No.544


 この夏は、ある日本映画のブルーレイ4Kデジタルリマスター版を何度も繰り返し観ています。1979年に公開された篠田正浩監督作品「夜叉ヶ池」です。泉鏡花が夜叉ヶ池の竜神伝説を元に書いた戯曲の映画化で、歌舞伎役者の坂東玉三郎が初めて出演した映画でもあります。権利の問題から今までビデオ化もされず、テレビ放映もほとんど叶わなかった幻の作品です。このたびアメリカの会社が版権を取得したことによって、じつに42年ぶりにブルーレイ化され、WOWOWで放映もされました。

 ブルーレイの説明には「篠田正浩監督、坂東玉三郎主演の傑作が42年ぶりに蘇る!」として、「幻想文学の礎を築いた泉鏡花の原作を、『梟の城』(99)や『スパイ・ゾルゲ』(03)などで知られる巨匠・篠田正浩監督が、1979年に取り組んだ意欲作。当時歌舞伎界を一世風靡していた女方の坂東玉三郎が初めて映画に出演し、村に暮らす女性・百合と夜叉ヶ池の竜神・白雪姫の二役を演じて妖艶な世界を表現した。公開から42年の時を経て、4Kデジタルリマスター版で蘇る」と書かれています。

 また、ブルーレイの「ストーリー」には、「三国嶽のふもとの琴弾谷に、夜叉ヶ池の伝説の調査に来た学者の山沢(山﨑努)は、迷いこんだ池のほとりで、息を呑むほど美しい女性と出会う。百合(坂東玉三郎)というその女性は、夫と二人で鐘楼守をしているという。家に招かれた山沢は、かつての親友で、夜叉ヶ池の調査に出たまま帰らぬ晃(加藤剛)が百合の夫であることを知り驚愕する。夜叉ヶ池には竜神が封じ込められていて、一日に三度鐘を撞かなければ竜神が再び暴れて洪水を引き起こし、村が流されてしまうため、鐘楼守をすることになったのだという。しかし、ある出来事がきっかけとなり、平穏な日々が破られることになるのだった――」と書かれています。
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ブルーレイのケースの表より



 この映画、じつは、わたしが父に映画館に連れて行ってもらって鑑賞した思い出の映画です。仕事で忙しかった父に映画に連れて行かれた思い出は3回しかありません。1回目は4歳のときの「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」(1967年・大映)、2回目は10歳のときの「人間革命」(1973年・東宝)、そして3回目が16歳のときの「夜叉ヶ池」(1979年・松竹)でした。「夜叉ヶ池」のみ、わたしが父に「一緒に観ない?」と誘った記憶があります。当時の父は「いけばな草月流」の華道を習っており、その創始者である勅使河原蒼風が映画「夜叉ヶ池」の題字を書いていることから父を誘ったと記憶しています。仕事で多忙だった父とは夜の最終上映で小倉の室町にあった映画館で鑑賞しましたが、疲れからイビキをかいて眠る父の横で、わたしは幻想と怪奇が渦巻くスクリーンにひたすら魅了されたのでした。長らく再鑑賞したいと思っていましたが、ようやく2021年にその夢が叶い、感無量です。8月になってからは毎日のように観ていますが、感染大爆発ならぬ「美の大爆発」を感じています。
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ブルーレイのケースの裏より



 この映画、松竹の大船スタジオに巨大なセットを組み上げ、特撮監督には矢島信男、撮影は小杉正雄、音楽は冨田勲、美術は粟津潔、デザイナーは朝倉摂・・・その業界では知らない者がいない錚々たるスタッフが手懸けた松竹の威信を賭けた作品でした。「夜叉ヶ池」4Kデジタルリマスター版に関して、篠田正浩監督は「この新作『夜叉ヶ池』を観る人は、坂東玉三郎が、山崎努・加藤剛を相手に緊迫した現代劇を演じ、その果てに魔性の姫に変化する見事な<女形>と、世界を圧倒した大洪水の<特撮技術>のお家芸が出会った日本映画の奇跡を、その目で確かめてください。90歳でデジタル技術でよみがえった『夜叉ヶ池』の初日を迎える冒険を楽しみにしています」と述べました。坂東玉三郎も、「昨年の夏に篠田正浩監督と再会して『夜叉ヶ池』のデジタルリマスター化のプロジェクトが始まりました。デジタル化の作業で映像を確認して、撮影当時の1つ1つの出来事を鮮明に記憶していたことに気づきました。それだけ思いを込めて撮影に臨んでいたのだと思います。泉鏡花『夜叉ヶ池』の世界をデジタル化により美しくよみがえった映像で皆さまに是非ご覧いただきたいと思います」と述べています。

