No.561
第94回アカデミー賞のノミネーションが発表されましたが、一条真也の映画館「ドライブ・マイ・カー」で紹介した作品が日本映画初の作品賞を含む4部門でのノミネートとなりました。そんな中で、同じく作品賞を含む4部門ノミネートのネットフリックス映画「ドント・ルック・アップ」を観ました。ものすごい作品でした。一条賞の大賞候補作ですが、もはやそんなレベルを超えて、「映画というメディアが発明されたのは、この作品を作るためだったのでは?」と思えるほど、わたし史上最高クラスの超名作でした!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「[Netflix作品]共にオスカーを受賞したレオナルド・ディカプリオとジェニファー・ローレンスが主演を務めたコメディー。地球に接近する巨大彗星の存在に気付いた天文学者と教え子が、世界中にその事実を伝えるべく力を尽くす。監督・脚本は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』などのアダム・マッケイ。共演には『テキサス・ロデオ』などのロブ・モーガン、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などのジョナ・ヒルのほか、ティモシー・シャラメ、アリアナ・グランデ、ケイト・ブランシェット、メリル・ストリープらがそろう」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「さえない天文学者ランドール・ミンディ教授(レオナルド・ディカプリオ)と教え子の大学院生ケイト(ジェニファー・ローレンス)は、あるとき地球衝突の恐れがある彗星の存在に気付く。二人はオーリアン大統領(メリル・ストリープ)とその息子であるジェイソン補佐官(ジョナ・ヒル)と対面したり、陽気な司会者ブリー(ケイト・ブランシェット)のテレビ番組に出演したりするなどして、迫りくる危機を世界中の人々に訴えようと奮闘する。しかし二人の熱意は空回りし、予期せぬ方向に進んでいく」
この映画を観た人ならだれでも気づくでしょうが、地球に衝突する巨大彗星というのは、気候変動や放射能や新型コロナウイルスなどのメタファーです。「実話に基づくかもしれない物語」というキャッチコピーが、そのことを示唆しています。1990年、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の初めてのレポートが公開されました。世界中の科学者たちが気候変動のリスクと対策の必要性を強く訴えてきたにもかかわらず、注目度は高いとは言えませんでした。それどころか、気候変動には根強い懐疑論、さらには陰謀論さえありました。映画「ドント・ルック・アップ」でメリル・ストリープ演じるアメリカ大統領が「静観と精査」と言いましたが、気候変動についても、世界のリーダーたちは「静観と精査」を長年続けてきたのです。
2人はTVショーに出演(映画com.より)
ミンディとケイトはTVショーに出演して、彗星の衝突と地球滅亡の危機を訴えます。しかし、キャスターはまともに取り合わず、キレたケイトは思わず感情的になります。この場面だけを切り取られ、ケイトが「ヒステリックな女」としてSNSで嘲笑を浴びるシーンには恐ろしいものを感じました。科学に基づいた警告よりも目の前の支持率を優先する大統領の姿には、現在のオミクロン株感染大爆発にもかかわらず、絶対に緊急事態宣言を発出しようとしない某国の首相の姿が重なります。選挙制度に基づく民主主義など、地球の危機にとっては屁にもなりませんが、当事者たちはそのことに気づかないのです。
滅亡する運命にある地球上で、座して死を待つことになったミンディたちの姿を見て、わたしはミンディを演じたレオナルド・ディカプリオの出世作である超大作映画「タイタニック」(1997年)を連想しました。実際のタイタニック号沈没事故をめぐって、上流階級の娘ローズと貧しい画家志望の青年ジャック・ドーソンの悲恋を描いています。ローズはケイト・ウィンスレット、ジャックはレオナルド・ディカプリオが演じました。あの映画の沈みゆく巨大客船は滅亡する地球とまったく同じです。TVに出演したミンディは、警告の内容には興味を持ってもらえないにもかかわらず、容姿が「セクシー」だとして人気者となります。これは、ディカプリオ自身が若い頃から環境問題について熱心に発言や行動をしていたのに「イケメン俳優」としてのみ取り上げられ続けてきたことが重なります。
