No.563
TOHOシネマズシャンテでフランス映画「ブラックボックス:音声分析捜査」のレイトショーを観ました。映画館は換気設備が整っているのと、上映中は会話しないため飛沫感染も防げるので、じつは最も安全な場所の1つです。本作はネットの評価も高いですが、ものすごく面白い社会派サスペンス映画でした。これはもう、必見の一条賞の有力候補作の1つです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「音声分析の専門家が、旅客機墜落事故の原因究明に奔走するサスペンススリラー。ブラックボックスと呼ばれるフライトレコーダーの音声を手掛かりに事故の真相に迫る音声分析官を、『イヴ・サンローラン』などのピエール・ニネが演じるほか、『夜明けの祈り』などのルー・ドゥ・ラージュ、『パリよ、永遠に』などのアンドレ・デュソリエらが共演。ピエールが出演した『パーフェクトマン 完全犯罪』などのヤン・ゴズランがメガホンを取った」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「アルプスで旅客機が墜落し、乗客と乗務員316人全員が死亡する。墜落の原因を調査するため航空事故調査局の音声分析官がフライトレコーダー、通称ブラックボックスを開けて調べると、墜落の直前にコックピットへ男が侵入し、乗客の中にイスラム過激派らしき男がいたことが判明。調査の責任者に任命されたマチュー(ピエール・ニネ)は、本格的な捜査を開始する。やがて彼は、犠牲者の一人が家族に宛てた事故直前の留守番電話と、ブラックボックスの音が違うことに気付く」
「ブラックボックス:音声分析捜査」は飛行機の墜落事故の映画なので、当然ながら犠牲者の遺族のグリーフ(悲嘆)が描かれます。就職の面接のためにドバイに向かう途中で犠牲となった亡き妻からの最後の留守電メッセージをマチューに聴かせる夫は、当然ながら深い悲しみの底にありました。彼は吸っているタバコの灰がズボンに落ちても気づかないのですが、このシーンは悲嘆の深さを見事に表現していたと思います。この事故では316人が死亡しましたが、死者たちの無念が真実を暴こうとしたのかもしれません。この映画は「ブラックボックスの音声を聴く」ことがテーマですが、「死者の声を聴く」こともメッセージの1つではないかと思いました。
ヨーロピアン航空の最新型機が墜落する場面は、「ユナイテッド93」(2006年)を連想。ユナイテッド航空93便は、9・11テロでハイジャックされた4機のうち、唯一目標に到達しなかった旅客機です。その離陸から墜落までの様子を忠実に再現したノンフィクション映画が「ユナイテッド93」ですが、乗客たちの葛藤と緊張感が半端なく、観客もこの飛行機に搭乗しているような錯覚に陥ります。他の3機がどのような運命を辿ったかを知るにつれ、恐怖のどん底に突き落とされる乗客たち。また、その情報が地上にいる管制塔や家族にも伝わっているのですから、彼らの苦しみは想像を絶します。航空関係者たちとのやりとりはもちろん臨場感に溢れていますが、パニックに陥りながらも乗客たちがどのように運命の瞬間を迎えたのかをリアルに描いていました。普通の人々が一丸となってテロに立ち向かったという事実が、胸を強く打ちます。
ピエール・ニネ演じる航空事故調査局の音声分析官マチューは、抜群の聴覚でフライトレコーダーの音声を手掛かりに事故の真相に迫っていきますが、その様子は一条真也の映画館「THE GUILTY/ギルティ」で紹介した2019年公開のデンマーク映画を連想しました。電話からの声と音だけで誘拐事件を解決するというユニークな物語が評判となり、第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞するなど、数々の映画賞に輝いた話題作です。警察官のアスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)はある事件を機に現場を離れ、緊急通報司令室のオペレーターとして勤務していました。交通事故の緊急搬送手配などをこなす毎日を送っていたある日、誘拐されている最中の女性から通報を受けます。主人公が電話の声と音を通して誘拐事件の解決を図ろうとする展開は圧巻です。
この映画、主演のピエール・ニネがとにかく良かったです。彼は1989年生まれのフランスの俳優・監督で、ブローニュ=ビヤンクール出身。父親フランソワ・ニネはドキュメンタリー映画の監督、映画学校の教授。母親は造形作家。建築家、社会福祉事業に関わる2人の姉がいます。11歳で初舞台を踏んだ彼は、2010年にフランス最高峰の国立劇団、コメディ・フランセーズに史上最年少の21歳で準座員となりました。2006年にテレビの長編ドラマでデビュー。2014年の伝記映画「イヴ・サンローラン」でイヴ・サン=ローランを演じ、セザール賞最優秀男優賞を受賞。俳優以外の仕事にも意欲を見せており、脚本家や監督としても活動しています。フランスの国営放送で2シーズン放送中のテレビシリーズ「Casting(s)」(2013年)では、出演・監督を担当。イヴ・サン=ローラン・ボーテ・パリのプロモーションビデオ「LA NUIT DE Pierre Niney」(2014年)では、主演・脚本・監督を担当しています。
