席した後、また銀座で打ち合わせ。夜はシネスイッチ銀座で日本映画「痛くない死に方」を観ました。ずっと気になっていた映画ですが、いろいろと考えさせられました。
ヤフー映画の「解説」には、「在宅医療の分野で著名な長尾和宏医師の著書『痛くない死に方』『痛い在宅医』を原作に、『火火』などの高橋伴明監督が映画化。終末医療をめぐり患者とその家族、そして彼らと向き合う医師の葛藤を描く。『火口のふたり』などの柄本佑が主演を務め、『その後のふたり』などの坂井真紀、『ディア・ドクター』などの余貴美子のほか、大谷直子、宇崎竜童、奥田瑛二、大西信満らが共演する」とあります。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「仕事に追われる在宅医の河田仁(柄本佑)は、末期がん患者の井上敏夫(下元史朗)を担当することになる。敏夫の娘・智美(坂井真紀)の意向で痛みを伴う入院ではなく『痛くない在宅医』を選択するが、敏夫は苦しみ抜いた末に亡くなってしまう。父を自宅に連れ戻さずに病院に居させた方が苦しい最期にならなかったのではと、自分の決断を悔やむ智美の姿に河田は言葉を失う。在宅医の先輩である長野浩平(奥田瑛二)に相談しその指摘に胸を突かれた河田は、長野のもとで診療現場を見学し、在宅医の在り方を模索する」
この映画を観て、本当にいろいろなことを考えさせられました。どうして、この映画を観ようと思ったのか。もちろん、普段から、わたしが「死」について考えていることもありますが、最近、高齢の両親がめっきり弱ってきたのと、立て続けに知人や友人が癌の宣告を受けたからです。わたしは親しい人間の死というのを祖父母しか経験していないのですが、ここのところリアルに感じられてきています。それにしても、「簡単には死ねない」ということを、この映画は教えてくれます。肺癌の末期患者の井上敏夫を演じた下元史朗の演技は凄まじいものでした。全身に激痛が走り、呼吸ができずに死ぬことが、どんなに苦しいかを見事に表現していました。
『命には続きがある』(PHP文庫)
東大病院で救急部・集中治療部部長を務められ、現在は東京大学名誉教授の矢作直樹氏は、わたしとの対談本である『命には続きがある』(PHP文庫)の中で、人の亡くなり方においては「呼吸」と「痛み」がポイントであると述べておられます。亡くなり方はさまざまでも、問題は「最期をどう迎えるか」ということ。そう、矢作氏は指摘します。すなわち、緩和ケアをどうするかという問題に焦点が当てられるわけですが、緩和のポイントが「呼吸と痛み」だというのです。矢作氏は、「いかに呼吸をしやすくし、いかに痛みを除くかという点が重要なポイントになります。その2つがクリアできれば、慢性疾患の場合、まるで眠るように亡くなることが可能です。一般に大往生と言われる逝き方はこのケースに相当します」と述べています。まさに、「痛くない死に方」を観て、矢作発言の意味がよく理解できました。
映画「痛くない死に方」には、大工の棟梁だった本多彰(宇崎竜童)の在宅医療および死も描かれます。宇崎竜童といえば、一条真也の映画館「罪の声」で紹介した映画で、学生運動の元闘士を演じていましたが、「痛くない死に方」でもやはり全共闘の元闘士という設定でした。入院を拒否して在宅医療を選択したということで「体制への反逆者」のイメージがあるのでしょうか。その彰は快活な性格で、つねにユーモアを忘れません。本人が「川柳もどき」と呼ぶ句作を絶やさず、笑える彼の川柳は周囲を明るくします。彼のノートに遺された「病得て 今さらわかる 妻の愛」という川柳は泣けますが、最後に記した辞世の「いちどだけ うわきしました ゆるせつま」はもっと泣けました。それを読んだ大谷直子演じる妻の「知ってたわよ。墓場まで持っていきゃいいのに」というセリフはさらに泣けました。
『ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫)
拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)の「あとがき」にも書きましたが、日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表れにほかならないと思います。その意味で、彰の川柳作りは彼が死の不安を乗り越える大きな力になったことでしょう。また、故人が遺した詩作は、遺族の人々にとっても故人を偲ぶよすがとなり、悲嘆に対処するグリーフケアの役割も果たしてくれます。