「タイタニック」公開の翌年となる1998年、ディカプリオは気候変動の緩和や生物多様性の保全を目的とした財団を立ち上げました。以来、彼は再生可能エネルギーや自然保護に多額の寄付を行ってきました。また、気候変動を扱うドキュメンタリー映画の制作にも数多く携わっています。しかし、当時の彼の環境問題への訴えはほとんど真剣に受け止められず、「俳優ごときに環境問題がわかるはずがない」と冷笑されたのです。
一条真也の映画館「レヴェナント:蘇えりし者」で紹介した2016年公開の映画で、ディカプリオはアカデミー賞主演男優賞を受賞。その受賞スピーチの半分の時間を割いて、彼は気候変動について訴えました。今回、ディカプリオは「ドント・ルック・アップ」を「科学的事実に耳を傾けられない人の話」と表現し、「エンディングは、未来の姿を僕らに突きつけている。徐々に取り返しのつかない状態になり、10年もたてばもう後戻りができない」と述べます。
ヤフーニュースより
地球の危機を強く感じているのは、ディカプリオだけではありません。この映画で(2人の大統領経験者と寝たという)TVショーの敏腕女性キャスターを演じたケイト・ブランシェットも同様です。彼女は、気候変動に対する意識を高めるために新しいポッドキャスト番組を立ち上げます。クリーンテクノロジー起業家で環境活動家のダニー・ケネディと協力して、気候変動の危機に迫るプロジェクトに取り組むのです。 番組開始に当たり、ケイトはプレスリリースで「気候問題解決に対するダニーの知識と情熱は人を惹きつけてやみません」と述べています。彼女は、 気候変動の影響と戦う必要性を声高に訴え続けおり、人々は 「本気で心配しなくてはいけない」と警告しています。
「ドント・ルック・アップ」は、リーダーシップの問題についても考えさえます。地球に危機が差し迫った場合、科学者が警告し、各国のリーダーたちが対策を決断しなければなりません。そして、本作の場合は、アメリカの科学者が危機に気づいたので、最初に決断するのはアメリカ大統領となります。メリル・ストリープ演じる女性大統領は、地球を救うために、また自身の支持率のために、核を搭載したスペースシャトルを彗星にぶつけて軌道を変えようというプロジェクトを決断しました。ところが、彼女の最大の支持者である実業家から「彗星には30兆ドル相当のレアアースが存在していること」を告げられ、「待った」をかけます。地球に衝突する直前に爆破して彗星を分割し、貴重な資源を入手しようというのです。この作戦は失敗しました。危機のときは「経済」よりも「科学」に基づいて決断しなければならないというのは、新型コロナウイルスの対策においても同じです。
わたしは、モタモタしている間に彗星が地球に衝突するラストシーンを観て、一条真也の読書館『原爆投下は予告されていた』で紹介した本の内容を連想しました。1945年(昭和20年)8月9日、長崎にアメリカの原爆が投下されるという情報が事前に長崎に伝わっていたことは有名です。しかし、長崎県知事や警察幹部たちは、市民を総退避させることができませんでした。知事が自ら県防空本部へ駆けつけ、会議を始めた途端に爆弾が投下されたそうです。これは、東日本大震災で被災したある学校が津波が来るまでに数十分の猶予があり、上手の山に逃げれば助かったものを職員たちが議論に時間を費やしたためにタイムアウトとなり、多くの児童たちの生命が失われた悲劇を思わせます。もちろん、数万人の長崎市民をどこかに避難させることなど不可能だったかもしれません。しかし、どんなときでも絶望せず、人々の生命を救うために最善の道を探すことがリーダーの使命ではないでしょうか。ちなみに「ドント・ルック・アップ」には、「彗星が地球に衝突する衝撃度は広島原爆の1億個分」というセリフが出てきます。
あの日、アメリカは第1目標だった小倉に原爆を落とさず、第2目標の長崎に落としました。その理由については諸説ありますが、『原爆投下は予告されていた』には非常に驚くべき内容が書かれていました。戦争当時、小倉には大量のアメリカ人捕虜がいました小倉の連合軍兵士捕虜収容所の正式名称は「福岡俘虜収容所第三分所」です。日本において、捕虜は伝統的に「俘虜」と呼ばれました。原爆投下の2日前の8月7日、急遽、アメリカ兵5000名が小倉に集められました。もちろん、こんなことは日本側の記録としても米軍の文書としても公開されていません。同書の著者である吉川愛哲氏は、中国憲兵隊の松本、藤田両憲兵大尉が引き出した特殊爆弾の投下地域らしき「爆撃禁止都市」の情報で、参謀本部が小倉の防御に入ったと推測します。その結果、小倉にアメリカ兵を集める作戦を取ったのではないかというのです。
「西日本新聞」2019年8月6日朝刊