 今年の7月10日、71歳になった坂東玉三郎は、東京都渋谷のユーロスペースで、この日初日を迎えた特集上映「篠田正浩監督生誕90年祭『夜叉ヶ池』への道 モダニズム ポップアート そしてニッポン」の舞台挨拶に篠田監督とともに登壇しました。「夜叉ヶ池」は今年のカンヌ国際映画祭クラシック部門に出品され、先日ワールドプレミア上映が行われました。特集上映の期間中には同作や「心中天網島」(69年)など篠田監督の作品が上映されました。玉三郎と篠田監督は昨年、40年ぶりに再会したそうです。篠田監督は「夜叉ヶ池」について「これを作ったのは僕じゃない。坂東玉三郎という才能と情熱がなければ完成しなかった」と絶賛。玉三郎は「映画だから時を超えて見ることができるという喜びを今、感じている」と語りました。篠田監督は撮影を振り返り、空気が動いているのに映り込む柳の木の枝が全く揺れていないことを玉三郎から指摘されたことを回想し、「監督としてまだまだだと反省した」と述べています。ファンタジーという非現実を描く映画に細部の現実性(リアリティ)を求めた玉三郎は、やはり天才だと思います。
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篠田正浩監督



 この奇跡のような作品は当時、どのような経緯で制作されたのか? インタビューに答えた篠田監督は、「私は元々、松竹に入社し、その後、独立をしてATGや東宝で作品を撮っていました。そうしたら、「そろそろ戻ってきて、松竹で映画を作りなさい」という方が現れまして(笑)。話を聞きにいったら、「坂東玉三郎さんの映画を撮りたいんですが、篠田さんは興味がありますか?」と聞かれたんです。当時の松竹というのは、簡単にいえばシナリオで映画を作る作風がメインとしてありました。例えば、戸の開け閉めやそこを人が出入りするだけで観客を笑わせたり、泣かせたりする。ところが、私は松竹を離れたあと、ホームドラマではなく、ワンダリングする孤独な人間模様や、社会で敗北する人物たちを描くことで、自分自身の世界を作り上げていたんです。ただ、話を聞くと、坂東玉三郎さんという素晴らしい女形を主役にして撮るだけでなく、大洪水のシーンもあるという。そんなことは独立プロでは考えられない企画でしたので、とても驚いたのを覚えています」と語っています。
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「夜叉ヶ池」はギリシャ劇?



「篠田監督は、この『夜叉ヶ池』の魅力をどんなところだと感じていらっしゃいますか?」という質問に対して、篠田監督は「この作品で描かれている夜叉ヶ池には大洪水を起こすほどの力を持った白雪という主がいて、彼女は民衆のことよりも、自分の恋のために三国岳の王子と一緒になることしか考えていない。一方で、日照りが続く村の人間たちは、雨乞いのために夜叉ヶ池の主に生贄(いけにえ)を出そうとする。こうした物語の構造は、もとをただすとギリシャ劇と同じなんです。泉鏡花はとても日本的な作家だと思われていますが、『夜叉ヶ池』も『天守物語』もギリシャ劇に似ていて、混沌とした世を描き、人間たちに天罰を下す神が出てくる。実は、こうしたことは現代でも起こりうるんです。第二次世界大戦の原爆がそうです。一瞬にして多くの人間が命を落とすことが20世紀に起こりました。信じられないことです。白雪姫が最後に巻き起こした大洪水も、彼女が人間の欲望に愛想を尽かしたから生まれたこと。私がこの映画でやりたかったのは、そうした"現実"を観客に見せていくことでした」と語っています。
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ブルーレイはプレスシート縮小版&ポストカード入り



