No.581
TOHOシネマズシャンテで2021年製作のアイルランド・イギリス合作映画「ベルファスト」を観ました。本来は翌25日からの公開ですが、シャンテだけは先行上映されているのです。3月27日(現地時間)開催の第94回アカデミー賞に7部門でノミネートされていますが、やはり名作でした。すべての時代を生きる、すべての人々への応援歌のような映画でした。鑑賞直後には、泣けるLINEが届きました(この記事の最後に写真あり!)。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「俳優・監督・演出家など多岐にわたって活動するケネス・ブラナーの半自伝的ドラマ。幼少期を過ごした北アイルランド・ベルファストを舞台に、9歳の少年を取り巻く日常と、激動の時代に翻弄される故郷を描く。ドラマシリーズ『アウトランダー』などのカトリーナ・バルフ、オスカー女優のジュディ・デンチ、『フィフティ・シェイズ』シリーズなどのジェイミー・ドーナンのほか、キアラン・ハインズ、ジュード・ヒルらが出演。トロント国際映画祭で観客賞に輝くなど、数々の映画賞で高い評価を得た」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「北アイルランド・ベルファストに暮らす9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)は、仲の良い家族と友人たちに囲まれ、映画や音楽を楽しむ幸せな日々を過ごしていた。しかし1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民を攻撃したことで、彼の穏やかな日常は一変。住民同士が顔なじみで一つの家族のようだったベルファストの街は、この暴動を境に分断されてしまう。住民の間の対立が激化し、暴力と隣り合わせの日々を送る中、バディの家族は故郷を離れるべきか否か苦悩する」
この映画、アイルランドにおける宗教問題とか失業問題とか、いろいろ深刻なテーマをいくつも含んでいるのですが、とにかく主人公のバディ(ジュード・ヒル)の子役とは思えない演技力の素晴らしさ、それから彼の母親役のカトリーナ・バルフの美しさに魅了されました。彼女は、アイルランドのファッションモデルおよび女優で、42歳だそうです。最初に画面に登場したときからスタイルの良い肢体にノースリーブ&ミニスカートという艶やかな姿で、「おいおい、こんな綺麗なお母さん、いるかよ?」と思ってしまいました。その後、彼女がスクリーンに映るたびに目が釘付けになってしまい、ストーリーを忘れてしまうほどでした。(笑)彼女の華麗なルックスには及びませんが、父親役のジェイミー・ドーナンもかなりのイケメンです。彼は北アイルランド出身の39歳のファッションモデル・ミュージシャン・俳優ですが、母といい父といい、ここまで見た目が良すぎる両親だと、ちょっと物語のリアリティというものが薄らぎますね。(苦笑)
主人公のバディは、一条真也の映画館「オリエント急行殺人事件」、「ナイル殺人事件」などで知られるケネス・ブラナー監督の少年時代がモデルであり、この映画そのものが彼の自伝的作品となっています。本作は白黒で撮影されていますが、ブラナー監督は「僕がベルファストで育った時は、よく雨が降っていた。街の色合いは灰色。空は、炭や暗い灰色だった。ベルファストは、カムチャツカ半島中部と同じ緯度なので、かなり寒い。モノクロ撮影は、当時の記憶を呼び起こすためのものなんだ」と、その理由を語っています。批評家から高く評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesでは批評家支持率は88%、平均点は10点満点で約8点と、高い評価を受けています。サイト側による批評家の見解の要約は「ケネス・ブラナー監督にとって極めてパーソナルな作品である。『ベルファスト』はストーリーにいくつかの難点を有しているものの、それらを手堅い演出と名演技で乗り越えている」となっています。
ベルファストはイギリス・北アイルランドの首府です。ブラナー監督の思い出では、非常に地元愛の強い地域であり、住人たちはみんな顔見知りで、助け合っています。つまり、隣人愛に溢れた街のようです。地縁だけでなく血縁も強く、孫たちは祖父や祖母を敬い、家族が仲良く暮らしています。わたしは、「幸福度世界一」で知られるブータンや沖縄に似ているなと思いました。拙著『隣人の時代』(三五館)に書きましたが、人間はさまざまなストレスを抱えて生きています。ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。そして、安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要です。縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」。また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」です。ブータンの人々は宗教儀礼によって先祖を大切にし、隣人を大切にして人間関係を良くしている。だから、しっかりとした縦糸と横糸に守られて、世界一幸福なのです。ブータンの人々が世界一幸福な人々なら、日本一幸福な人々とはだれでしょうか。わたしは、沖縄の人々ではないかと思います。
『隣人の時代』(三五館)
沖縄の人々は、日本中のどこよりも先祖と隣人を大切にします。いま、日本は「無縁社会」と呼ばれています。かつての日本社会には「血縁」という家族や親族との絆があり、「地縁」という地域との絆がありました。日本人は、それらを急速に失っています。では、わたしたちが幸せに生きるためには、どうすべきか。わたしは、何よりも、先祖と隣人を大切にすることが求められると思います。まず、死者を忘れないということが大切です。わたしたちは、いつでも死者とともに生きているのです。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。もっとも身近な死者とは、多くの人にとって先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。もちろん、わたしたちは生きているわけですから、死者だけと暮らすわけにはいきません。ならば、だれとともに暮らすのか。まずは、家族であり、それから隣人ですね。
