No.543
76年前に長崎に原爆が投下された8月9日、シネプレックス小倉で「映画 太陽の子」を観ました。11時20分からの上映でしたので、原爆投下時間である11時02分に映画館のロビーで黙祷しました。この映画の元になったNHKのドラマは未見でしたが、この映画だけはぜひ観たいと思っていました。台風9号も去り、この日に鑑賞できて良かったです。これは観なければならない作品でした。
ヤフー映画の「解説」には、「2020年8月15日にNHKで放映されたドラマ「太陽の子 GIFT OF FIRE」を異なる視点で描いた青春群像劇。太平洋戦争末期に原爆の開発研究に加わった若き研究者と弟、彼らの思い人が抱く苦悩と青春を描き出す。監督はドラマ版で演出を担当した『セカンドバージン』などの黒崎博。『夜明け』などの柳楽優弥、『フォルトゥナの瞳』などの有村架純、『アイネクライネナハトムジーク』などの三浦春馬といったドラマ版のキャストが集まっている」とあります。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1944年。京大物理学研究室で研究に励んでいた科学者・石村修(柳楽優弥)は、原爆の開発に参加する。核エネルギーの研究に没頭する一方で、科学者が兵器の開発に携わることに対する葛藤を抱えるように。そんな中、弟の裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰宅し、兄弟がひそかに思いを寄せていた朝倉世津(有村架純)も、家を失ったために修の家で暮らすことになる」
この映画を観て、いろいろなことを考えさせられました。日本が原爆開発をしていた事実は長らくタブーというか広く知られていませんでしたが、この映画を観て歴史の真実の一端を知ることができました。わたしの心には昨日閉幕したばかりの東京五輪が閉幕したばかりということも心にありました。絶対に勝てない戦争に突き進んだ悪夢が、今回の五輪強行開催と重なるとともに、兵器の開発に従事する理系の学生たちが兵役を免れたという点を悲しく思いました。というのも、あの戦争では文系の学生たちを率先して徴兵し、特に哲学や文学の徒が神風特攻隊に送られていたことを思い出したからです。
三浦春馬演じる石村裕之は神風特攻隊に志願し、その若い命を散らせますが、彼はおそらく文系の学生だったのでしょう。お国のために役立つ理系の学生は生かして、役に立たない文系の学生は殺すという発想が、現在の理系偏重の流れと重なって暗澹たる気分になります。國村隼演じる京大物理学研究室の教授が「科学者が未来を拓くんだ!」と学生たちを鼓舞しますが、学生の1人が「そんな幼稚な精神論はもういい」と苦渋の表情を浮かべてつぶやくシーンが印象的でした。東京五輪を強行開催し、新型コロナウイルスの感染対策に無策な現政権にも「幼稚な精神論はもういい」と言いたいです。
いったん生家へ帰ってきた弟を迎えて喜び、戦地での苦労を慰めるべく日本酒を弟の盃に注いでやる兄の姿には泣けました。兄と弟、長男と次男、文系と理系、兵士と科学者......修と裕之の間にはさまざまな違いはありますが、ともに家族を愛し、国を想う気持ちは一緒です。帰ってきた裕之が兄に酒を注いでもらえば「ありがとう」と言い、母にちらし寿司を作ってもらえば「ありがとう」と言い、先に風呂に入れてもらえば「ありがとう」と言う。三浦春馬はけっして長くない登場シーンの中で何度「ありがとう」という言葉を口にしたでしょうか。彼の口から「ありがとう」が出るたびに、わたしの涙腺は緩みました。なぜなら、もう彼はこの世にはいないからです。
昨年7月19日、人気俳優として活躍していた彼はクローゼットの中で自ら命を絶ちました。わたしは一条真也の映画館「東京公園」で紹介した映画を観て以来のファンでしたので、かなりショックを受けました。まだ30歳と若く、これからが楽しみだったのにまことに残念です。「映画 太陽の子」の中で、彼が演じる裕之は入水自殺を図りますが、今となっては辛いシーンです。撮影時、監督をはじめとしたスタッフは天気、空模様、波の高さ、海の色などワンチャンスを海岸で待ち続けたといいます。技術的にも、俳優としての緊張状態も極限状態で撮られたワンシーンでしたが、そのとき三浦春馬が海を眺めながら「本番行きまーす」の掛け声を待っていたと思うと、悲しくてなりません。当時の彼はネットでの誹謗中傷などに悩んでいたとも伝えられていますが、心が疲れているときに自死のシーンを演じるというのは危険な行為であると思いました。東京五輪ではアスリートのメンタルケアの必要性が訴えられましたが、俳優にもメンタルケアは必要でしょう。