 当時、本作を観たマーティン・スコセッシ監督は、篠田監督に宛てた手紙で、「最初に、玉三郎さんの演技と、あなたが彼を(俳優としても、日本の伝統芸能の象徴としても)演出した素晴らしい手法に魅了されました。玉三郎さんが繊細に演じた百合を凌ぐものがあるとしたら、彼が演じた歌舞伎にインスパイアされた素晴らしい夜叉ヶ池の白雪姫をおいて他にないでしょう。事実、一度夜叉ヶ池の中に入れば、あなたの作品の真実の美しさが明らかになると私は確信しています。このアンダーワールドで繰り広げられるシーンでは、あなたは日本の文化と伝統の真髄を捉えています。西洋人として私が完全に理解できているかわかりませんが、この映画は文化と歴史の感覚に溢れています。この映画は、あなたとあなたの(文化の)伝統への賛歌であり、現在も、そして未来においても生き続けていくことでしょう。敬意を込めて。マーティン・スコセッシ」と書いています。
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プレスシートの表紙



 ブルーレイには、ポストカードと、プレスシート縮刷版の特典が付いています。プレスシートの「演出ノート」には、当時の篠田監督が「泉鏡花の『夜叉ヶ池』ほど妖しい魅力をたたえた世界はない。普通の女では表情が不可解な美しさが求められている。女形・坂東玉三郎は、その芸、その美しさにおいて現代の奇蹟である。『夜叉ヶ池』はようやくその人を得て、今、美の洪水を起こそうとしている」と書いていますが、素晴らしい名文です。たしかに百合と白雪姫の二役を演じるのに最高の女形である玉三郎ほど適した人はいないでしょうが、もう1人あえて候補を挙げるとしたら、わたしは篠田監督の夫人である女優・岩下志麻の名を挙げます。岩下志麻ならば、女であっても百合と白雪姫を見事に演じ分けられたでしょう。あと、百合の夫である萩原晃を演じた加藤剛とは、松本清張原作の映画「影の車」で濃厚なラブシーンを演じていますし・・・。ちなみに、「夜叉ヶ池」が公開された1979年の岩下志麻はNHK大河ドラマ「草燃える」で主人公の北条政子を演じるなど、女優として全盛期でした。
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 プレスシートの裏表紙



 プレスシートの裏表紙には、「『夜叉ヶ池』は泉鏡花の書いたSFなのだ。」として、作家の半村良が「広漠とした宇宙の妖しさを、我々がよく知っているこの地球の一点に凝縮させて語れば、結局このようなかたちになるものであろう。この作品が書かれたとき、誰が今日のSFを予測し得ただろうか。しかしこれはまさしく、泉鏡花の書いたSFなのである」と書いています。また、「玉三郎さんが映画に出演する」ということ。」として、作詞家の岩谷時子は「映画会社に十余年いて、いささかカメラの恐ろしさを知っているだけに男性が映像の中で女性になりきれるか正直のところ不安である。しかし泉鏡花の作品で篠田監督とのコンビなら、前代未聞の妖しくも美しい映画が出来るのではないか。期待と不安で封切りの空きが待ちどおしい」と書いています。
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百合の美しさに息を呑む山沢(山崎努)
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あまりにも美しい百合(坂東玉三郎)
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山沢をもてなす百合
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まさに鏡花の世界そのもの



 それにしても、「夜叉ヶ池」という映画は何度観ても飽きません。未曽有の日照りが続く大正2年の夏。越前(現福井県)・三国岳の麓の村に山沢学円(山崎努)という男がやって来ます。山沢は、夜叉ヶ池のほとりで、どこか不思議な女性・百合(坂東玉三郎)と出会うのですが、その妖しいまでの美しさに言葉を失う様がよく描かれていました。またスクリーンに初登場した瞬間の玉三郎の浮世離れした容姿には、当時中学生だったわたしも言葉を失ったものでした。当時29歳の玉三郎の美を、「よくぞ映画という魔法瓶に閉じ込めてくれた!」と感謝するばかりです。わたしは映画というメディアは「美のアーカイブ」であると思っているのですが、まさに「夜叉ヶ池」という映画はその機能を果たしてくれました。
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再会した萩原(加藤剛)と山沢
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語りあかす二人
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仲睦まじい百合と萩原
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神秘的な夜の夜叉ヶ池