映画の原作者であり、医療監修者でもある長尾和宏氏は、「この映画は拙書『痛くない死に方』と『痛い在宅医』が原作である。しかし高橋伴明監督には他の本も読んで頂き、とても練られた脚本を書いて頂いた。秀逸な川柳はもちろん監督の作品だ。国策である在宅医療はこれまで美談でしか語られてこなかった。リアルを語るとすぐに矢が飛んできた。でも僕は美談が大嫌い。患者目線、家族目線から見た在宅医療とはどんなものなのか。どうすれば望む最期が本当に叶うのか。どんな医者を選べばいいのか。百聞は一見にしかずというが、まさにこの映画に在宅医療の本質が凝縮されている。僕の夢はこの映画を大病院の医師・看護師だけでなく医学生・看護学生にも観てもらうことだ。そのためにはまずは多くの市民に観てもらい評価されないと叶わない。どうか応援よろしくお願いします」とコメントしています。
この映画では、在宅医療に従事する医師たちが、肉体的にも精神的にもハードな毎日を送っているにも関わらず金銭的に恵まれていない現状が描かれていましたが、心が痛みました。彼らのようなエッセンシャル・ワークがなぜ恵まれないのでしょうか。経済学の分野で大ベストセラーとなっている『人新世の「資本論」』を書いた大阪市立大学大学院経済学研究科准教授の斎藤幸平氏は、同書で「現在高給をとっている職業として、マーケティングや広告、コンサルティング、そして金融業や保険業などがあるが、こうした仕事は重要そうに見えるものの、実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない」と述べています。
アメリカの人類学者であるデヴィッド・グレーバーが指摘するように、これらの仕事に従事している本人さえも、自分の仕事がなくなっても社会になんの問題もないと感じているとして、斎藤氏は「世の中には、無意味な『ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)』が溢れているのである。ここでの矛盾は、『使用価値』をほとんど生み出さないような労働が高給のため、そちらに人が集まってしまっている現状だ。一方、社会の再生産にとって必須な『エッセンシャル・ワーク(「使用価値」が高いものを生み出す労働)』が低賃金で、恒常的な人手不足になっている。だからこそ、『使用価値』を重視する社会への移行が必要となる。それは、エッセンシャル・ワークが、きちんと評価される社会である」と述べていますが、まったく同感です。
それにしても、「死は敗北」と考え、末期患者の身体に大量の管をつけてスパゲティ状態にして延命治療を施すという現在の日本の医療には大きな違和感をおぼえます。一条真也の読書館『安楽死を遂げるまで』で紹介した本の著者であるジャーナリストの宮下洋一氏は、同書で日本における「死」について、「この国は、死を巡る対話を欠いてきた。患者への癌告知がされるようになったのさえ、そう昔のことではない。スイスを訪ねる各国の患者たちが、必ずしも末期癌患者のように死期が差し迫っていないのも、日々、死を現実に捉えて生活しているからだろう。では、日本人も死を巡る対話を重ね、理想の死に方を健康なうちに表明しておけばよいのか。昨今、普及しつつあるリビング・ウィルは1つの方法かもしれない。ただし、日本の場合、個人の意思に加え、家族や友人を含めた集団の理解が必要となってくることを繰り返し強調したい。そこには、悲しみやつらささえも分かち合う国民性が見てとれる」
リビング・ウィルとは何でしょうか。日本尊厳死協会のHPには、以下のように書かれています。
「日本尊厳死協会発行の『リビング・ウイル』(以下LW)は、人生の最終段階(終末期)を迎えたときの医療の選択について事前に意思表示しておく文書です。表明された意思がケアに携わる方々に伝わり、尊重され、あなたが自分らしく誇りを持って最期を生きることにつながります。このLWは、ご自分が意思表示できなくなった状況において、意に添わぬ、ただ単に死の瞬間を引き延ばす延命措置を受けずに済むようにするものです」と書かれています。
また、日本尊厳死協会のHPには「一時的に生命維持が困難になった患者の回復を目的とする「救命」を拒むものではありません。外傷や神経、心臓、肺などの病気、あるいは遺伝性の病気により、人工呼吸器等の生命維持装置を使い生活されている方にとって、生命維持に関わる措置は延命措置ではないことは言うまでもありません。もしもの時、どのような医療を望むか、望まないかはあなた自身が決めることです。これは憲法に保障されている基本的人権の根幹である自己決定権に基づいています」とも書かれています。
「サンデー毎日」2018年4月1日号
尊厳死の問題もそうですが、わたしは人間には何よりも「死生観」というものが大事だと思っています。現在の日本は、未知の超高齢社会に突入しています。それは、そのまま多死社会でもあります。日本の歴史の中で、今ほど「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」が求められる時代はありません。特に「死」は、人間にとって最大の問題です。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようと努力してきました。それでも、今でも人間は死に続けています。死の正体もよくわかっていません。