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
それにしても、スクリーンの中で生き生きと動き回る三浦春馬がもうこの世にはいないということが信じられません。ルックスも演技もダンスも歌(桑田佳祐から「歌がうまい」と太鼓判を押された)も最高レベルだった彼の自死は、本当に残念でなりません。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)に書いたように、映画とは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアであると思っています。映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘップバーンやグレース・ケリーにだって、三船敏郎や高倉健や菅原文太にだって再会できます。そして、これからは三浦春馬の出演映画を観れば、いつでも彼に会えるのです。それにしても、あまりにも才能豊かだった彼の若すぎる死が惜しまれます。
三浦春馬だけでなく、主演の柳楽優弥の演技も素晴らしかったです。彼は18歳のときに親と口論して薬物を大量に服用、近くの病院に搬送されたことがあります。当時は自殺未遂と騒がれましたが、いろんな精神的葛藤を乗り越えて、本当に良い役者になりました。それだけに命を絶った三浦春馬に対する想いには他人には計り知れないものがあると思います。彼は科学バカの学生・修を演じましたが、広島と長崎の次に京都に原爆が投下されると予想し、それを科学者の目で観察するために比叡山の山頂に登ったことは、修の科学バカぶりを見事に示すシーンでした。ただ好奇心の赴くままに実験を重ねる修には、自分の研究が何に使われるか、自分の学問が人々を平和にするのかという視点がありませんでした。それが原爆が投下された広島の惨状を見て、「俺はこんなものを作ろうとしていたのか」と呆然とするシーンは印象的でした。
修が比叡山に上ったのは、その山頂が京都の街を一望できるからです。比叡山といえば、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生が「東山修験道」として725回も登られています。鎌田先生は「この身をもって天地自然の中に分け入り、そのエネルギーに浸され、賦活されて、天地自然の力と叡智を感受・理解し、それを有情無情の存在世界に調和的につなぎ循環させていく知恵とワザの体系と修道」すなわち修験道を比叡山の地で実践されているのです。さらに、鎌田先生は山頂でいつもバク転をされるそうです。しかし、齢70歳を超えられた今、誰もいない場所で1人でバク転をされることはあまりにも危険ですので、ひそかに心配しています。わたしは、スクリーンに映る比叡山山頂の景観を見ながら、「これが鎌田先生がいつも見ておられる風景か」と思いました。
そして、朝倉世津を演じた有村架純が素晴らしかったです。裕之と、彼の自殺未遂を止めた修の2人を抱きかかえて「戦争なんか早く終わったらいい! 勝っても負けても何もかわらん!」と叫んだシーンには胸を打たれましたし、これはまさに戦時中の女性の心の叫びだと思いました。玉音放送が流れて戦争が終結したとき、彼女は比叡山の山頂まで修を迎えに行きます。山頂で二人は抱き合いますが、その後、二人が結ばれて家庭を持ったことを想像しました。他にも、彼女が存在感を示したシーンは多く、ブログ「ひよっこ」で紹介したドラマ、 一条真也の映画館「花束みたいな恋をした」で紹介した映画での演技も合わせて、彼女が日本を代表する名女優になったと痛感しました。
エンドロールでは、祖父母と父親が長崎原爆で被爆した福山雅治による主題歌「彼方へ」が流れ、しみじみと心に沁みました。福山雅治の事務所の先輩であるサザンオールスターズの名曲「蛍」のメッセージにも通じる祈りの歌であり、やはり事務所の後輩であった三浦春馬さんへの鎮魂の歌であると思いました。東京五輪が閉幕した翌日の「長崎原爆の日」に、この映画を観ることができて良かったと思います。三浦さんの御冥福を心よりお祈りいたします。