 山沢は、「2年前、各地に伝わる不思議な物語を収集すべく東京をたったきり消息を絶った、親友を捜し回っている」と百合に話して聞かせます。実は山沢の親友である萩原晃(加藤剛)は、不思議な縁で夜叉ヶ池に竜神を封じ込めるべく村の鐘つきとなり、いまや百合と一緒に暮らしていたのでした。この萩原という男、原作者である泉鏡花の親友であった民俗学者の柳田國男がモデルであるとされています。それにしても、この「夜叉ヶ池」という映画、山崎勉と加藤剛という二大名優の競演も大きな見所です。「天国と地獄」(1963年)、「皇帝のいない八月」(1978年)などの山崎努は当時43歳、「忍ぶ川」(1972年)、「砂の器」(1974年)などの加藤剛は当時41歳、ともに俳優として円熟期にありました。加藤剛は2018年に逝去(享年80歳)しましたが、山崎努は84歳で健在です。彼もまた、映画「夜叉ヶ池」の復活を喜んでいるのではないでしょうか。
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百合を生贄にしようとする人々
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群衆に攫われる百合



 久々の再会を喜んだ山沢と萩原は、夜にもかかわらず伝説の夜叉ヶ池に向かいます。じつは、百合の正体が超自然的存在であると悟った山沢が萩原を家から連れ出して東京に帰そうとしていたのでした。夜叉ヶ池へ向かう道中、萩原は、自分がこの地に住み着いたいきさつを語ります。一昨年、この地を訪れた萩原は、村で鐘守を務める老人と出会った。彼によると、昔、よく暴れ回り大水を起こしていた龍神を行力によって、三国岳の山中にある夜叉ヶ池に封じ込め大水を終息させた時、人間との誓いを龍神に思い出させるために、村では昼夜に三度鐘を鳴らさなければならない決まりになっているという。この決まりを現在も1人厳格に守っていたその老人が死んだため、その意志を継ぐべく百合と結婚して村に留まり、鐘を撞いていたのでした。
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異変に気づいた山沢と萩原
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百合を護ろうとする萩原と山沢
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代議士を演じた金田龍之介
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侠客を演じた唐十郎



 その頃、村では代議士・穴隈鉱蔵や神官・鹿見宅膳が年頃の若い娘を雨乞いのため夜叉ヶ池の龍神への生贄にしようという、恐ろしい提案を行なっていました。そして生贄に選ばれたのは、なんと百合でした。夜叉ヶ池を見に行った萩原と山沢の留守中に、村人たちが百合を強引に連れ出してしまいます。代議士は金田龍之介、彼が雇った侠客はなんと状況劇場の唐十郎が演じています。金田龍之介は青猫座、山﨑勉は文学座、加藤剛は俳優座の出身ですが、とにかく、歌舞伎からアングラ演劇まで、映画「夜叉ヶ池」には日本演劇界の精鋭が総結集している観があります。
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白雪姫とその眷属たち
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鐘楼に向かう百合
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鐘楼に向かう百合
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百合を見つめる白雪姫



 一方、夜叉ヶ池の龍神・白雪は、剣ヶ峰の恋人のところに行きたくて仕方がないのですが、彼女が動くと大洪水となってしまうためなかなか行く事が出来ず、眷属たちが止めるのと萩原と百合が鐘を撞くのを疎ましく思っていました。騒ぎに気付いて駆け付けた萩原と村人たちとの押し問答のさなか、百合は悲嘆のあまり自害してしまいます。これに怒った萩原は撞木の縄を切り鐘を撞けないようにして、百合の後を追います。かくして、鐘を撞く誓いがついに破られ、白雪は剣ヶ峰の恋人のもとへ飛び立たんと、天翔けていきました。その時、夜叉ヶ池の水があふれ出し、大洪水となって村を押し流してしまったのでした。
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鐘を撞こうとする百合
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鐘撞けば魔物は退散!



 わたしは、この「夜叉ヶ池」では梵鐘が重要な役割を果たしていることを非常に興味深く思いました。ブログ「鐘の音に祈りをこめて」で紹介したようにわが社は「禮鐘の儀」という葬儀の最後に鐘を撞くセレモニーを行っていますし、夜叉ヶ池のある北陸には梵鐘製造最大手の老子製作所という会社もありますので、興味は尽きません。
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圧巻の洪水シーン
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洪水に溺れる村人たちf:id:shins2m:20210806001853j:plain
村がまるごと水の底に
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天翔ける白雪姫の神々しさを見よ!