『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)
実際に死を体験することは一度しかできないわけですから、人間にとって死が永遠の謎であることは当然だと言えます。まさに死こそは、人類最大のミステリーなのです。なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け入れがたい話はありません。しかし、その不条理に対して、わたしたちは死生観というものを持つ必要があります。高齢者の中には「死ぬのが怖い」という人がいますが、死への不安を抱えて生きることこそ一番の不幸でしょう。拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)の帯にも書かれていますが、まさに「死生観は究極の教養である!」と言えます。
死の不安を解消するには、自分自身の葬儀について具体的に思い描くのが一番いいでしょう。親戚や友人のうち誰が参列してくれるのか。そのとき参列者は自分のことをどう語るのか。理想の葬儀を思い描けば、いま生きているときにすべきことが分かります。参列してほしい人とは日頃から連絡を取り合い、付き合いのある人には感謝する習慣を付けたいものです。生まれれば死ぬのが人生です。死は人生の総決算。自身の葬儀の想像とは、死を直視して覚悟すること。覚悟してしまえば、生きている実感が湧いてきて、心も豊かになるでしょう。
柄本佑演じる在宅医の河田仁は、「痛くない死に方」を選んだはずの井上敏夫が苦しみながら死んだことにショックを受け、罪悪感を抱きます。敏夫の娘・智美(坂井真紀)は河田に向かって「あなたにお願いしたことが心が痛い」とまで言われ落ち込みますが、彼は敏夫の仏壇に線香をあげ、(おそらくは月命日には)墓も訪れ花を手向けます。そんな河田の姿を見て、河田を恨んでいた智美の心も変わっていきます。わたしは、このシーンを見て、「死と葬はセットだ」と思いました。亡くなった後の「葬」を抜きにして「死」だけを語るより、「死」と「葬」をつなげることこそ大切です。
『唯葬論』(三五館)
拙著『唯葬論』(三五館)で、わたしは「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」と言いました。オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもありませんが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要なし。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。そして、「葬」とは死者と生者との豊かな関係性を指します。よって、わたしは『唯死論』ではなく、『唯葬論』という本を書きました。
『儀式論』(弘文堂)
映画「痛くない死に方」で、わたしにとって興味深かったのは臨終の儀式でした。在宅医療の患者が亡くなったとき、河田は患者の名前を呼びながら脈を測り、心臓の音を聴き、瞳孔に光を当ててチェックしてから、「〇〇時〇〇分、御臨終です」と言ってから一礼し、続いて合掌して「ご愁傷様でした」と述べます。その仕草が最初は付け刃というか心がこもっていなかったのが次第に心がこもってゆき、お辞儀の角度も深くなっていきます。愛する人を亡くしたばかりでショックを受け、深い悲しみの底にある遺族の「こころ」を、この臨終の儀式という「かたち」が安定させていると思いました。『儀式論』(弘文堂)にも書きましたが、すべての儀式は不安定な「こころ」を安定させる「かたち」なのです。
最期のセレモニーである葬儀も、不安定な「こころ」を安定させる「かたち」です。故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供など大切な家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という「かたち」は人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。その意味で、一条真也の映画館「おくりびと」で紹介した日本映画の名作に葬儀社の事務員役で出演していた余貴美子が「痛くない死に方」では河田とコンビを組む看護師を演じていたのが印象的でした。「おくりびと」といえば、納棺師のことでも葬儀社のスタッフのことでもありません。「おくりびと」とは故人を送ってくれる家族や葬儀の参列者のことです。「痛くない死に方」には、大勢の家族から看取られる老婆が登場しますが、亡くなる直前に全員が笑顔で記念の集合写真を撮ります。このシーンに非常に感動したわたしは、「これぞ最高の人生の卒業だ!」と思いました。