今回、ピエール・ニネは音声分析官という知られざる職業のキャラクターにチャレンジしたわけですが、本物の音声分析官とコンタクトを取り、マチューという架空のキャラクターにリアリティの肉付けを施していったそうです。彼は、インタビューで「特殊な職業だから実際に会うのが最善の方法だと考えて若い音声分析官を探して会いにいった。マチューに近い経歴の分析官だ。一緒に過ごす時間をとり、話を聞き出した。事故前のパイロットの会話をどう分析するのか、またキーボードをたたく速さも興味深かった。彼に張り付いてすべてを知りたかったよ。映画では可能な限り忠実にその仕事を再現した」と語っています。またフランシス・F・コッポラ監督による「カンバセーション・・・盗聴・・・」(1974年)にも刺激を受けたことを明かしています。盗聴のプロが殺人事件に巻き込まれるミステリーですが、ニネは「録音テープを聴き続ける行為を理解したよ。登場人物の性格の描写も僕は興味深いと思った。何ごとにも細かいのと、ペンを並べるしぐさなんかもね」とかなりの参考作になったと告白しています。
さらに、ニネは参考になった映画として「アビエイター」(2006年)のタイトルも挙げています。18歳で亡き父の石油掘削機の事業を引き継ぎ大富豪となったハワード・ヒューズ。1927年、21歳の彼は、その莫大な財産を全て注ぎ込み、航空アクション映画「地獄の天使」の製作に着手します。それが大ヒットを記録し、彼は一躍ハリウッドの著名人となります。やがて、人気女優キャサリン・ヘプバーンと出会い、恋に落ちるのでした。主人公の実在の実業家ハワード・ヒューズをレオナルド・ディカプリオが、キャサリン・ヘプバーンをケイト・ブランシェットが演じました。ニネによれば、この映画でのディカプリオの強迫観念にとりつかれた演技が天才的だとか。「マチューはあれほどではなくても、近い性質なんじゃないかな」と役作りの参考にしたことを明かしています。ディカプリオといえば、一条真也の映画館「ドント・ルック・アップ」で紹介したネットフリックス映画でも、まさに鬼気迫る演技で、地球に接近する巨大彗星の脅威を訴える天文学者を見事に演じ切っていました。
「ブラックボックス:音声分析捜査」については企業の不祥事隠蔽とか、新しいテクノロジーには欠陥が付きものとか、自動運転に潜む危険とか、いろいろと語りたいテーマがありますが、ネタバレになってしまうので控えます。音声や聴力に焦点を当てた作品ですが、ちょうど前日に『LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる』ケイト・マーフィ著、篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳(日経BP)という本を読み終えたばかりだったので、興味深かったです。同書は「本当に優秀な人は聞く能力が異様に高い」ことを主張した本で、アマゾンの内容紹介には「他人の話は、『面倒で退屈なもの』です。どうでもいい話をする人や、たくさんしゃべる人などいますよね。考えただけでも面倒です。その点、スマホで見られるSNSや情報は、どれだけ時間をかけるか自分で決められるし、面白くないものや嫌なものは、無視や削除ができます。しかし、それがどれほど大事でしょうか。話を聞くということは、自分では考えつかない新しい知識を連れてきます。また、他人の考え方や見方を、丸ごと定着させもします。話をじっくり聞ける人間はもちろん信頼され、友情や愛情など、特別な関係を育みます」と書かれています。
『LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる』には、ヘレン・ケラーのエピソードも登場します。見えない・聞こえない・喋れないという三重苦の「奇跡の人」として知られた彼女ですが、視覚よりも聴覚の方が重要であると語っていたそうです。なぜなら、相手の声や息づかいを聴くことによって、その人の人となりがより良くわかると考えていたからだそうです。同書には、目には瞼があって閉じることができるが、耳には瞼のようなものがないとも書かれています。なぜなら、目は閉じても大丈夫だが、耳だけは絶対に閉じては危険であるというわけです。あと、現代社会にはあまりにも騒音が多く、ほとんどの人は聴くべき音声を聴いていないとも訴えていました。騒音の中で暮らしているがゆえに現代人の多くは難聴気味になっているそうですが、耳垢を掃除するだけでもずっと良く聴こえるようになるとか......。