吉川氏は「原爆投下の目標都市と判断した小倉に5000名のアメリカ兵捕虜を集めた理由は何だったのか。おそらく、捕虜を盾に使おうとしたのであろう。小倉にアメリカ兵捕虜が5000名もいることを日本側の対米宣伝放送『ラジオ東京』で伝えれば、さすがにアメリカ側も小倉への投下を止めざるを得ない。それでも原爆投下を強行すれば、同盟通信を通じてアメリカ国内にニュースとして流す。これによってアメリカ国民の批難を巻き起こせ、批難一色にできる可能性さえもある。むろん、推測でしかない。対米宣伝放送『ラジオ東京』が何を放送したかの記録は、処分されているからである」と述べています。この作戦が人道的に正しいか間違っているかなど、わたしはわかりません。それよりも重要なのは、この作戦を決断し、実行したリーダーがいたからこそ、当時、小倉の中央部に住んでいたわたしの母は死なずに済み、わたしもこの世に生を受けることができたという事実です。
まだ間に合う!(映画com.より)
タイタニックは沈没し、長崎には原爆が投下されましたが、地球の危機はまだ回避できます。現実の気候危機問題は、まだ最悪の事態を防ぐチャンスがあるのです。映画「ドント・ルック・アップ」は、気候変動対策を訴える国際コミュニティ「Couunt Us In」と連携したキャンペーンサイトを立ち上げました。そして、「真実に目を向け、科学者の言葉に耳を傾け、行動を起こすべき時だ」として、①政治に気候変動対策の説明責任を果たすよう働きかける②化石燃料セクターに投資していない銀行に預金先を変える③気候変動について、家族や友人と会話する④職場や学校など組織として気候変動対策を実行するよう働きかける⑤あなたが使用するエネルギーを再生可能エネルギーに切りかける⑥ガソリン車での移動をやめる。以上の6つのアクションを呼びかけています。
なんとか地球を救わねば!(映画com.より)
まさに「SDGs」を意識したアクションですが、このキャンペーンでは、「私たち全員にやるべきことがある」として、「気候危機への対応には、政府や組織、コミュニティ、個人など、私たち全員の力が必要です。多くの場合、個人のアクションは、システムの変革とは別のものであり、それほど重要ではないと見なされることがあります。しかし、両方が必要であり、2つは深く結びついているのです」と呼びかけています。すなわち、この「ドント・ルック・アップ」という映画そのものが、アダム・マッケイ監督やディカプリオらが「やるべきこと」として、地球の危機を訴えるメッセージであり、そこに彗星衝突というSF的要素を加えたのでした。
SF的といえば、SF映画で地球の壊滅が避けられない場合、ほとんどは宇宙船で地球以外の惑星に避難することが多いです。SF版「ノアの方舟」ですね。「ドント・ルック・アップ」の最後にも登場します。わたしは、巨大彗星の存在を発見した大学院生ケイトを演じたジェニファー・ローレンスの出演映画を連想しました。一条真也の映画館「パッセンジャー」で紹介した2017年公開のSF映画です。近未来、5000人を乗せた豪華宇宙船アヴァロン号が、人々の移住地に向かうべく地球を出発。到着までの120年、冬眠装置で眠る乗客のうちエンジニアのジム(クリス・プラット)と作家のオーロラ(ジェニファー・ローレンス)だけが、予定より90年も早く目覚めてしまいます。絶望的な状況を打破しようとする2人は、次第に思いを寄せ合うものの、予期せぬ困難が立ちはだかるのでした。
「ドント・ルック・アップ」で地球を脱出したノアの方舟は、当然ながら少人数の人々から乗れませんでした。その中には、アメリカ大統領やくだんの富豪実業家たちの姿もありましたが、新しく着陸した惑星は地球に似た気候で、植物と動物もふんだんに存在し、まさに「エデンの園」を思わせました。しかし、そのエデンの園には想像もつかない罠が潜んでいたのです。結局、地球を棄てて新しい惑星などに移住しても、人類に明るい未来はありませんでした。問題は「いま」「ここ」であって、「いつか」「どこか」ではないのです。わたしは、この映画を観て、「やはり、人間には死生観が必要だ」と思いました。
『死ぬまでにやっておきたい50のこと』
もちろん生き延びる可能性を求めて、人間は最大限の努力をしなければいけませんが、どうしても死が避けられないとわかったとき、それを受け容れる「死ぬ覚悟」を持つことも必要です。多くの人間が死ぬ原因は彗星の衝突ではありません。ガンや心臓病をはじめとした病気であり、寿命による老衰が多いでしょう。拙著『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)に具体的に書きましたが、死が自分に迫ってきたとき、いたずらに藻掻くよりも、安らかに死を受け容れる死生観が求められるのです。「ドント・ルック・アップ」を観て、そんなことを考えました。それにしても、こんな大傑作が何度でも見放題とは、ネットフリックスすごすぎる!