『沖縄力』(2010年6月刊行)
考えてみれば、祖父母や両親とは生ける「先祖」です。そして、配偶者や子どもとは最大の「隣人」です。ブックレット『沖縄力』にも書いたように、沖縄の人々は、ブータンの人々と同じく、その「こころ」に血縁の縦糸と地縁の横糸をしっかりと張っているのです。だから、「こころ」が安定して、幸福感を感じながら生きることができるのでしょう。しかも、沖縄がすごいのはそれだけではありません。沖縄の人々がよく使う「いちゃりばちょーでい」という言葉は、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのですね。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり!「守礼之邦」は、大いなる「有縁社会」なのです。その沖縄と同じく、映画で描かれたベルファストも「有縁社会」そのものでした。ちなみに、宗教哲学者の鎌田東二先生はアイルランドと沖縄の文化の共通性を以前より指摘されていました。
『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』
その住人みんなが仲の良いベルファストが分断されるという悲劇が起きます。少数ながらも同地で暮らしているカトリックの人々を追放しようと、プロテスタントの過激派が暴挙に走ったのです。カトリックもプロテスタントも同じイエス・キリストを「神の子」とするキリスト教なのに、どうして対立しなければならないのでしょうか。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に書いたように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は三大「一神教」とされます。でも、その三つの宗教は、実は同じ神を信仰する三姉妹のような存在なのです。「ヤハウェ」と「ゴッド」と「アッラー」は、すべて同じ唯一絶対神を指します。カトリックとプロテスタントどころか、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も根は同じなのです。であるにもかかわらず、少しでも教義に違いがあれば否定し合い、ひいては殺し合う......人を救うのが宗教であるはずなのに、まったく理不尽なことです。この不寛容と分断の問題は、現代世界にも通じる問題です。わたしには、ベルファストのカトリック教徒がウクライナ人、プロテスタント教徒がロシア人に見えました。
主人公一家はプロテスタントですが、バディ少年が恋心を寄せているクラスメートのキャシーという女の子の家はカトリックです。バディが「キャシーの家はカトリックなんだけど、ぼく、キャシーと結婚できるかなあ?」と思い詰めたように父親に質問したとき、父は「できるさ。相手がヒンドウー教徒だって、非キリスト教徒だって、本人が優しくて思いやりがあれば、何の問題もないさ」と答えます。わたしは、この感動的なシーンを見ながら、「ああ、結婚は最高の平和だなあ」と改めて思いました。バディを演じたジュード・ヒルは北アイルランドの子役で、2010年生まれの11歳。ブラナー監督は、自分自身を投影させた役柄を託したジュード・ヒルを絶賛しています。暴徒の恐怖に怯える表情も、恋するキャシーの前でのはにかんだ表情も、ヒルの演技は大人顔負けの素晴らしいものでした。今年の「一条賞」の最優秀新人賞の最有力候補です!
バディの親はしょっちゅう出稼ぎに行き、家族の生活を支えます。母親は厳しくかつ愛情が深く、兄は優しくて頼りになります。祖母は良き相談相手で、祖父のユーモラスで、そんな家族のことがバディは大好きです。しかし、笑顔に溢れ、愛に包まれていた穏やかな日常が、暑い夏の日に突然、悪夢に変わります。プロテスタントの武装集団がカトリック住民へ攻撃を開始したのです。住民みんなが顔なじみで仲の良かったベルファストは、この日を境に分断されていきます。バディの家族たちは、ベルファストを去って他の土地に移住することを考えますが、住み慣れたベルファストより素晴らしい場所がこの世にあるとは思えません。ちょうど、アポロの月面着陸が話題になった頃で、「月にでも行くか」と言ってみたりします。また、映画好きの祖母は昔観た名作「失われた地平線」(1937年)に登場する理想郷シャングリラを夢見たりするのでした。
ちなみに、この一家は揃って映画館で映画鑑賞する習慣があり、「恐竜百万年」(1966年)とか「チキチキバンバン」(1968年)などを観ています。「恐竜百万年」で裸体に近い原始人の女たちがスクリーンに登場すると、ニヤける父親に対して、母親が「あなた、これが目的だったのね!」と言うシーンが微笑ましかったです。また、「チキチキバンバン」のときは、バディが大声で主題歌を歌って、祖母から「あんた、追い出されるわよ」と注意されたりします。それにしても、家族みんなで映画館に行くなんて、なんと素晴らしいことでしょうか! この体験が、ケネス・ブラナーという名監督を生んだのでしょう。また、このベルファストの映画館こそが、彼らにとってのシャングリラだったように思います。しかし、理想郷としてのベルファストはどんどん危険な街と化していきます。父親は移民として家族で外国へ行く決意を固めますが、ここで生まれ育った母親は故郷を捨てる気になれません。
一般にカトリックの生活は貧しく、プロテスタントの方が余裕のある暮らしだったとされます。しかし、ブラナーの家はプロテスタントでしたが、貧しい暮らしでした。ついに子どもたちの身の安全を考え、一家はベルファストを後にします。やはり、地縁よりも血縁が大事なのは当然のこと。最も大切なのは家族なのです。この映画を観終わってスマホの電源をつけたところ、LINEに画像が届いていました。この日の前日、慶應義塾大学法学部を卒業した次女が学位記(卒業証書)を持った写真でした。高い目標を掲げて中学・高校と努力を欠かさなかった彼女の奮闘の日々が思い出され、胸が熱くなりました。映画で脆くなっていたわたしの涙腺がさらに緩んだことは言うまでもありません。本当に、おめでとう! 家族愛と郷土愛を高らかに謳い上げた映画「ベルファスト」。こんな時代だからこそ、世界中のすべての人に観てほしいと心から思います。
次女の大学卒業写真