 この洪水シーンは圧巻です。日本の特撮技術の基礎を築いた特撮監督の矢島信男の指揮のもと、大船撮影所のステージを大改造して作ったセットで、50トンもの水を使い大洪水シーンを実現しました。この映画を観たスティーヴン・スピルバーグが篠田監督に電話を掛け、「あの洪水シーンはどうやって撮ったんだ」と訊いてきたという逸話があります。クライマックスの洪水シーンの撮影のために、ブラジルのイグアスの滝やハワイを始めとする海外ロケも敢行されました。大音響で鳴り響く富田勲のシンセサイザー音楽も最高にマッチしていました。曲目は、なんとドビュッシーの「沈める寺」ですが、これが鏡花の世界に最高にマッチしています。そのスケールの大きさは、まるでヴァーグナーのオペラを連想させます。まさに「東西の美の習合」とでも言うべき奇跡的な芸術空間が小倉の映画館に出現しました。当時中学生だったわたしは、スクリーンに展開された圧巻の光景と天翔ける白雪姫の神々しい姿を見て恍惚となり、「もう、子どもだましの怪獣映画など観ている場合ではないな」と思ったことを記憶しています。

「夜叉ヶ池」に登場する百合は人間ならぬ「異人」の趣がありましたが、異人といえば、一条真也の映画館「異人たちとの夏」で紹介した1988年の大林宣彦監督の松竹映画があります。じつは、「夜叉ヶ池」と「異人たちとの夏」はわたしの好きな日本の二大幻想映画なのですが、同じ松竹の作品ということもあり、「異人たちとの夏」には「夜叉ヶ池」に通じる世界を感じます。特にラストのオペレッタ的なスペクタクル・シーンが共通している気がします。「異人たちとの夏」に出演した女優の秋吉久美子さんは渋谷ユーロスペースで「夜叉ヶ池」のリバイバル上映を鑑賞されたそうで、自身のブログで「幻想的で恒久のテーマに溢れた、日本ならではの、自然界の精霊達、妖怪達と人間の共存、その終末、、。まさに気候変動の今日的なテーマの確信を突いている。息を呑む面白さで、愉快、愉快のうちに、見終わった後は、日頃の憂さが拭い去られ、サイコーの気分になった。『夜叉ヶ池』はノアの方舟、モーゼの十戒、スターウォーズ『帝国の逆襲』全てを網羅したシンボルとさえ思えた」と書かれています。非常に興味深い考察ですね。

 夜叉ヶ池岐阜県と福井県の県境にありますが、昔から伝説があります。鏡花はこの伝説をもとに戯曲「夜叉ヶ池」を書いたのですが、Wipkipedia「夜叉ヶ池」の「夜叉ヶ池の伝説」には、「安八郡の伝説」として、「817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われ、あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、ため息まじりで、『もしそなたが雨を降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう』と語った。するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、『私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。』と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、『村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。』と答えた。驚いた安次は、『何か必要な物はないのか。』と問うと、娘は、『今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。』と答えた」と紹介されています。

 続けて、「こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者(龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、『我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。』と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、『父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。』と告げ、池の中に消えていった。安次は龍となった娘を祀るために、池のほとりと自宅に、龍神を祀る祠を建てた。この娘の名を"夜叉"といい、池の名を娘の名より"夜叉ヶ池"と名づけたという(娘の名は不明で、後から池の名から"夜叉"とおくられたとの説もある)」と紹介されています。

 泉鏡花の戯曲『夜叉ケ池』では村を越前国大野郡鹿見村(ただし実際の鹿見村は南条郡で、現在は南条郡南越前町)とし、娘が雨乞いの生贄にされるという大枠は同じだがかなり脚色されています。白雪(生贄の娘)は龍神と化し洪水を起こしますが、越の大徳泰澄により池に封印されます。なお、戯曲の本筋はそれから1200年が過ぎた大正時代(執筆当時)の物語です。鏡花といえば江戸文化の継承者としてのイメージが強いですが、『夜叉ケ池』はゲルハルト・ハウプトマンの『沈鐘』をヒントに書いたそうです。現在、岩波文庫から『夜叉ケ池・天守物語』として発行されていますが、解説を澁澤龍彦が書いています。泉鏡花も、澁澤龍彦も、わたしが敬愛してやまない幻想文学の巨匠です。いつの日か、わたしは、サンレー北陸の東孝則専務をはじめとする北陸本部会議の参加メンバーと一緒に、夜叉ヶ池を訪れてみたいと願っています。

  • 販売元:松竹
  • 発売日:2021/7/14
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